日記

主に藤原が書きます。

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「王様」2/12

私は気分転換に、よくYouTubeを開きます。YouTubeっていうのは、便利ですね。私が興味を持ちそうなものを自動的にピックアップして表示してくれる。最近は、よく知らないアーティストの曲をずっとYouTubeで聴いていたので、さらに知らないアーティストがずらっと表示され、「この者共もおすすめですよ」とYouTubeが言っていました。その中の一つをクリックすると、YouTubeも商売なので、広告が流れます。有料サブスクに登録すれば流れないそうなのですが、私は無料で利用しているので、広告が流れます。広告は広告でまた、私が興味を持ちそうなものを検索履歴などから判断して表示してくれるのですが、最近は、なんか海外のパズルゲームで、王様がなぜかひどい状況に陥っているのを、パズルを解くことで助けるやつがよく表示されます。ゲーム名は印象に残っていません。「王様がひどい状況に陥るパズル」という情報のみインプットされています。なぜYouTubeないしGoogleが、私がこのゲームに興味を持ちそうと思ったのかはわからないのですが、とにかく、王様は毎回、悲惨な状況に追い込まれています。時には、火事で焼け死にそうになっていたり、時には、めちゃくちゃ深いプールでおぼれそうになっていたり、時には、でかいヘビに食べられそうになっていたりします。その悲惨な状況を、なぜかパズルを解くことで打破しようとしているのですが、王様が何をやらかしてそんな状況に追い込まれているのか、一切説明がありません。王様はぱっと見で王様っていうか、王冠をかぶり、ふかふかのマントをまとい、口ひげをたくわえた、王様然とした格好をしているので、私は勝手に王様だと思っているのですが、一切説明がないので、実際は、王様のコスプレをした平民かもしれません。そして広告のプレイヤーは往々にしてパズルが下手くそなため、王様の救出に失敗し、見る者をイライラさせます。
気分転換のはずがイライラしてしまったので、何か食べようと、居間におやつを物色しに行ったら、妻がスマホをいじっていました。冷蔵庫を開けながら横目で見ると、妻のスマホの画面で、王様がおぼれていました。

「おい、王様がおぼれているが?」
「うん、なんか、たまにおぼれる」
「たまに?」
「うん」
「たまになら、まあ、いいか」

と、口では言ったものの、自分が王様の立場なら、たまにでもあんな状況に陥るのはいやだと思いました。

「普段は王様はどこにいるの?」
「さあ。公務で忙しいんじゃない?」
「あぁ、言うて、王様だしな。パズルにばかり付き合うわけにも、な」

妻はパズルを解くのに夢中でした。

「王様は、悪政を敷いているの?」
「なんで?」
「いや、広告で見る限り、ひどい目にばかり会ってるから」
「知らん。王様に聞いて」
「……」

私はコップにジュースを注ぎ、居間を後にしました。
インストールしてパズルを解くほどの興味はないので、あの王様が何をしてあんな状況に陥っているのか、誰か教えてください。

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「ローカルルール」1/5

あけましておめでとうございます。
今年も飛ぶ劇場をよろしくお願いします。

家族を連れて、年末から実家に帰っていました。
私の実家は岡山でして、行きは北九州からの上り、帰りは下りとなるため、めったに渋滞に巻き込まれることはなく、いつも車で帰省しています。と言っても6時間くらいかかるため、妻と交代で運転しますが、私はペーパードライバーで運転スキルがやばいことになっているので、五分の四は妻が運転しています。
だから、連れて帰ってもらっている、と言った方が正しいです。

というわけで、実家に着いてからも、初詣や買い物なんかに行く際はマイカーで移動しているのですが、妻がいつも、「あの“ハンドサイン”は一体何なんだ」と疑問を呈します。
細い道を離合する場合などに、こちらが比較的広い所で待っていると、すれ違い様に相手の運転手が、ハンドルに手の平を置いたまま、右手の五本指をピンと立てる“ハンドサイン”を送るのです。
「ありがとう」的なやつだと、私は理解しています。
これは、老若男女問わずします。教習所で教わるわけではないのですが、なぜかみんなします。体感、6割くらいの人がします。
私が岡山で暮らしていたのは18歳までで、県内で車の運転はほとんどしていないため(北九州でもしていない)、ハンドサインを送る習慣は身につかなかったのですが、子供の頃から助手席や後部座席で見慣れていました。
妻は戸畑の生まれで、ハンドサインを送る習慣はなく、たしかに、あれ、北九州で見たことないなと、言われてから初めて気がついたのでした。いわゆるローカルルールなのでしょう。「じゃあそういう時、お前はどうしているんだい」と尋ねると、普通にお辞儀している、と言っていました。
そしてこれがポイントなのですが、ハンドサインを送る人は、往々にして無表情なのです。なんなら、やや不機嫌そうな顔をしている人の方が多いように感じます。

「ありがとう」と、やや不機嫌そうに言う。

その点がどうにも腑に落ちないと、妻は帰省するたびに言います。
父がそうだったのですが、車好きな人ほど律儀にハンドサインを用いる印象があり、無表情が定着したのは、走り屋のお兄さんや、トラックの運ちゃんの影響が大きいのではないかと推測します。母に言わせれば、父は生前、指の本数も使い分けていたようです。つまり、五本指だけでなく、二本指の場合もある、と。二本指であいさつて、悟空かよ、と私は墓前でつっこみました。

ハンドサインで挨拶されるたび、「あれはおかしい」と妻から言われるのですが、私に言わせれば、「北九州で8並びのナンバーを見かけたら、車間を取る」というのも、十分に不可解なローカルルールです。

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「クリスマスの予定」12/19

『2022』長崎公演が無事に終了しました。
ご来場くださったみなさん、ありがとうございました。
私はツアーに帯同していなかったので、長崎での様子は各団員のSNSをご覧ください。

長崎について行かずに私が何をしていたのかというと、普通に仕事をしていました。年末繁忙期です。職場と家を往復する日々を送っています。そんな忙しい時期でも、いや、忙しい時期だからこそ、イベントは開催されるもので、イベントのあるがゆえに忙しい、と言って過言はなく、世の中はクリスマス商戦の真っ只中です。私も我が家でのクリスマスに向け、「おとうサンタ」の準備を進めるべく、息子に24日と25日の予定を聞きました。

「イブはデートで、当日は友達とクリパ」
「は?」

お前は陽キャか、と思いました。
デートとクリパ?
家族以外とクリパ?
そんな青春、送ったことないが?
というわけで、息子のクリスマスに、おとうサンタの入り込む余地など微塵もありませんでした。
「そういうことなら、週末に遊ぶんだから、平日はしっかり勉強しろよ、な? お前、受験生なんやけ。そうやってバランス取るのが、受験生が遊ぶってこと。わかるか? あと遅くなる前に帰って来い。ケーキもあるし。な?」と、どうにかこうにか強がるのが精一杯でした。

じゃあせめて、日頃の感謝も込めて妻をいたわろうかと思い、週末の予定を聞きました。

「は? 仕事ちゃ」
「ですよね」

むべなるかな、と思いました。
妻の職場は観光地でして、週末やイベント事のある日の方が繁盛するのです。
ちなみに私の予定はというと、妻と子の予定を押さえられなかったため、「M-1を見る」の一択です。
クリスマスイブは、サンタコスでテレビの前に座っていることでしょう。

何が言いたいのかというと、みなさんも良い年末をお過ごしください。
メリー!

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「芸名」11/15

飛ぶ劇場『2022』北九州公演、無事終了しました。
ご来場くださったみなさん、ありがとうございました。

私は日曜日に日替わりキャストとして出演しまして、中学生の息子が6年ぶりくらいに観に来たのですが、楽しんでくれたようで何よりでした。
で、翌日の晩飯の時、「父に芸名はないのか?」と聞かれました。
当日、劇場で配布されるパンフレット(通称:当日パンフ)に、私の名前もでかでかと載っていたからです。
普通に本名で活動しているため、「いや、芸名などないが?」と答えました。
「そうか」と、息子はもくもくと鍋をつつき始めました。
それは、あれか、あんな風に、舞台上で泣いたり、喚いたり、寝転んだりするのが父親だとバレたら、イヤなのか、と私は思いました。反抗期なのか、とも思いました。もしかしたら、クラスで孤立する原因につながるのかもしれない、それは一大事だと、私は息子の気持ちを慮りました。
そこで、「いい感じの芸名を考えてくれたら、採用しないでもないが?」と私は提案しました。
「そうか」と、息子は鍋をつつきました。

劇団内にも、芸名で活動している者は何名かいます。私も芸名自体は考えたことがありました。舞台では、長さを測る際、昔ながらの「間(けん)」という尺貫法の単位が今でも採用されていまして、180cmが約1間で、私の身長も大体それくらいなので、「藤原 “一間” 達郎」という芸名を考案し、後輩たちから、「一間さん、おはようございます!」と挨拶されたり、スタッフさんから、「一間さん、入られました!」などと呼ばれるのはなかなかいいんじゃないか、と長年温めておりました。しかし、なんだか気恥ずかしかったことと、ミドルネームが追加されただけで本名が全然隠れていないことと、単にこれまで私生活に支障が出なかったことから、今でも本名で活動しています。
ただ、息子の学校生活に支障が出るのであれば話は別、芸名を採用するのもやぶさかではない、と思い、鍋をつつきながら、妻も一緒に、私の芸名を考えることになりました。

議論は白熱し、怒号が飛び、火花と鍋の汁の散る中、経過はよく覚えていないのですが、なぜかジャッキー・チェンの要素を取り入れる、という前提で考案されることになり、結果、私の芸名は、「藤原 蛇鎖郎(じゃちぇろう)」ということで落ち着きました。「鎖」をチェーンと読み変えた所がポイントです。
なので次回公演以降、私生活になんらかの支障をきたしたら、私は蛇鎖郎として活動しますので、みなさん、その際はどうぞよろしくお願いします。

何が言いたいのかというと、『2022(にーまるにーにー)』は12月に長崎で公演しますので、そちらもどうぞよろしくお願いします。

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「2022年」11/5

稽古場の様子はもうネタバレになりそうなことばかりになってきたので、ちょっと前のことを書こうと思います。

今年の春、新作『2022』を執筆するにあたり、泊さんから「去年、何してた?」という取材を、みんなで何度か受けました。
時事ネタはグーグル先生に聞けばすぐ出てくるのですが、個人的なことも意外と忘れているもので、X(旧Twitter)などを参照し、「あぁ、こんなこともあったな」と振り返ったものでした。

その中で私が印象に残っているのが宇都宮くんのエピソードで、宇都宮くんは去年、仕事で数ヶ月間、テキサスに行ったらしいのです。初の海外出張で、宿泊先から職場まで、自ら車を運転し通勤したと言うのだから驚きです。
ご存知の通り、アメリカは右車線です。頭でわかっていても身体に馴染むまでに時間がかかるのが人間で、私ならまずその時点でお断わりする仕事でしょう。ていうか、私は日本でも車を運転しません。運転が下手くそだから。車線関係ない。
コロナ禍の真っ只中ということもあり、宇都宮くんは休日も外出せず、宿泊先でずっとモンハンをしていたそうです。そして日本に帰国してからも、二週間、空港近くのホテルに隔離され、がたいのいい係員に勝手に外出しないよう見張られるという、稀有な体験を強いられたのでした。相当な厳戒態勢で、2023年の今とはちょっと空気感が違いますね。食事も決まったものが用意されて味気なかったと言っており、ようやく外(シャバ)に出られ、最初に食べた松屋の牛丼がめちゃくちゃおいしかった、という話です。
これだけで一本のお芝居になりそうなエピソードですね。
まずは空港で、日光を手で遮りながら、「ここがテキサスか……」と独りごちるシーンからスタートです。

実際には泊さんが、みんなに取材したエピソードを元に発展させ、『2022』という作品を書き上げたため、宇都宮くんのエピソードがこのままの形で採用されているわけではありません。
果たして、最初のシーンはテキサスからスタートするのか。
いよいよ今週末から開幕します。
そして私は昨日追加されたセリフを今から覚えます。
乞うご期待!

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「でんじろう」11/1

その日も『2022』の稽古を終え、程よい疲労感で帰路についていた所、乗岡さんに話しかけられました。

「でんじろう、でしたね」
「え?」
「でんじろう」
「……でんじろう?」

この人、急に何を言い出したんだろう、と私は思いました。
私にはここ最近、「でんじろう」について思い当たる節が微塵もなかったからです。
よく見ると、乗岡さんは稽古中のテンションを引きずっているのか、目がバキバキでした。

「でんじろうって、あれですか? サイエンスショーの……」
「サイエンスショー?」
「ほら、メガネをかけた、白衣の」
「あ、そっちじゃない方のです」
「じゃない方?」

他にでんじろうなんていたっけ? と、私はぽかんとしました。
すると、乗岡さんが急にハッとし、笑い出しました。

「あ、そうか、でんじろうはチェンソーマンだ」
「は?」
「チェンソーマンでした、でんじろうは、勘違い、勘違い(笑)」
「チェンソーマンのはデンジくんですよ」
「あれ?」

目がバキバキで、自分の勘違いで爆笑し始めた乗岡さんを見て、「こいつはイカれてやがるぜ」と思った私は、ポケットに入れていた飴ちゃんを乗岡さんにあげました。

「大丈夫ですか、乗岡さん」
「大丈夫、大丈夫。ただちょっと、間違えたんです。でも、そうじゃなくて、俺が言いたかったのは、鬼滅の刃のでんじろうです」
「鬼滅の刃は炭治郎ですよ!」
「え、じゃあ、でんじろうって誰ですか?」
「知りませんよそんなの!」

私はこの日、日替わり出演のネタとして、鬼滅の刃っぽいものを用意したのですが、そのことを乗岡さんは、ずっと「でんじろう」で伝えようとしていたのでした。

何が言いたいのかというと、乗岡さん、ゆっくり寝てください。

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「日替わり出演」10/29

『2022』の稽古に行くと、文目くんも来ていました。
文目くんは宇都宮くんに代わり、急遽、日替わり出演をすることになったので、この日が初参加なのでした。
日替わり出演者同士が稽古場で顔を合わせることはあまりありません。稽古にあまり参加できないから日替わり枠で出演しているのであって、毎回稽古に顔を出せるのであれば、普通に出演しています。そしてそういうポジションであるがゆえに、日替わり出演に求められているのは、骨子を作るメインの出演者達を引っ掻き回すような、予測の立たない動きである、と私は考えています。(個人の見解です)
だから、日替わり出演者同士が鉢合わせると、お互いの出方を探るみたいな、微妙な空気になります。「俺はこういうネタを用意して来たけど、お前はどう来んの?」みたいな、稽古というより手見せの意味合いが強く出るのです。

文目「セリフ、もう覚えました?」
藤原「当然だよね」
文目「さすがです。僕、日替わり出演、初めてなんです」
藤原「まあ、私はこう見えて、日替わり歴15年目の“日替わリスト”だから」
文目「? あ、はい」

劇団内でも“日替わリスト”などという言葉は別に浸透していないのですが、よくわからない言葉を用いることで、文目くんに対してマウントをとったのでした。つまり、新しいスキームに移行することで、ステークホルダーを意識し、蓄積されたナレッジをバッファした、ということです。

藤原「じゃあちょっくら、場(ダンスホール)をかき乱して(湧かせて)くるわ」

そう言って私は舞台に立ち、台本に全く書かれていない「夜明けのスキャット」を歌い上げ、他の出演者たちを茫然とさせたのでした。そして焼け野原しか残っていない状況で文目くんに場を譲りました。

藤原「まあ、こんなものだがね」
文目「ありがとうございます。勉強になりました」

その後、ベテランの風格で文目くんの演技を見ていたのですが、「こいつは、どえらい新人が現れたもんやで……」と度肝を抜かれ、震えた手でペットボトルのお茶を飲んだため、バシャバシャにこぼしました。乗岡さんに至っては足をガクガクさせ、生まれたての子鹿のようになっていました。

そして「俺もうかうかしてられねえな……」と、 兜の緒を締め直したという次第です。
何が言いたいのかというと、どの曜日にも違った味わいの日替わり出演者が登場しますので、お時間と懐に余裕のある方は、見比べてみるのもまた一興です。

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「じゅじゅつとジャジャジャ」10/22

『2022』の稽古前、德ちゃんがパンを食べていました。

德岡「これ、呪術廻戦とコラボしたパンなんです」
藤原「俺、呪術廻戦、見てないんだ」
德岡「そうなんですか?」
藤原「うん」
乗岡「え〜、あんなに面白いのに」

と、乗岡さんが入ってきました。乗岡さんが呪術廻戦をチェックしているのは、なんだか意外でした。

藤原「乗岡さん、呪術廻戦、好きなんですか?」
乗岡「今、一番好きですよ」
藤原「一番ですか?」
乗岡「一番です。まあ、永遠の一番はスラムダンクですけど」

私は漫画が好きでよく読むのですが、バトルやスポーツもの、もしくはそれらを前面に打ち出した宣伝をしている漫画にあまり食指が動かないのでした。それはおそらく、漫画で得たアイディアを芝居のどこかで活かしてやろうという打算が働いているからで、バトルやスポーツの要素を取り入れようと思ったら、殺陣などのフィジカル面の鍛錬が必要になり、身体的にも、年齢的にも、そっち方面を伸ばすのは半ば諦めている点が影響していると思われます。

藤原「実は俺、鬼滅の刃も見てないんだ」
乗岡「流行に乗り遅れてますね」
藤原「今からでも読んでみようかな」
コン「鬼滅の刃の漫画はジャジャジャってしてるから、アニメから入った方がいいですよ」
藤原・德岡「え?」

と、それまで黙っていたコンちゃんが話に入ってきました。コンちゃんは鬼滅の刃が大好きで、映画も4回行ったと言っていました。

藤原「ジャジャジャって何?」
コン「漫画はジャジャジャってしてるんです」
藤原「呪術廻戦は?」
コン「あんまりジャジャジャってしてません」
乗岡「わかる」
藤原・德岡「(わかるんだ……)」
乗岡「呪術はジャジャジャってしてませんよ」
藤原「え、ジャジャジャって何?」
コン「漫画の方です」
藤原「だから、何がジャジャジャってしてるの?」
コン「鬼滅の刃ですよ」

これは埒が明かないと思った私は、ジャジャジャの正体を知るべく、質問の仕方を変えました。

藤原「鬼滅の刃の他には、どの漫画がジャジャジャってしてるの?」
コン「北斗の拳は、ジャジャジャってしてますよ」
藤原「お、それは、なんとなく、イメージがしぼれたぞ。じゃあドラゴンボールも……」
コン「ドラゴンボールはジャジャジャってしてませんよ」
乗岡「ドラゴンボールはしてません」
藤原・德岡「(わかんねえよ……)」

なぜかジャジャジャに関して、コンちゃんと乗岡さんはツーカーなのでした。

藤原「けど、北斗の拳がジャジャジャってしてるってことは、そのジャジャジャ具合が好きな人にはハマるってことだろう?」
コン「そうですけど、私はジャジャジャってしてない方が好きです」
藤原「コンちゃん的に、ジャジャジャってしてない漫画の代表格って何?」
コン「転スラです」
德岡「スライムはそりゃジャジャジャってしないでしょう」
コン「そうなんだけど、スライム以外もジャジャジャってしてないのよ」
藤原「転スラはあれ、小説が原作だろ? 小説もジャジャジャってしてるの?」
コン「文字がジャジャジャってするわけないじゃありませんか。何言ってるんです?」
藤原「わからないから聞いてんだよ!」

結局、最後までジャジャジャの本質はつかめませんでした。
何が言いたいのかというと、呪術廻戦と鬼滅の刃を見たいという気持ちが、2%くらい上昇した、ということです。
稽古は順調です。

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「代役」10/16

先日の稽古には乗岡さんが来られなかったので、私が代役を務めました。
業界用語で言うところのスタンドインですね。
芸能人がキャスティングされているような大きな現場では、あらかじめスタンドインとして若手の俳優さんが雇われていたりもしますが、飛ぶ劇場にそんな余裕はなく、手の空いている者がやっています。つまり、乗岡さんが芸能人で、藤原が若手俳優ということです。今年で芸歴28年目になります。
私はちょくちょく稽古場をうろついており、手が空いています。今回の『2022』には日替わりで出演しますが、役が振られていない場合でも、できるだけうろつきます。私はね、うろつきますよ。うろつくという行為の可能な限り。うろつかない私などもはや私ではない。足さえ動けばうろつけるんです。そうやって、うろついて、うろついて、どうにかこうにかネタを拾い、この日記を更新するんです……。

代役のいい所は、進行のルールさえ守っていれば、無責任にふざけられる所です。本役の人の真似をしたって面白くありません。もちろん、そういう演技を求められる現場もあるでしょうが、稽古の初期段階ではさまざまな可能性を探る方が、相手役にとっても有意義であると私は考えます。だから演出の泊さんから止められない限り、やりたいようにやっています。
私は初見読みが比較的得意なため、代役を任されるのは嫌いではありません。初見読みの能力とは、「目にしたセリフの意味や文脈を、瞬時に理解し、演技に変換して表出するスキル」と言えるのではないでしょうか。私がどうやってそのスキルを身につけたのかと言うと、身につけようと思って身につけたわけではなく、おそらく、読書の習慣の中で付随的に身についたものです。初見読みが得意だと、俳優の出演者オーディションなんかでは有利ですね。普段あまりしゃべらないので、脳の処理に口の動きが追いつかない場合の方が多いです。

実はこの日、はやまんも不在で、はやまんの代役を桑さん(芸歴約40年)が務めることになりました。こうなって来ると、ちょっと事は複雑です。なぜなら『2022』には、乗岡さんとはやまん、二人だけのシーンがあるからです。乗岡さんとはやまんが不在ということは、代役である私と桑さんのシーンが発生するということで、これは一体、何の稽古をしているんだろうと、虚無が発生することになります。だから泊さんも、「代役二人のシーンは、もちろん飛ばすから」と了承してくれました。泊さんにしたって、限られた時間の中で稽古しているため、虚無を生みたいわけではないのです。

インタビュー動画でも語っているように、今回、乗岡さんは店長の役です。


※動画はこちら

店の長たるもの、現場をまわす必要があり、まわせない店長など以ての外、乗岡さんに負けてなるものかと、私は時にふざけつつ、時に出ハケを失敗し、全力で代役を務め上げ、声を枯らしました。
そして問題の私と桑さんのシーンですが、なんか、シーンとシーンの繋ぎ目のようなシーンで、一旦切ると流れのようなものがなくなって勿体無かったので、結局やりました。
その時の写真がこれです。

いい笑顔。(撮影:德岡希和)
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「それなりの服装」10/9

宣伝用の映像を撮影しました。
宣伝用の映像というのは、お芝居を宣伝する映像のことでして、宣伝するお芝居というのは当然、来月から上演する新作『2022』を指し、SNSやyoutubeを使って、『2022』に興味を持ってもらえそうな映像を配信し、お客さんを増やそうという試みです。
なので、それなりの服装を用意して来てね、と事前に通達がありました。というのも、小汚いジャージを着たおじさんが映っている映像より、きれいなジャージを着たおじさんが映っている方が、見映えするからです。意図した小汚さ、たとえば、娘に見捨てられたリア王みたいな、小汚いけれど実は王様、のような人物の登場するお芝居であれば、小汚いジャージで宣伝することに意味もありますが、特にそういったことのない限り、おじさん的には小汚いジャージより、洗い立てのきれいなジャージで出演するに越したことはありません。もっと言えば、おじさんはおじさんでも、きれいなジャージを着たトムクルーズが映っている方がさらに見映えするのですが、残念ながら、トムクルーズは飛ぶ劇場の劇団員ではないため、きれいなジャージを着て飛ぶ劇場の宣伝用映像に出演してくれることはまずないでしょう。トムのきまぐれで、飛ぶ劇の宣伝用映像に出演してくれるのと言うのであれば、小汚いジャージでも全然かまわないと私は思います。なぜなら、小汚いジャージを着たトムは、きれいなジャージを着たおじさんの何十倍、何百倍もの宣伝効果を生むこと請け合いだからです。しかし今の所、トムの気まぐれが発揮されたというような話は私の耳に届いていません。そしてトムは、『2022』の宣伝より、『ミッション:インポッシブル デッドレコニング PART ONE』の宣伝で忙しいでしょうから、『2022』の宣伝用映像は、きれいなジャージを着たおじさんでなんとか手を打っていただきたいと思っている次第です。
さて、おじさんに焦点を絞ってお話ししてきましたが、飛ぶ劇場にはおじさんだけではなく、なんと、若者も存在しています。きれいなジャージを着た若者は、きれいなジャージを着たおじさんよりもバエること間違いなしです。しかも男性だけでなく、女性まで登場すると言うのですから、画面がまぶし過ぎて見られず、逆に宣伝にならないんじゃないかと、いらぬ心配までしている所です。

何が言いたいのかと言うと、ジャージに限らずそれなりの服装で撮影に臨んでいますので、映像が公開された際にはぜひご覧下さい。

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「7G」9/27

『2022』の稽古でした。
『2022』は、「にーまるにーにー」と読みます。

德ちゃんが、小道具で使う印刷物をプリントして来ました。
「これ、德ちゃんがデザインしたの?」
「はい。スマホで」
「スマホで!?」
「今、スマホで何でもできるから」
德ちゃんが作って来たものは、とてもスマホで作ったとは思えないクオリティに仕上がっていました。
今はスマホでなんでもできるのです。
そう、iPhoneならね。
先日発売されたiPhoneも、ものによってはMacより高額だったので、機能的には遜色ないのでしょう。

スマホの通信が5Gになった時、私は衝撃を受けました。
5Gというのは通信の規格のことで、3Gより4G、4Gより5Gの方が、単純に早いのです。あまり詳しくはないので、「G」が何を表しているのか、私は知りません。
で、5Gという規格が発表された当時、4~5年くらい前でしょうか、その素晴らしさを宣伝するCMが流れていました。父親らしき男性と、その息子らしき若者が、スマホでビデオ通話をしていると、5Gが力を発揮し、父親の目の前に息子とその友人が現れ、楽器の演奏を披露、父親が大いに喜ぶ、といった内容でした。それを見た私は、「これはちょっと、すごい時代が到来したぞ」と思いました。5Gを使うと、何がどうなってそうなるのかはわからないが、とにかく、北九州の自宅にいながら、岡山の実家に帰ることができる、と思ったのです。ほぼどこでもドアじゃん、と。
もちろん、5Gを実際に使用している我々はすでに知っているように、そこまでの機能は5Gには搭載されておらず、私の受けた衝撃はCM上の演出だったわけですが、これでようやく、スマホを使って散髪ができるぞ、と当時の私は思ったのです。
そう、iPhoneならね。
私はとにかく面倒くさがりで、どうにか床屋に行かず、自宅で散髪ができないものか、と日頃から思案していました。手先が不器用なので、自分でハサミを入れるのは早々に諦めました。特に後頭部。バリカンで丸刈りにならできるでしょうが、丸刈りにしたいわけではないのです。出張してくれる床屋さんもいるようですが、主に来店の困難な高齢者のためのサービスのようで、まだ高齢者と呼ぶにはやや早い私は、依頼を躊躇しました。一時期は妻にお願いしたりもしましたが、あまり乗り気ではなかったので、これもまたやめました。
そんな自宅での散髪が、なんと5Gを使うことで、何がどうなってそうなるのかはわからないが、とにかくスマホで可能になるです! 私としては、スマホで美容師さんとビデオ通話し、ハサミやクシをケーブルで繋ぎ、遠隔で切ってもらうイメージでした。CMを見た感じ、遠隔での演奏が可能なら、散髪も楽勝だろう、と思ったのです。ほぼ着せ替えカメラじゃん、と。

みたいな話を、稽古場でみんなに披露した所、「そんな時代はまだ来ねえよ」「それ、5Gじゃなくて、7Gくらいだよ」と一蹴されました。
しかし、画像や文章の生成AIを始め、テクノロジーの進化はすさまじく、数年前では想像もできなかったようなサービスが、世の中にはすでに浸透しています。遠隔で散髪してくれる未来もそのうち来るだろうと、私は期待しているのです。

何が言いたいのかというと、飛ぶ劇場の新作『2022』はご想像の通り、2022年の話です。2023年を生きている私たちは、劇中の人々より少しだけ未来を生きている、ということになるのかもしれませんね。

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「一肌脱ぐ」9/4

7〜8月は自身の団体の公演でばたばたしており、日記の更新をサボっていました。
飛ぶ劇場と直接関係はありませんが、その頃の私の日記はこちらにしたためておりますので、興味のある方はご覧ください。

さて、秋の本公演、『2022』の詳細を公開しました。
『2022』は、「にーまるにーにー」と発音します。

飛ぶ劇場では、新作の場合、泊さんが出演者の数に合わせて執筆してくれるため、事前に出演の可不可の確認が行われます。
そして今年の『2022』も新作のため、数ヶ月前に確認の連絡があったのですが、私は太田カツキが、ここ何年も出演できていないことを気に病んでおりました。太田カツキは、入団した頃からずっと居酒屋の店員として生計を立てていたのですが、居酒屋の店員だと飛ぶ劇の稽古になかなか参加できないため、最近職種を変えまして、演劇活動と両立できる環境を模索している所です。私も仕事の都合上、俳優としてフルで参加するのは難しい状況であることに変わりはないのですが、そういう団員のために、泊さんが「日替り出演」という、少ない稽古数で参加できる枠を時々設けてくれるのです。ならば一肌脱ごうと、私は泊さんに、「太田カツキのために日替り出演枠を設けるのであれば、私も出演し、その枠を一つ埋めますよ!」と連絡し、泊さんからも、「了解!」と返信が来ました。

それからしばらくは、そんなやりとりをしたことも忘れ、子どものニンテンドースイッチの容量が足りなくて、モンハンがダウンロードできず、どうすりゃいいんだちくしょうと、容量を増やす方法をグーグル先生に聞いたりして日々を過ごしていたのですが、飛ぶ劇のグループラインに、「今年の出演者はこれで行きます」という連絡が来、「ついに日替り枠に、俺と太田カツキの名前が並ぶ時が来たか……」と感慨深い思いでキャスティングの内容を眺めた所、当然、新人横山くんの名前はあり、「うん、うん」と一人うなずき、そして日替り出演の枠に目を移し、名前があったのは、私と、わっきーと、宇都宮くんの三人で、おや、見落としたかな、ともう一度見直し、やはり私、わっきー、宇都宮くんの三人で、「太田カツキわい!」と大声を出しました。自宅だったので、「太田カツキわい!」ともう一度大声を出し、スマホをソファの上に置いてあるクッションに向かって「ぽすっ」と投げつけました。こわれると、イヤだから。
どうやら、ちょうど北九州公演の本番の週末に、仕事上で必要な資格の取得試験がかぶっているらしく、太田カツキの出演は今年も見送られることになったのでした。
まあ、気長に待ちます。(がんばれ太田カツキ!)

何が言いたいのかというと、長崎公演の日替り枠は、長崎ドラマリーディングの会の、たじま裕一さんにご出演いただきます。

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「持ち回りワークショップ」7/5

最近、飛ぶ劇場では、新入劇団員の横山くんが、本公演に臨むにあたっての基礎を身につける稽古を行なっています。
発声や台本を使った演技の稽古もさることながら、劇団員が持ち回りで、俳優として舞台に立つにあたって重視していることを、ワークショップ形式で伝えています。
私も一度担当したのですが、人間の声には方向性があるよ、発し方次第で直線的にも拡散的にもなるんだ、コントロールできるようになると表現の幅が広がります、みたいなことを、理屈ではなく、体感してもらえるといいなと思いながら、ワークショップをしました。

先日は脇内くんが担当の回でした。トランプの数字を使ってテンションの高さを決め、喜怒哀楽のシンプルな感情を表出させ、見ている人が、どの感情を、どれくらいのテンションで表現しているのかを当てる、というものでした。
演者本人は10のテンションでやっているつもりでも、周りから見たら5くらいにしか見えていない場合がある、と認識することが大事で、その誤差を埋めないと、お客さんに適切に伝わらないことになってしまいます。
横山くんにも、自身の想定と、受け取られ方とのギャップを実感してもらいました。

ワークショップの後半では泊さんの台本を使った応用を行い、サブテキスト的な探り方もしました。横山くんの相手役を劇団員が交代で行うのですが、シンプルな感情の表出に単に飽きてきたのです。
サブテキストというのは簡単に言うと、セリフには書かれていない裏設定のようなものです。たとえば焼肉を食べに行くシーンで、「肉か。うん」というセリフがあったとして、「この人は金欠である」というサブテキストを追加するのか、「ヴィーガンである」というサブテキストを追加するのかで、セリフのニュアンスが全然違ってきます。
「喜の1」は「哀の10」にも見えるよね、というような、見る側の主観に関わる部分にも意見が広がりました。それらの要素も踏まえて演技は組み立てられ、お客さんに伝達されます。普段、経験則で何気なく行なっている振る舞いも、改めて言語化すると新鮮な気づきがあり、大変面白かったです。
稽古前と後とで横山くんの演技にも変化が見られ、有意義な時間となりました。

何が言いたいのかと言うと、横山くんはコーヒーを生豆の状態で購入し、自分で焙煎しています。

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「スパイシー」6/13

過日、飛ぶ劇場の劇団員オーディションが開催されました。
私には歯医者の検診の予定があり、それが終わり次第の参加だったので、遅刻してしまうかもしれないな、と思いながら当日を迎えたのですが、検診がスムーズに終わったのと、電車の乗り合わせがスムーズに行ったのとで、かなり時間に余裕を持って参加することができました。

現地に着くと、宇都宮くんが会場の使用申請書類を書いていました。

「今、令和何年でしたっけ?」
「5」
「ありがとうございます……早かったですね」
「歯医者さんが、」
「歯医者?」
「予定より早く終わったので」
「いや、そっちじゃなくて」
「え?」
「令和です。5って、すぐ出たなって」
「あぁ」

私の歯の具合など、宇都宮くんにとってはどうでもいい事柄なのでした。
宇都宮くんは何やら個性的なペットボトルのお茶を飲んでいました。

「めずらしいお茶だね。自販機で売ってるの?」
「いいえ。そこの、スパイシーモールで買ったんです」
「スパイシーモール?」
「スパイシーモールです」
「……香辛料のお店?」
「いや、普通のスーパー」
「なんでスパイシー?」
「さあ」
「何か、刺激的だった?」
「普通の店です。グッデイだって、いい日ばかりじゃないでしょ?」
「そんなこと言うなよ。バッデイじゃ客来ないだろ」
「何です、バッデイて」
「宇都宮くんが言い出したんだよ」

私は会場付近の地理に疎く、スパイシーモールという名前のスーパーマーケットを把握していませんでした。
そうこうしていると、德ちゃんが現れました。

「おつかれさまです」
「おつかれさま。德ちゃん、そこの、スパイシーモールって行ったことある?」
「ありません。サニモならありますけど」
「サニモ?」
「サニーサイドモールです」
「サニサじゃなくて?」
「サニサ?」

サニーサイドモールの略称は、德ちゃん的には“サニモ”で、宇都宮くん的には“サニサ”でした。“ドモール”には私も行ったことがあり、ドモールの前の道の工事、いつ終わるんだろう、あれ、完成系じゃないよな、さすがに、カラーコーン立ったままだし、なんとかしていただきたい、さすがに、などと思っていた所でした。

「サニーサイドって言うくらいだから、日当たりがいいんだろうね」
「それは時間帯によるんじゃありません?」
「まあそうだろうけれど」
「でも業者入口側は、なんだかいつも薄暗いですよ」
「じゃあそっち側はダークサイドなんじゃない?」
「そんなモール行きたくありません」

そう考えると、量販店系のお店に、企業名ではない名前が付いている場合、概ね、ポジティブなイメージが付与されているのだなという、まあ、当たり前の気付きがあったのでした。

「じゃあ、サンリブは?」
「肋骨。太陽の肋骨」
「リブってそっちじゃないでしょ」
「ゆめマートは?」
「まんまでしょうね。ドリームの夢」
「ひるがえって、スパイシーモールとは何なのだろうね」
「香辛料を使うと、みなさん、どうなります?」
「食べ物が一層美味しくなる」
「つまり、そういうことなんじゃありません?」
「どういう?」
「日々の生活を、より豊かに」
「また、うまいこと言って」

何が言いたいのかというと、オーディションの結果、横山凜太朗が入団しました。

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「仰向け」5/22

今月は集まる機会がなかった上に、職場と家を往復するだけの単調な生活を送っていたため、日記のネタがありません。職場か家のことを書こうかなとも思ったのですが、愚痴しか出なかったのでやめました。そこで、以前の日記のメモを引っ張り出して読んでいたら、途中まで書いてほったらかしにしていたものが出てきて、読み返したら面白く書き足せそうだったので、日記とは、という疑問はさておき、それを掲載します。

※以下、去年の9月頃の日記を元に書き足したものです。

『死者そ会ギ』の稽古でした。
私は今回出演しないので、代役を務めることがあるのですが、今日は泊さんから、「達郎、ちょっとそこに仰向けに寝てて」と言われました。「◯◯役のセリフを読んで」というような依頼には慣れていますが、「寝てて」と依頼されたのは初めてです。「寝ているだけでいいんですか?」と聞いたら、「寝ているだけでいい」とのことだったので、寝ているだけでいいなら、いなくてもいいんじゃないか、と思い、「寝ているだけでいいなら、いなくてもいいんじゃないですか?」と、思ったことをそのまま言いました。なぜなら、私は寝に来たのではなく、稽古を見に来たからです。すると泊さんは、「いや、実際に人がいるのと、いないのとでは、他の人の立ち位置が変わってくるんだ」と言いました。私には演出の経験はあまりなく、なるほど、そういうものなのだな、と納得し、「わかりました」と、舞台の上で仰向けに寝転びました。

仰向けに寝転ぶと、当たり前ですが、天井しか見えません。天井にまつわる私の発想は貧困で、碇シンジくんのイメージしか浮かびません。また、何度も言いますが、私は稽古を見に来たのであって、天井を見に来たわけではありません。そしてどうせ見るなら、市民センターの味気ない天井ではなく、ヨーロッパの大聖堂とかにある、美しいステンドグラスの施された天井が見たいです。だからと言って、「面白みのある天井が見たいので、そういう所で稽古してください」などと要求しては本末転倒です。なので、寝転んだまま台本を持ち、みんなが稽古しているシーンのセリフを目で追うことにより、気を紛らわせることにしました。

泊さんからは「ちょっとそこに仰向けに寝てて」と言われたので、ものの数分のつもりだったのですが、「ちょっと」というのは人によって異なり、私の「ちょっと」は数分でも、泊さんの「ちょっと」も数分であるとは限りません。そしてどうやら、泊さんの「ちょっと」は、そのシーンの稽古が一段落するまでだったようで、おそらく20~30分程度、私は仰向けに寝転んでいました。
寝転んでいて気が付いたのですが、私はどうも、仰向け寝が下手くそなようです。夜、眠りに入る際も、うつ伏せが多いな、という自覚があります。10分を経過した頃、まず、腰に来ました。市民センターでの稽古だったので、寝転んでいるのは当然、ふかふかの布団の上などではなく、かたい床の上だったからです。次に、腹筋に来ました。かたい床の上でリラックスした仰向けをキープできず、知らず知らず腹筋に力が入っており、ただ寝転んでいるだけなのに、ぷるぷる震え始めました。最後に、腕に来ました。仰向けで台本を眺めるということは、台本を持った手を上方向に伸ばし続ける必要があり、二の腕が痺れてきました。そこで、もう台本を持つのはやめ、腕を下ろし、味気ない天井をただ眺めることにしました。腹筋の震えを軽減させるため、膝を立てたりもしましたが、演技の邪魔だったのか誰かに押さえられ、またまっすぐにしました。たまに出演者が私の顔を覗き込む演技をしたのでガン見してやりました。そして、うつ伏せになりたい、もしくは横寝でもいい、つまり寝返りが打ちたい、なんなら立ち上がりたい、などと思い続け、じっとしているのに忙しい時間を過ごしたのでした。
そんな私のおかげで、出演者のこのシーンでの立ち位置が、いい感じに定まったという次第です。

何が言いたいのかというと、飛ぶ劇場はオーディションをします。

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「努力している」4/29

私は通勤に自転車を使用しているのですが、4月1日から道路交通法が改正され、走行時のヘルメット着用が努力義務となりました。この“努力義務”という言葉が曲者で、「違反しても罰則はないっすよ。まあ、注意する可能性はありますけどね。つまりかぶってくれることを希望する」という風に私は捉えています。
法が改正されることには何かしらの意味があります。今回で言うと、「こけると危ないから」です。転倒時の頭部損傷による死亡率がデータとして蓄積され、このままじゃよくないね、ということになったのでしょう。飲酒運転ですら昔は禁止されていなかったのですから。人は学ぶのです。事故してしまった際に、ヘルメットの有無が賠償額に関わってくる、という話も耳にしました。ウーバーイーツなどのデリバリーサービスの流行も一因となっていると思われます。

さて、法改正から約一ヶ月経過しましたが、まだあまりヘルメットを着用している人を見かけません。理由は主に4つに分類されると思います。

・髪がぺちゃんとなる。
自意識が刺激されます。かく言う私も、会社に着く頃には、髪型が少年アシベのアシベみたいな感じに仕上がっています。ゴマちゃんみたいな髪型に仕上がるなら進んでかぶっていく所存ですが、残念ながらアシベの方です。(“ゴマちゃんみたいな髪型”がどういうものなのか、という議論はさておき)

・ださい。
現在、自転車屋で売っているヘルメットは、ガチ勢の方々がかぶっている、カラフルでシュッとした、流線型のデザインのものが大半です。ガチ勢ではないのにもかかわらず、ガチ勢っぽいものをかぶらなければならない辺りに、丘サーファーに似た照れ臭さが出てしまい、周囲から揶揄されるのではないかという不安との対峙を余儀なくされ、やはり自意識を刺激されます。学生などは特にそうでしょう。より日常的なデザインのものの普及が待たれる所です。

・まあまあのお値段。
大人用のヘルメットは、安くても5~6000円します。これを高いと見るか、安いと見るかは人それぞれですが、いきなり国から「自転車に乗りたければ5000円を支払いなさい」と言われ、いい気分のする人はあまりいないのではないでしょうか。本当はバイクや車に乗りたいけれど、お金がないから自転車に乗っている人もいるはずです。

・めんどくさい。
これに尽きます。個人的には自転車のメリットの一つとして、「お手軽さ」がかなりの上位を占めているため、そこに一手間かけることのデメリットと言ったらない。また、バイクならヘルメットを座席に収納できたりしますが、自転車のそれは持ち運ばなければならない。総じて外出が億劫になります。

上記に耐えて着用するあたりに、「努力」という言葉は言い得て妙だなと、今、へんに納得している自分がいます。私も最初は自意識が上回り、周囲の目線が気になって仕方ありませんでしたが、数日もかぶっていれば慣れました。今では逆に「なんでお前らかぶってないん?」と相手を見つめ返す余裕すらあります。嘘です。知らない人と目とか合わせません。心的余裕だけはあります。ルールの遵守や、安全運転という点に、より意識的になったのは事実です。

つまり何が言いたいのかというと、努力している、ということです。
飛ぶ劇場はオーディションをします。


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「2023年の飛ぶ劇場」3/31

先日、飛ぶ劇場のミーティングを行いました。
集合時間の30分前にくらいに会場に着くと、松本さんが本を読んでいました。
その時の様子を、私が日頃から鍛えている文章力を駆使し、文学作品として表現してみたいと思います。

 ――部屋に入ると、彼女は涼しげな表情で本を読んでいた。柔らかく、爽やかな、まるで春風にそよぐ花々のように。
 読書の邪魔にならぬよう、私は静かに席に着いた。が、身長180cmの人物が近くを通過すると、どんなに集中力を発揮していようと、そちらに注意を奪われてしまうのが人間というものだ。それができない者は危険を察知する能力に乏しく、人類史の中で淘汰されてきた種に違いない。つまり、彼女もまた、進化の波に乗ったホモサピエンスの一人ということであろう。本から目を離し、「おつかれさまです」と彼女は言った。
 「おつかれさま」と、私も挨拶を返した。「読書の邪魔をして悪かったね」
 「邪魔だなんて、とんでもありません」と彼女は言った。「私にとって、これは暇つぶしの一つに過ぎません。もしもこれが、私の将来を左右する重大な決断の最中であったとしたら、私はあなたの存在を厄介に感じた事でしょうけれど」
 「将来を左右する重大な決断って、どんなことなのかな」と、小首をかしげ、私は聞いた。
 「重大な決断は、重大な決断ですわ」と、彼女はいたずらっぽい笑みを浮かべ、人差し指を口に当てた。まるで答えることも憚られるほどの、自明な問いであるかのように。
 そのように反応され、さらに“重大な決断”の真相を追求するほど、私は野暮な男ではない。すべからく、その後はただ、お互いの言葉を交換するだけの空虚なやりとりに勤しむこととなったのは言うまでもない。
 「トートロジーだね」と私は言った。「最近では、小泉進次郎氏が巧みに操っているが、その語法を政界で用いるというのは、どうなのだろうね」
 「私、政治的な発言は控えるようにしていますの」
 「そいつは失礼した。髪、切ったんだね」
 「えぇ」
 女性の髪の変化に言及するという責務も、私は決して忘れることはなかった。

 それから間もなく、彼女は再び本に目を落とした。本の内容が興味深いからなのか、私とのやりとりに飽き飽きしたからなのか、今となっては定かではない。とにかく、することのなくなった私は、5年前から愛用している“iPhone8”という名のスマートフォンを扱った。ポケットに収まるコンパクトなサイズ感と、なんかつるんとしたデザインが私のニーズを満たしていた。が、今月の契約データ量にはすでに到達していたため、“iPhone8”の通信速度は異常に遅かった。まるで、そう、亀のように。
 データ通信のできないスマートフォンは、その機能の9割を制限されていると言っても過言ではない。私は残りの1割でできることを模索した。まずはカメラ機能だ。多くの者にとって、その機能でできることと言えば写真撮影であろう。ただ、私にとっては別の使用法もあるのだが、それはまたの機会に譲るとする。
 私は想像力を働かせてみる。もしも写真撮影を行うとして、風景写真に興味のない私は、必然的に読書中の彼女を撮影することになるだろう。そう、必然的に。言い換えればそれは“運命”。私がカメラを構えることと、彼女が被写体になることはセットなのだ。が、女性にとって、不意に撮られる写真ほど不快なものはない。ていうか読書の邪魔だ。中年男性が若い女性を許可なく撮影している姿には犯罪の匂いが漂う。私はまだ、自分の今後の人生に少なくない希望を見出しているため、カメラ機能の使用は控えることにした。懸命な判断と言って差し支えない。

 カメラ機能以外で、データを通信せずとも使える機能となれば、これはもう、電話しかあるまい。私は電話帳を開いた。そして“ある番号”を呼び出し、発信ボタンを押下した。すると、室内の机上に置かれた別のスマートフォンから着信音が流れた。

 おんおんおん おんおんおん おんおんおんおん おんおんおん……

 着信音は、4月に北九州芸術劇場の小劇場で上演される、PUYEYの「おんたろう」のテーマであった。彼女は本から目を離し、スマートフォンの画面を確認すると、しょうがないな、といった風にため息をつき、電話に出た。「もしもし」
 「私だ」
 「知っています。なぜ同じ室内の、しかも隣の席にいるにも関わらず、わざわざ電話をかけてきたんですか?」
 「ちょっとしたお遊びだよ。邪魔だったかな」
 「邪魔だなんてとんでもない。私にとって、読書は暇つぶしの一つに過ぎないんです」
 「おや、今、デジャヴしたな」
 「デジャヴじゃありません。数分前に、同じやりとりをしたんです」
 「そうだった。髪、切ったんだね」
 「えぇ」
 ふふっと笑い合い、我々は電話の接続を切った。
 充電が、もったいないから。

 「何の本を読んでいるんだい?」と私は彼女に聞いた。まるで、何の本を読んでいるのかが気になっている人のように。
 「日本語の個性についての本です」と彼女は言った。「私、日本語が好きなんです。日本語はお嫌いですか?」
 「どうだろうね。好き嫌い以前に、日本語以外の言語の良さがあまりわかっていない。日本語しかまともに扱えないからさ。そもそも、日本語もちゃんと扱えているのか疑わしいものだが、まあ、好きですよ、日本語」と私は答えた。「ペンネグラタンのことが好き、という事実と、同程度のことではあるのだが」
 「ペンネグラタン?」と彼女は聞き返した。
 「例えば、さ」と、私は軽く受け流した。
 「私の日本語の好きな所はですね」と彼女が言った。「御茶ノ水、って、あるじゃないですか」
 「東京のかい?」と私は聞いた。
 「そう、東京のです」と彼女は答えた。
 「東京以外にも、御茶ノ水って、あるのかな」と私は聞いた。まるで小首をキープし、それ以外の全部をかしげるように。
 「知りません」と彼女は言った。「とにかく、御茶ノ水、なんです。御茶ノ水の『御』が、私は美しいと思うんです。平仮名じゃなくて、漢字の。それはさながら、フリルのついたピンクのワンピースではなく、シックな黒のパーティードレスのようなたたずまいをしている……そう思いませんか?」
 「どうだろうね。私には、フリルのついたピンクのそれも、素敵に思えるがね。おっと、これはセクハラだったかな」
 「かまいません。先に例えたのは私の方なのですから。むしろ、御茶ノ水の『御』に例えさせられた、と言った方が正しいのかもしれませんけれど」
 「いいんだ、どちらの発信だろうと。私がセクハラの罪に問われないのであればね。私はまだ、自分の今後の人生に少なくない希望を見出しているんだ。それはそうと、髪、切ったんだね」
 「それ、言えばいいってもんじゃないんですよ」
 
 その時、部屋の隅に設置された掃除用具入れのロッカーが、ガタガタとけたたましい音をたてた。きっとそこは異界へとつながる出入口になっており、何者かが“こちら側”へと転移されて来たのだろう。私と彼女がロッカーに注意を傾けていると、不意に窓ガラスがガラッと開き、木村健二が顔を出した。そして「新車を買った。ポルシェのカイエンだ。9月に納車される」と早口で捲し立て、ばたばたと小倉城へ去って行った。この部屋は建物の三階なのに、という謎を残して――

その後、ミーティングを行い、2023年度の予定についてざっくり話し合ったという次第です。

何が言いたいのかというと、村上春樹の新刊が出ることもさる事ながら、飛ぶ劇場はオーディションをします。

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「ラブレター」3/10

 今まで、あなたに想いを寄せることができなかった自分が情けなく思います。でも勇気を振り絞り、この手紙を書くことにしました。

 あなたとの出会いはいつのことだったでしょう。あなたは気がつけばそばにいました。まるでそうであることが当たり前であるかのように。
 あなたと出会ったとき、私はあなたの美しさ、優しさ、聡明さ、またその残酷さに惹かれました。いつも私に寄り添い、笑顔で応えてくれる。そんなあなたに私は癒され、励まされ、時につらい想いをさせられました。

 あなたのことを考えるたび、心が騒ぎます。一緒にいると、何もかもが素晴らしく感じられます。まるで穏やかな泉のように優しく流れ、その清らかな水の底に思いやりが宿ります。世界は夜空に輝く星々のように輝きを放ち、その光に包まれたなら、私の濁った心は一瞬で浄化されるのです。
 この気持ちは、愛と言って差し支えないのではないでしょうか。時が経ち、季節が移ろっても、それは永遠に続くものだと確信しています。この絆が繋ぐ私たちの物語は、揺るぎない大傑作となること請け合いです。あなたに、私と一緒に過ごす時間を共有してもらえるのであれば、何よりも嬉しく思うのです。

 しかし、あなたに私の愛が届かないのだとすれば、私はこの先どうやって生きていけばいいのかわかりません。あなたのいない世界のことを、今となってはもう思い出すことができません。そんなことは考えたくもない! 太陽が沈むその刹那に心が震えるように、まばゆい輝きを放つ夕日にあなたの顔が浮かび上がります。あなたという太陽の沈んだ世界で私はもはや亡者も同然。かろうじてできることがあるとすれば、朝になったら東の空から顔を出してくれると信じ、早起きを心がけることくらいです。私にとってあなたは、それほどに切っても切れない存在となっているのです。

 これからも、私はあなたを想い続けることでしょう。あなたと人生の喜びと悲しみを分かち合いたい。私たちが一緒に過ごす時間は、お互いをより深く理解し合い、愛を育くむためのものです。私はあなたと、いつも互いに支え合い、共に歩んで行きたい。

 だから行かないで。ギガ……

何が言いたいのかというと、今月のデータ残量が1ギガを切りました。

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「登場人物名」2/19

お話の登場人物にはたいてい名前があります。私はどうやら、名付けにものすごく時間をかけるタイプの人間のようで、RPGゲームでも最初のキャラメイクで、1〜2時間くらい平気で吹っ飛びます。
戯曲を書き始めた頃も同様で、名前や背景をああでもない、こうでもない、と考えて付けていました。登場人物が5人いれば、5〜10時間くらいかけていました。

ただ、書きあがった戯曲を読み返して、名前や背景が、話の内容にどの程度影響しているのかを考えた時、自分の戯曲ではその重要度が低いな、という気づきがあったのでした。登場人物の個性を深めれば良いのではないか、とも考えましたが、どうやら私には、そこを追求する興味があまりないようで、興味の薄いものを追求するモチベーションを維持できず、あきらめました。なので、その上で成立するお話とはどんなものだろう、と考えるようになりました。

ご存知のお方も多いと思いますが、古代ギリシャ劇では主要人物以外はコロス(コーラス)と表記されています。また、故別役実氏の戯曲の登場人物は、「男1」や「女2」のような表記をされている場合がほとんどです。それは、特定の人物の個性や葛藤を掘り下げるのではなく、その他大勢の中の一人が、周囲の状況や事件に翻弄される姿を描いているからではないか、と私は思っています(ご本人に聞いたわけではないので、あくまで私見です)。
影響を受けた私はそれに倣った表記をするようになり、アルファベットや数字、名付けるにしても、田中や山田や佐藤、片仮名ならジョンやポールやジョージを採用しています(“リンゴ”はちょっと個性が強過ぎるので不採用)。

なぜ名前を付けるのかを考えたとき、単純にお客さんにとってわかりやすくなるというメリットがまずあります。判別しやすいし、個性や周囲との関係性を与えることができる。制作する側としても、人物に愛着を持って接することができます。
我が子の名付けなんかだったら、人生で数少ないイベントの一つなので、存分に時間をかけて考えればいいと思うし、ゲームも同様、これからはじまる冒険に感情移入するため、大事なことでしょう。

しかし、すべてのお話でその必要があるわけではありません。たとえば先ほども挙げたように、状況や事件に翻弄される小市民を描く際には重要度は低くなり、また登場人物が夫と妻の二人で、家の中で完結する話であれば、苗字を設定する意味はあまりなくなります。なんなら、下の名前も不要かもしれません。

登場人物には、主人公、敵役、ヒロイン、脇役、エキストラ、モブといった役割が存在します。主人公〜脇役あたりは、名前や背景を設定するメリットの方が大きいですが、エキストラ、モブあたりになると、あまり意味がなくなってきます。
つまり私は、エキストラやモブしか登場しないお話を書く傾向にある、ということになります。それらのキャラクターが活きる状況を設定するのに、毎回苦心しています。

演劇作品の場合は、戯曲の段階で無個性なキャラクターを創造しても、それを演じるのは人間なので、俳優によっていくらでも個性が出てきます。しかしこれが小説になると、表記上の問題が出てきます。男が二人同じ場面に登場したとして、二人とも名付けなかった場合、判別するために「でかい男」や「ヒゲの男」といった特徴を挙げる必要があります。特徴を挙げるくらいなら、もう名前付ければいいじゃん、という気分になるので、媒体によってその役割も変わるのだなと、以前、mola!に小説を掲載してもらった時に気づいた次第です。

何が言いたいのかと言うと、私が背景を掘り下げて創造したキャラクターは「太田カツキ」くらいだ、ということです。

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「ある集まり」1/17

「ヤマダさんって知ってます?」
「え?」
「ヤマダさん」

と、德ちゃんがわっきーに聞きました。最近知り合いになった「ヤマダさん」という方に、自身が劇団に所属していることを伝えたら、「あ、じゃあ、わっきーって知ってる?」という話になったのだそうです。

「ヤマダさん……ヤマダさん……」
「あれ、覚えありません?」
「いや、なんか、知り合いにいそうな名前ではあるんだけど……」
「『わっきーにヤマダって言ったらわかる』って言ってましたよ?」
「え~……ヤマダさん……」

わっきーは腕を組んでうんうんうなり、考えている風にアピールしていました。
飛ぶ劇場の、とある集まりでの出来事でして、日本特有の製法で醸造された飲み物を多く取り揃えたお店が会場だったのですが、英語表記の店名、コンクリートで打ちっぱなしの内装、シックな店員さんの服装など、お洒落さが爆発していました。

「ヤマダでしょ? ヤマベじゃなくて」
「ヤマベ?」
「いや、ヤマベならいるんだよ、知り合いに、こいつだっていうのが」
「え、ヤマベさんだったかな……」

德ちゃんがスマホを取り出しました。スマホにはスマホと同じサイズのバッテリーが接続されており、全く携帯に適した大きさと重量ではなくなっていました。
店員さんが「レモンサワーです」と言い、ピンク色の液体を置いたので、みんなで二度見しました。北九州のご当地レモンサワーらしく、紫芋の色素でピンクにしているそうです。人間は視覚の生き物なので、ピーチサワーと言って出されても誰も疑わないのではないでしょうか。

「ヤマダって言ってもたくさんいるでしょ。トップテンに入る苗字なんだから」
「そもそも、苗字なの? それとも名前?」
「ヤマダなんて名前の人いないでしょ」
「ヤマベもですよ」
「知り合いに、ユキミさんと結婚して、苗字も名前もユキミになった人がいるんだよ」
「じゃあ今その方、ユキミユキミさん?」
「そう」
「へえ」

苗字には大抵由来があります。木の下に住んでたから木下さん、森に住んでたから森さんなど、往々にしてシンプルなものです。だから、ユキミさんは雪をずっと見ていたんだろうか、などとどうでもいいことを考えました。
料理もお洒落で、タケノコのアヒージョにガーリックラスクを添えたものが出てきました。ニンニクの香ばしい匂いが食欲をそそります。僕はラスクの上に具材を乗せて食べようと試みたのですが、スプーンを使いこなすにはスキルランクが足らず、ことごとく皿に落ち、結局別々に食べて口内で融合させました。

「メガネ、かけてない?」
「え?」
「ヤマベ……じゃなくてヤマダさん、メガネ、かけてるでしょ」
「いや、私が見た時はかけてませんでした」
「あれ? ヤマベはメガネだったんだけどな……つぶらな瞳してる?」
「どちらかと言えばぱっちりです」
「ガタイがいいよね?」
「まあ、わっきーさんに比べたら」

誰のこと言ってんだよ、と、その場にいた全員が思いました。
林くんが「白菊にごり」というお酒を注文しました。製造元は岡山です。店員さんが一升瓶とぐい呑みを持って現れ、その場で注いでくれました。僕は飲めないので見た目の感想しかでないのですが、カルピスの原液と水の割合が8:2くらいのとろみがありました。
德ちゃんも大概酔っているのか、スパイダーマンが糸を出す時みたいに手首を突き出し、俗に言うギャルピースを連発していました。

「ヤマダさん、最近結婚したって言ってましたよ」
「え、じゃあヤマモトくんかな」
「ヤマモトくん?」
「俺の知り合いで、最近結婚したんだよ」
「ヤマモトじゃなくてヤマダですよ」
「結婚してヤマモトくんの苗字変わったんじゃない?」
「婿養子ってこと?」
「ヤマモトくん、婿養子?」
「いや、そこまではちょっと……」
「ヤマダさんの芸名がヤマモトの可能性は?」
「なんのために?」

今度はみんな大好きカラアゲが登場しました。「うお、セセリのカラアゲ、美味しそう!」とわっきーが言うので、「え、見た目でセセリってわかるの?」と僕は驚きました。わっきーのシャツには飛んでるカモが大量にあしらわれており、鳥の部位に異常に詳しいのではないか、と思ったのです。が、「いや、さっき店員さんがそう言ってたから」とがっかりさせられました。カラアゲの上にはネギともみじおろしのようなものがまぶしてあり、脂っこさを微塵も感じさせませんでした。

「写真、持ってないの?」
「私はありません」
「スマホ無駄にでかいのに」
「うるせえな。わっきーさんは?」
「昔のならあるな……この中にいない?」

と、わっきーがスマホを操作し、30人くらいが写っている集合写真を表示したので、まるでウォーリーを探すような感じになってしまいました。德ちゃんははなから見る気がありませんでした。
極めつけはミルフィーユ鍋です。カセットコンロに鍋が設置され、白菜がくたくたになって行く様子をみんなで眺めました。林くんが「わあ、鶏肉だ」と言いましたが、ミルフィーユされているのはどう見ても豚バラです。林くんはかなりのハイペースで日本酒やらウイスキーのロックやらをおかわりしており、誰もその間違いに疑問を持ちませんでした。

「でもわっきーって呼んでるってことは、年上か年下かで言うと、年上だよね」
「そうですね。同級の可能性もありますけど、少なくとも年下ではないでしょう」
「男か女かで言うと、男だし」
「だからまあ、ヤマダなのかヤマベなのかヤマモトなのか定かではありませんが、年上か年下かで言うと、年上の、男か女かで言うと、男の知り合いってことです」
「あと、少なくとも人間だよね」
「ですです」
「それもう、覚えてないのと一緒ですよ」
「飲み物、ラストオーダーだって」
「はーい」

何が言いたいのかと言うと、ヤマダというわっきーの知り合いが実在するのか、最後までわかりませんでしたが、僕の認識によると、あの集まりは、いわゆる新年会と呼ばれるものだったのではないか、ということです。

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「物語を買う」1/5

あけましておめでとうございます。
今年も飛ぶ劇場をよろしくお願いします。

みなさん、年末年始にどんなお買い物をしましたか。
私は去年の夏から欲しいと思っていた本棚を自室に増設しました。
これで向こう何年かは本の収納に困ることはないでしょう。

私たちは物を買う時、その物のある生活をイメージします。
たとえばソファの購入――休日の夜、くつろぐ家族の姿。カリモクのソファを中心に形成される団欒。快適な座り心地に加え、もしかしたら疎遠になっている思春期の娘との会話も生まれるかもしれない。これで8万円の出費なら安いものだろう。買おう――
たとえば恋人の誕生日――レストランの個室を予約しての夕食。白身魚のポワレに舌鼓を打つひととき。食後のワインにうっとりしながら、取り出すプレゼントの箱。中からはティファニーのネックレス。喜ぶ彼女の顔。何物にも変え難い、私だけに向けられる笑顔が10万円で買えるなら安いものだ。買おう――

つまり、商品と、それに付随する物語も一緒に購入しているということです。

もっと長い目で見れば、平日の午後、トドのようにソファに横になる妻。よくわからない通販番組を垂れ流すテレビ。響き渡るいびき。座面に散ったポテチのカス。やっぱり買うのはやめておこう――ティファニーのネックレスをつけている妻。の着ている虎の顔がでっかくプリントされたTシャツ。合わない。やめておこう――となるのですが、そこまでイメージできる人は買い物に向いていません。

これは物に限らず、音楽や映画、テレビ番組などにおいても同様です。
自分が子どもの頃に見たアクション映画が、最新の技術を駆使してリメイクされる。当時の楽しさや興奮といった思い出も一緒に追体験することになります。
逆もまた然り。タレントや俳優のスキャンダルが発覚すると、彼、彼女らの関わっている作品にネガティブな影響を及ぼします。スキャンダルのイメージが邪魔をし、作品を純粋に楽しめなくなってしまう。
SNSやECサイトの普及で、求めている人にリーチしやすく、また、隠していたものが可視化されやすくなり、物語の紡がれ方に変化が生まれているように感じます。

翻って、我々が身を置いている演劇の現場ではどうでしょう。
製作者側に求められる良識は自明のこと。作品を楽しんでもらうために日頃の行いが物を言います。SNSを利用した宣伝も当たり前のように行われています。しかし「面白いので見に来てください」では、コロナ禍の影響もあり、もはや届いていた所へも届かない。作品自体はもちろんのこと、それに付随する物語をどう紡ぐのか。目にした者のイメージをどう喚起するのか。そしていかにしてお客さんを劇場へ誘導するのか。この辺のあり方を模索することが、アナログな表現手段を選んだ我々に求められている変化なのではないでしょうか。
大層なことを言いましたが、実際には労力と予算が限られているので、その範囲でできる限りの工夫を、ということになるでしょう。

ただ、失敗のしづらい世相を息苦しく感じることもあります。失敗なくして成長はありえません。昨今の風潮では挑戦する前に諦めてしまいそうになる。無難なものなど誰も欲しない。思い切った選択をし続ける必要がある。自戒の意味を込めて、そう言い切りたいと思います。

何が言いたいのかというと、飛ぶ劇場は2月頭に『Q稿、猫のカツカザン事務所』を枝光で上演します。

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「死者そ会ギ」11/12

『死者そ会ギ』の北九州公演が終了しました。
ご来場くださった皆さん、ありがとうございました!

突然ですが、私の死生観を述べさせていただきます。
個人的には、死後の世界はないと思っています。脳の機能が停止した時点で「私」というものは消え、身体や骨は、かつて私だったものの残骸となる。あとは私の存在を知る他者の記憶に残るのみです。
死んだ後のことは誰にもわかりません。にもかかわらず、いずれ必ず訪れるそれに、我々は興味を抱き、同時に怖れます。だからあの手この手を使い、生物としての死を乗り越えようとしている。日本最古の書物と言われる古事記には当たり前のように死後の世界が描かれていますし、信仰もまた、死後のあり方を定義づけ、生きて行くための拠り所の一つとなっています。漫画やアニメで転生モノが流行っている理由も決して無縁ではないでしょう。
人間はどうやら、消えてなくなりたくはないらしい。
私にはそのように感じられます。

身内の死、また自身の死というものは、生きていれば誰もが経験します。『死者そ会ギ』は、病気で死に瀕した男とその娘、その親族、そして死後の世界で男の来訪を待つ祖先たちの話です。

※以下、ネタバレを含む私の所感です。

鍵となる話題は、「お葬式は誰のためのものか」ということです。ある男が「葬式をするな」「散骨しろ」「お経も戒名もいらない」といった内容の遺言を残して死にます。これは遺された娘が、葬儀にまつわるあれこれに煩わされることなく日常に戻れることを願っての言葉です。娘をはじめとする親族は、なるべく故人の意向を汲み取ろうとします。お互いが、お互いのことを想って行動しているのです。しかし人が死を迎えるにあたってのフォーマットを失ってしまい、遺族たちは悲しみよりも戸惑いの方を強く感じてしまいます。
お葬式というのは亡くなった本人と遺族、両方のものです(そしてそれを生業としている葬儀社やお寺のもの、という側面もありますが、それはまた別の話)。ただ、実務が発生する点と、悲しみに区切りをつけるという意味において、遺族の方の比重が大きいのではないかと、まだ生きている私は思っています。そもそもお葬式というフォーマットを作ったのが生きている人間なのですから。
フォーマットがフォーマットとして定着するには理由があります。ゼロから構築するのは大変な労力だからです。お葬式というフォーマットに乗っかることで、限られた時間の中で、故人と向き合うことに集中できるのです。めんどうだ、大変だと言いつつも、ゼロから作り上げる労力に比べればたいしたことありません。会社の朝礼なんかも同じです。形骸化していようが、乗っかることで体制の維持に貢献しているのです。
お葬式という概念のない世界であれば話はまた別ですが、この登場人物たちは、お葬式というものを知った上で、お葬式ではない方法で弔えと言われているのです。自分の親から同様の遺言をのこされたらと思うとゾッとします。新しいイベントを企画して実施しろと言われているようなものです。

今回泊さんは、死後の世界も描いています。生者の世界を「旅」、死後の世界を「家」と表現し、定住することに慣れた我々の認識を反転させています。死後の世界がベースであると捉えているのです。我々の世界を俯瞰することで、生きることの滑稽さと愛おしさが浮かび上がります。
ただ、死者をあまり超越的な存在としては描いていません。理不尽なことに苛立ったり、愚痴ったり、まるでテレビでも見るように生者の様子を眺めたりと、我々と大して変わらない、地続きの存在として描いています。大きく異なるのは「死を怖れていない」という点です。その証拠に、彼らは死にたての新人の歓迎会を催し、陽気に歌うなどし、悲壮感のかけらもありません。病床のシーンと歓迎会のシーンを交互に、かつ対比的に描くことで、内容が重くなりすぎないように配慮しています。
また、死後の世界にもルールがあります。「逆走」と言って、生者との接触を禁じているのです。このために、自分の遺言のせいで娘たちが戸惑っているのに、遺した本人にはなす術がなく、死してなおジレンマを抱えるという、遺族たちのことを笑っていられない状況が発生します。「人間は理屈だけではない」というセリフが、生と死にまつわる厄介ごとを物語っています。

膠着した状況を打破する存在が二人います。一人は、死後の世界で法の番人を務める餓鬼です。彼には生者の世界へ「逆走」する能力と、上司に許可を申請する権限があります。
もう一人は、則夫という故人の弟です。40代で定職につかず、売れないミュージシャンとして活動している、ちょっとばかり社会の常識から外れた人物です。しかし「人生は一度きりしかない。やりたいようにやる」と豪語し、故人のためではなく、自分(達)のために、納得する葬式をしようと働きかけます。しがらみに囚われない則夫のものの考え方に、不思議と胸のすく思いがします。
餓鬼は爆音でエレキギターをかき鳴らし、則夫はピコピコしたコンピュータサウンドを奏でます。「旅」と「家」同様、ここにも生死の反転と対比が表れており、音楽がその架け橋になっていることが暗示されます。

私事ですが、父の葬儀で喪主を務めました。母は存命なので、優先順位で言えば喪主は母でしたが、その任を託されたのでした。まだコロナ禍に突入する前で、多くの親族や父の知り合いが訪れました。葬儀社とのやりとりや当日のアテンドなどは、主に妻と弟夫妻が動いてくれました。私にはそれらのことを処理する能力がないのです。では何をしたのかと言えば、亡くなってからこっち父のことに想いを巡らせ、弔辞と称して、父との思い出を述べただけです。妻と弟からは「マジで動かんな」「使えねえ」となじられましたが、母からは「ありがとう」と言われました。母のためだけに私は喪主を務めたと言っても過言ではありません。
葬式にフォーマットはありますが、その意味や役割は、葬式の数だけあるのです。

上司からの許可を得た餓鬼は、10年前に亡くなった母親を連れ、娘の元へと逆走します。交互に描かれていた生者と死者の世界が交わる瞬間です。母親から父の追加の遺言を受け取り、娘は葬式を行う決心をします。そして父への弔辞を述べ、なぜか則夫の作ったピコピコサウンドで見送り、幕となります。
死後の世界という大きなフィクションを交えているものの、『死者そ会ギ』は大変普遍的な物語です。
より良く生きるため、死を想うのです。
観劇された方の「旅」が、少しでも良いものになるきっかけとなれば幸いです。

12月の頭に筑後で公演します。
興味の湧いた方はぜひご来場ください!

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「例えるなら」10/31

本番の一週間前です。
この日は実寸で舞台装置を仮組みして稽古をしました。普段はスペース的に実寸が取れなかったり、装置があると想定して稽古をしているので、小屋入りしてから不都合の出ることが多々あり、事前にこういう場を設けられるのは有難いし、稀なのです。
あまり詳しく書くとネタバレになってしまうので、比喩を使ってレポートしてみます。
いざ装置を目の前にすると、否応なくテンションが上がります。みんな装置に立ってはしゃぎ、コンちゃんの持ってきた布からコロコロで猫の毛を取るなどしていたら、わっきーが仕事の都合で遅れてやってきました。わっきーは目に見えて疲れており、ちびまる子ちゃんで言うと、顔に縦線が何本も入っている状態で現れました。今回、わっきーはかなりぶっ飛んだ役柄で、ポケモンで言うと、わっきーからバッキーを経由してジャッキーに進化したようなモノを演じるのですが、疲れが抜けておらず、わっきーのまま稽古しており、私は見ていて大変心配になりました。泊さんからも「わっきー、ちょっと、テンションが低いな。もっとこう、ドラゴンボールで言うと、元気玉が、元気、元気玉を食べて、スーパーサイヤ人でやって欲しい」といった感じのダメが出ていました。わっきーも「えぇ、そうなんです。わかってはいるんですが、何でしょう、アンパンマンで言う所の、お腹が減っており、全力が出せない状態なのです」みたいな感じで申し訳なさそうにしていました。カバオくん目線なんだ、と私は思いました。みんなも心配して、スパチャと言う名の元気玉をわっきーのYoutubeチャンネルに投げてあげようと決心しました。その時です。仮組みした舞台装置が光りだし、ナウシカで言う所の、ナウシカが、王蟲に吹っ飛ばされたあと、王蟲たちがごめんみたいな感じで触覚みたいなのでナウシカに触れ、誰かがランラン歌って、みんな光って、ナウシカが元気いっぱいになるみたいな、とにかく、稽古しているうちにわっきーのテンションは徐々に上がり、装置上を所狭しと駆け回り、白目を剥いて演技しており、逆に泊さんから「バルス」と止められるほどで、それはもうバキバキに仕上がったという次第です。私は腹を抱えて笑いました。
これは舞台装置に限らず、照明・音響が入った時も同様で、各セクションがそれぞれ噛み合って、相乗効果を生み、舞台作品は完成するのです。

今週末、いよいよ本番です。サザエさんで言う所の、財布を忘れて愉快になる我々を是非観にきてやってください!

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「音楽室」10/23

昨日の稽古場は市民センターの音楽室でした。
音楽室は二階なので、階段を使って上がると、音楽室の前がテーブルと椅子の配置されたちょっとしたロビーのようになっており、そこで、完全に白髪のおばちゃんが、白いノートパソコンを広げて何やら作業をしていました。服は赤い花柄のワンピースでした。白いノートパソコンからは電源を取るための黒いコードが伸びており、またえらい遠くのコンセントから引っ張っているため、途中からさらに白の延長コードで継ぎ足されていました。白髪のおばちゃんに会釈をされたので、あれ、この方、公演の関係者かな、と思って、汚い白髪混じりの僕も軽く会釈を返し、黒いコードをまたぎ、ちょっとしたロビーを後にしました。

音楽室のドアは防音の処理のしてある重いやつでした。取っ手がグレモンハンドルと呼ばれる、ハンドル部分とドアロックが連動しているタイプのそれで、ハンドルを操作することで自動的に施錠される仕組みになっており、開け閉めの動作が1回で済むのが特徴です。
グレモンハンドルはシンプルな造りをしているため、頑丈で壊れにくく、長期間にわたって使用することができます。扉を閉めれば施錠される仕組みになっているため、鍵をかけ忘れることがないのも魅力です。また、グレモンハンドルだと隙間なく密閉することができるので、防音性が求められる部屋の開閉に適しています。
開閉と施錠が一度にでき、たいへん便利なグレモンハンドルですが、メリットだけではなくデメリットもまた存在しています。ハンドルとロックが一つなっている造りのため、ドリルで扉に穴をあけて解錠するサムターン回しに弱いと言われています。ハンドルの近くにガラスがある場合、割ってレバーを操作されると簡単にロックが外れてしまうのも大きなデメリットです。また、グレモンハンドルは一部分のみを修理することができず、壊れてしまったら丸ごと取り換えるしか方法はありません。大事に扱うよう注意が必要です。(KOSHO「防音ドアでよく使われるグレモンハンドルとは何か」参照)

グレモンハンドルをガチャンとやって室内に入ると、文目くんの「こんにちはー」という声が聞こえたので、僕も「こんにちはー」と返すと、その場にいたみんなが僕の方に向かって「しーっ」のボーズを取りました。あいさつとは、相手の心を開き、よい人間関係を構築するマナーの基本だと思って40年以上生きてきたので、それを咎められた僕の価値観は揺らがざるを得ないのでした。ショックを受けつつ室内を見回すと、文目くんは僕の方を向いておらず、スマホのカメラ越しに德ちゃんを見ていました。つまり、今は『死者そ会ギ』の宣伝動画の撮影中で、文目くんの「こんにちはー」は僕に向けられたものではかったということです。僕は価値観を回復させ、ショックから立ち直ったという次第です。

音楽室にはピアノが設置されており、德ちゃんはピアノの椅子に座って動画を撮影していました。德ちゃんの後にも何人か撮影し、泊さんの番になりました。泊さんは「アングル、変えなくていい?」と見た目の単調さを懸念していました。さすが演出家です。「そうですね、ちょっと、変えましょう」と、文目くんは周囲を見回しました。音楽室にはピアノが二台設置されていました。「じゃあ、あっちの大きい方のピアノで撮りましょう」と、アングルを変更しました。その後も「木村さんは、大きいピアノと小さいピアノ、どっちで撮影しますか?」と、なぜかピアノ縛りで動画の撮影が続けられました。その様子は、是非、近日公開予定の宣伝動画をご覧になって確認してください。
撮影中にやはり何人か人が出入りしたのですが、その度にグレモンハンドルをガチャンとする音が大きく響き渡り、これもまた、グレモンハンドルのデメリットの一つであると言わざる得ない、という思いを僕は強くしたのでした。

それから、せっかくの音楽室なので劇中歌の稽古を行いました。
音楽はタツオさんです。

何が言いたいとのかと言うと、ちょっとしたロビーにいた白髪のおばちゃんは、公演の関係者ではなかったということです。

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「いい水」9/22

 『死者そ会ギ』の稽古前、德ちゃんがスマホで、「水」を見ていました。

佐藤「何見てんの?」
德岡「水です。2万円くらいするんです」
佐藤「え?」
德岡「2万円の水です」
佐藤「それ、いい水なの?」
德岡「知りません。でも容器はかわいいです」

 德ちゃんは、みんなにスマホの画面を見せました。

佐藤「ほんと、かわいい」
德岡「もっと高いのもあるんです」
佐藤「おいしいの?」
德岡「さあ。飲んだことないんで。硬水らしいです。香る方じゃなくて、硬い方の」
佐藤「でも、飲んだことないんだよね」
德岡「ありません」
桑島「それ、やばい水じゃないの?」
德岡「え?」
桑島「やばい水」
德岡「やばい水って何です?」
桑島「だって、2万だよ? やばいだろう」
德岡「だから何ですか、やばい水って」
文目「まあ、やばいか、やばくないかで言えば、やばいね」
佐藤「文目くん、高い水飲んでるって言ってなかったっけ?」
文目「は?」
佐藤「言ってたよね? 高い水飲んでるって」
文目「言ってません。何ですか、高い水って」
佐藤「あれ、誰に聞いたんだっけ?」
桑島「高い水じゃなくてやばい水なんじゃない?」
文目「やばい水も飲んでません。うちのはコストコの水です」
佐藤「安い水じゃん」
桑島「安い水だね」
文目「(それはそれで腹立つな……)」
佐藤「え、じゃあ誰がいい水飲んでんの? 德ちゃん?」
德岡「だから私は飲んだことないんです」
桑島「高いからいいとは限らないしね」
德岡「ですね」
藤原「でも、硬水で茹でたパスタはうまいって聞きますよ」
德岡「パスタ?」
藤原「パスタは、ほら、ヨーロッパの文化だから。ヨーロッパは硬水なんだ」
林「食べたことあるんですか?」
藤原「何を?」
林「硬水で茹でたパスタ」
藤原「店で出るパスタが軟水か硬水かなんて聞かないだろう」
林「じゃあ家で作るパスタは?」
藤原「俺、パスタ茹でたことないから」
みんな「……」
藤原「まあ、麺類は全般的に好きですけどね」

 藤原がみんなをドン引きさせている所に、泊さんがやってきました。

泊「何の話してんの?」
佐藤「いい水の話です」
泊「いい水?」
德岡「2万円するんです」
泊「それ、あやしい水なんじゃない?」
みんな「あやしい水?」
德岡「何ですか、あやしい水って」
泊「だから2万円の水だよ」
德岡「あやしくはありませんよ。容器だってかわいいし」
泊「飲んだの?」
德岡「まだです」
佐藤「飲む予定があるの?」
德岡「飲んでみたいとは思っています」
佐藤「ないんだね」
泊「あやしいなあ」
藤原「ドラクエに、あやしい影って敵、いたよね」
林「えぇ。だから何です?」
藤原「いや、何ってこともないんだけど」
林「……」
泊「そもそも、いい水の定義って何?」
佐藤「やっぱり、おいしいってことじゃないですか?」
泊「あぁ」
佐藤「一番おいしい水ってなんだろうね」
德岡「それは当然、萌えウォーターでしょう」
みんな「え?」
德岡「萌えウォーター。メイド喫茶で出る水です」
みんな「(当然なんだ……)」
佐藤「飲んだことあるの?」
德岡「はい。大変おいしかったです」
泊「それは、メイドさんが、萌え萌えきゅんきゅんしてくれた水?」
德岡「萌え萌えきゅんきゅんしてくれた水です」
泊「おいしいの?」
德岡「おいしいです」
藤原「あれ、ほんとにおいしくなるの?」

 その時、德ちゃんが立ち上がり、声を大にして言いました。

德岡「なぜ、メイド喫茶が流行っているか、わかりますか? それはね、萌え萌えきゅんきゅんで、食べ物や飲み物はおいしくなるからです。水もまた然り。萌え萌えきゅんきゅんで、水はおいしくなるんです。それが、萌えウォーターです。萌えウォーターは、史上最高の水なんです」

 言い終えると、德ちゃんは静かに座り、みんなは呆気にとられました。

桑島「いくら?」
德岡「何がです?」
桑島「萌えウォーター、いくら? 2万?」
德岡「いえ、ただです」
桑島「あ、ただなんだ」
德岡「私が行ったお店はただでした。だから、萌えウォーターばかり注文する人がいるんですよ」
桑島「あぁ」
德岡「それじゃ商売にならないでしょ? けれどお客さんはご主人様、お嬢様ってコンセプトだから、直接『なんか注文しろよ』とは言えない。そこでメイドさんは『萌えウォーターばかり飲んでたら、お腹によくありませんよ』って注意するんです」
文目「京都みたいだね」
德岡「え?」
文目「京都。長居してて早く帰ってほしい客に『ぶぶ漬けでもどうですか?』って言うんだよ」
德岡「へえ」
文目「奥ゆかしいよね」
泊「よし、これからみんなで飲みに行くか」
德岡「メイド喫茶ですか?」
泊「いや、居酒屋。あそこで出る水もまた、いい水だからね」
みんな「いいね!」

 何が言いたいのかと言うと、劇団員みんな仲良しです。

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「餃子」9/7

妻の勤め先が変わり、晩飯を子どもと二人でとる機会が増えました。子どもは夏休みからたまに晩飯を作っていて、料理のスキルが上達しており、簡単なものなら一人で作れるようになったのです。
この日は餃子でした。私が会社から帰ると、すでに餃子が8個、でかい皿に盛り付けられていました。中華料理用の、みんなで分け合って食べるサイズの大皿に、餃子が8個、盛り付けられていました。皿のチョイスは合ってました。なぜなら餃子は中華料理だからです。中華料理というのは、大皿に盛り付けられた料理を、おのおのが小皿に取り分けて食べるのが基本です。だから大皿を選んだのは正解です。しかし盛り付けに関しては間違っていると言わざるをえません。というのも、焼かれた餃子は8個だからです。さながら高級料理のそれです。つまり量が圧倒的に少ない。高級料理の場合はその密度、素材の希少性、および料理人の技術を凝縮させ、皿の余白を用い、見た目からして味わうものであると私は認識しているのですが、今食卓に並んでいるのは高級料理ではなく、ごく一般的な家庭料理、その名も餃子です。決して高級食材ではない。特別な食事で味わう非日常とは異なり、空腹を満たし明日への活力へとするための日常、量があってなんぼのものです。まだ追加で焼くのかな、と思って台所を見ると、子どもはフライパンを綺麗に洗い終え、ジンジャーエールをコップになみなみと注いでいます。もう焼く気がありません。ということはですよ、これ、8個の餃子を二人で分け合って食べるということになり、8÷2=4という式が成り立ち、なんと一人当たりの取り分は4個となります。小学生でも解ける算数です。育ち盛りの中学生と大の大人が、餃子4個ずつではたして満足するでしょうか(いやしない)。小学生でもわかります。なんなら箸の進み具合の早い子どもの方が、5個、6個とたいらげる可能性すらあります。すると私の取り分は、8ー6=2という式が成り立ち、2個。小学生でも以下略。2個!? 2個て!? リンガーのセット餃子だって5個は付くぜ!? 明日への活力が2個! 足りるはずがない。どんだけ米で埋めるつもりなのでしょう。「さあ食べよう」と、子どもは食卓につきました。「いや、ちょっと待て」と私は言いました。「大丈夫、ラー油は用意してある」と、子どもはドヤ顔で言いました。見当違いも甚だしい。「餃子を焼く」というスキル自体は身についていて大変喜ばしいことであるのですが、全体が見えていません。ミクロとマクロで言えばマクロの視点がありません。「もっと焼こう」と私は提案しました。「きっと、足りないから」とも言いました。すると子どもは「やっぱり?」と言いました。ミクロでもマクロでもなく、単にめんどくさくてすっとぼけているだけでした。
その後、8個の餃子を秒でたいらげ、追加で20個くらい焼きました。子どもが焼きました。私はその様子を見ていました。そして、立派なものだな、と思いました。というのも、私は餃子を焼いたことがないからです。

何が言いたいのかと言うと、飛ぶ劇場Vol.44『死者そ会ギ』は、今週末よりチケット発売開始です。

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「司会・進行」7/26

飛ぶ劇場Vol.44『死者そ会ギ』に向けて、ミーティングと稽古を行いました。

飛ぶ劇場では全員で制作業務を分担するため、まずはその割り振りからです。
なんとなく、いつもきむけんが率先してしゃべるため、きむけんが司会・進行をする、みたいな雰囲気ができあがっているのですが、どうやらきむけんはそれも割り振りたいみたいで、「じゃあ、まずは、司会・進行の割り振りから」と言い、みんなが「え?」となりました。

木村「まずは、司会・進行の割り振りから」
佐藤「制作業務を割り振るための、司会・進行の割り振りをするんですか?」
木村「そうだけど。だめ?」
佐藤「いや、だめじゃないですけど」
德岡「じゃあ、司会・進行の割り振りをするための、司会・進行をする人が必要なんじゃないですか?」
葉山「何だって?」
德岡「ですから、司会・進行の割り振りをするための、司会・進行をする人が必要なんです」
葉山「たしかにそうだな」
藤原「言われてみればそうだ」
德岡「司会・進行の割り振りをするための、司会・進行をする人は誰ですか?」
泊「それはもう、木村くんでいいんじゃない?」
木村「いや、それじゃだめだ」
全員「え?」
木村「それじゃだめなんだ。だめだと思うんだ、俺は。俺に限らず、誰かがいなくても、運営の滞らない体制を構築すべき。コロナ禍においては、こう、なんていうか、そういうの? って、わかんないけどね、なんとなく、大事なんじゃないかって、俺なんかは、さ、思うんだ。思うんだよ。なんとなくではあるのだけれど」
林「崇高ですね」
木村「何?」
林「崇高です、志が」
木村「あ、うん」

どうやらきむけんは、崇高、が脳内で漢字変換できなかったようで、スーコー、といった感じで脳内で響いているようで、それはきむけんの「あ、うん」で、きむけん以外の全員に伝わりました。

酒井「ちょっと待ってください。それだと、制作業務を割り振るための、司会・進行の割り振るための、司会・進行を割り振る人を決める、司会・進行をする人が必要になって来るんじゃありません?」
葉山「何だって?」
酒井「制作業務を割り振るための、司会・進行の割り振るための……つまり、無限後退が止まりません」
葉山「どうすりゃいいんだ、ちくしょう」
德岡「葉山さん、落ち着いて」
泊「だからそれは、木村くんがすればいいんじゃない?」
林「それだと、木村さんの崇高な志が台無しになってしまいます」
木村「(スーコー……)」
桑島「いっそ、司会・進行をナシにしてみるっていうのはどうだろう」
全員「え?」
桑島「ナシにしてしまうんだ、司会・進行を」
脇内「すると、誰が司会と進行をするんです?」
桑島「しないんだ、そんなものは、誰も」
脇内「なるほど、しないのか」
寺田「しない、ね……」
松本「さすが桑さん」
酒井「これで、無限後退問題は解決ですね」
松本「早速、桑さんの用意してくれたお菓子でも食べますか」
脇内「いいね、そうしよう」

そうして、みんなで10分ほどおいしいお菓子を食べ、談笑しました。

寺田「さて、そろそろ稽古に移ろうか」
木村「待ってください。まだ、何一つ決まっていません」
全員「え?」
木村「司会・進行をする者がおらず、みんなで桑さんのお菓子を食っただけです」
寺田「おいしかったな」
脇内「おいしかった」
松本「桑さん、ありがとうございます」
桑島「みんなが喜んでくれて何より」
全員「(桑さん、まじで神……)」
佐藤「えっと、じゃあまず、何をします?」
木村「ですから、司会・進行の割り振りを」
寺田「それはさっき、桑さんがナシにしたじゃないか」
脇内「ないんですよ、もう、司会・進行は」
葉山「どうすりゃいいんだ、ちくしょう」
德岡「葉山さん、落ち着いて」
桑島「まあ、またアリにするのもアリだけどね」
全員「え?」
桑島「アリにするんだ、また、司会・進行を。それもまたアリ」
松本「さすが桑さん。お菓子でも食べますか」
林「いや、時間がもうあれだから」
佐藤「よし、司会・進行を決めよう」
酒井「けれど、そのためには、司会・進行を決めるための、司会・進行をする人が必要なわけで」
佐藤「そっか」
泊「えっと、だからそれはもう木村くんが……」
木村「(スーコー……)」

結局、きむけんが司会・進行をし、制作業務を割り振りました。
適材適所。

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「中間管理職」6/24

会社で、いわゆる中間管理職と呼ばれるポジションにつきました。
つまり、部下ができ、上司も引き続きいる、という状況です。
就任してまだ間がないので、中間管理職が何をするものなのか、いまいちよくわかっていません。ウィキペディアで調べた所、「管理職の中でも、自身より更に上位の管理職の指揮下に配属されている管理職の事を言う」とあり、よりわかりにくくなった印象が否めません。がしかし、「管理職」と三回も言っているので、これはもう、管理職の中の管理職、すなわち、シン・管理職と言っても過言ではないのではないでしょうか。むしろ、「これが中間管理職だ」というような、「ザ・中間管理職」的なものなどなく、会社の数だけ、いや人の数だけ中間管理職があり、みんなの心の中に中間管理職はいるのでしょう。きっとトトロみたいなものです。

とは言うものの、中間管理職にあまりいいイメージを僕は持っていません。上司からの指示と、部下からの要望の板挟みになり、ストレスで禿げ、太り、パワハラで訴えられる。そんなどうしようもないイメージです。そう言えば就任して間がないのにズボンのホックが留まらなくなりました。中間管理職のせいです。
我が家で一番早起きなのは僕でして、子どもの朝ごはんの用意は僕がしています。調理のスキルは皆無なので、その日は、冷蔵庫からスライスチーズを取り出し、食パンに乗せ、さらにマヨネーズとケチャップをかけ、オーブンで焼くため、皿を持ってキッチンに移動していました。そして冷蔵庫とキッチンの間の、やや通路が狭くなった所のカドで、左足の指先をしたたかぶつけました。皿も、皿に乗ったパンも、パンに乗ったチーズも、チーズに乗ったマヨネーズもケチャップも飛び、床は大惨事、僕はその場にうずくまって悶絶しました。くすり指が紫に変色するほどのぶつけ具合で、これは推測でしかないのですが、おそらく中間管理職のせいです。

また、部下がいるということは、指示や指導をせねばならないということです。部下だった時に散々文句ばかり言っていたツケが回ってきました。そして上司や、演劇の現場だと演出家に対する気持ちに変化が生まれました。立場が変われば見方も変わる、ということを実感しています。

そんなにいやなら引き受けなければよかったじゃないか、と言われればそれまでですが、何のために会社に行っているのかと言うと、お金を稼いで生活を成り立たせるためであり、中間管理職を引き受けることで、今後の待遇改善が見込めるので仕方がありません。
まずは自分の中での、中間管理職のイメージアップから始めようと思います。今回昇進したにも関わらず、家庭内でのヒエラルキーは一切向上しませんでした。「妻=子>ハムスター=亀>俺」の順です。妻と交渉し、せめてハムスターや亀と同列に扱ってもらう所からスタートです。

何が言いたいのかというと、飛ぶ劇場 Vol.44『死者そ会ギ』の情報を公開しました。

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「脱臼」6/5

 先日、飛ぶ劇のミーティングがあり、久しぶりに劇団員の大半が集まりました。
 そして林くんが、左手を包帯でぐるぐる巻きにしていました。

文目「手、どしたん!?」
林「ちょっと、脱臼しまして……」
文目「野球?」
林「いや、脱臼です」
文目「あぁ、脱臼」
乗岡「野球で?」
林「いえ、ですから脱臼です」
桑島「だから、野球で脱臼したんだよ」
文目「あぁ」
林「ちがいます」
全員「え?」

 林くんは野球で脱臼したのではないそうです。
 この辺りから、林くんの周りにみんなが集まり始めました。

文目「野球で脱臼したんじゃないの?」
林「野球で脱臼したんじゃありません」
佐藤「え、脱臼じゃないの?」
松本「何、骨折?」
林「脱臼です」
佐藤「でも、さっき脱臼じゃないって」
林「だから、脱臼は脱臼なんですが……」
泊「脱臼は脱臼なんだよ」
桑島「野球で脱臼したんだよ」
林「だから野球じゃないんです」
文目「あ、野球じゃないんだ」
林「さっきからそう言ってるでしょう」
脇内「じゃあ何? 卓球?」
泊「え、林くん、卓球できるの?」
德岡「達郎さんとこの子ども、卓球部だよ」
藤原「卓球部です」
林「だから、卓球はできないんです」
泊「ほら、今、脱臼してるから」
德岡「え〜大丈夫?」
林「そうじゃなくて、野球でも卓球でもないんです」
桑島「野球でも卓球でもないんだよ」
脇内「じゃあ何? 鉄球?」
佐藤「え!? 林くん、鉄球で脱臼したの!?」
林「してません。何ですか、鉄球って」
脇内「鉄の球」
泊「よかったね、脱臼で済んで」
松本「鉄球は、下手したら骨折するから」
德岡「よかったよ、骨折しなくて」
林「鉄球も扱ってないんです」
藤原「うちの子は卓球部です」
林「はい」
桑島「卓球でも鉄球でもなく、林くんは脱臼したんだよ」
松本「だから何で?」
林「トレーニングです」
乗岡「野球の?」
林「いや、野球じゃなくて……」

 何が言いたいのかというと、林くんはジムでのトレーニング中に脱臼しました。
 完治するそうなので一安心です。

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「太田カツキ2022」5/4

今度、自分の団体で太田カツキをモチーフにしたお芝居を上演するのですが、元々は、飛ぶ劇場の『わたしの黒い電話』というお芝居のキャンペーンソングとして、泊さんの弟の達夫さんと一緒に作成したのが発端でして、現在でもユーチューブで視聴することができます。

僕は歌詞を担当したのですが、歌詞っていうか……駄文ですね。駄文を、僕が担当しておりまして、僕の駄文を、達夫さんが歌詞に直し、曲を付けて歌ってくれておりまして。で、パソコンのデータを整理していたら、ボツにした駄文が出てきまして、ボツにした駄文となると、これはもう、駄文中の駄文でして、掲載します。

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『水曜日の男(駄文中の駄文ver.)』

太田カツキ 飛ぶ劇の劇団員
劇団員であり 居酒屋の店員
主な収入源は 居酒屋の店員
なので優先順位は 劇団より居酒屋の店員

太田カツキ 稽古にあまり来ない
めったに来ない びっくりするくらい来ない
昼に稽古しても 寝過ごして来ない
ほぼ来ない ゴドーより来ない

(語り)
「ゴドーっていうのは、数十年前、サミュエル・ベケットさんっていう劇作家が書いた『ゴドーを待ちながら』っていうお話に出てくる人で、いや、実際には出てこないんだけど、ゴドーっていう人を、人っていうか、もうなんだかよくわからないものを、待ってる人たちがいて、その人たちが、ただ待つだけのお話で、上演時間にして大体2時間半くらい待つ話で、何が言いたいのかというと、太田カツキは稽古に来ない」

(サビ)
居酒屋の定休日 水曜日
水曜日だけ 太田カツキは稽古に来る
水曜日=太田カツキ 
太田カツキを見たら「あ、今日水曜日か」とみんな気づく

なんなら半年くらい見ない
水曜日はよく使う稽古場の駐車場がすごい混むから 実はあんまり稽古しない
久しぶりに見ると太ってる 酒太り
居酒屋なので仕事の一環で飲む 仕事じゃなくても飲む

あと久しぶりに見ると 髪型も変わっている
金髪だったと思ったら 黒髪パーマになっている
好きな俳優さんのマネをしている らしい
誰だったか忘れたけど 女優さんでは宮崎あおいが好き

(語り)
「宮崎あおい、かわいくないっすか? ……え、かわいくないっすか? ……かわいいっすよね、宮崎あおい? 俺、宮崎あおい、かわいいと思うんですよね~。……え、知らないっすか? 知ってますよね、宮崎あおい? ……え、知らない? 知ってるでしょ。……知ってますよ、絶対、宮崎あおい。あの『ナナ』の、『ソラニン』の。……俺、ソラニン、DVD持ってますよ。買いましたよ、DVD、レンタルじゃあれだから。……何回も見ましたよ、DVDで、宮崎あおい。かわいいですよね~」

(サビ)
居酒屋の定休日 水曜日
水曜日だけ 太田カツキは稽古に来る
水曜日=太田カツキ 
太田カツキを見たら「あ、今日水曜日か」とみんな気づく

隣どおし あなたとあたし さくらんぼ

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

もう4~5年前に書いたものなので、今でも太田カツキが宮崎あおいさんの出演作をチェックしているのかは知りません。今度会ったら聞いてみようと思います。
キャンペーンソングと『わたしの黒い電話』本編の内容は全然関係ないのですが、ていうか、僕が今度上演するものとも別物なので、もはや何なのかよくわからないことになっているのですが、そんな太田カツキをモチーフにしたお芝居の稽古の様子を、個人ページに書いていますので、興味のある方はそちらもご覧ください。

何が言いたいのかと言うと、飛ぶ劇場はオーディションをします。

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「カレーで言うと」3/28

グループラインでミーティングの議題を募っている時に、きむけんから「直接劇団に関係ないかもしれないが、『インボイス制度』について雑談したい」という提案がありました。
僕はインボイス制度という言葉を耳にしたことはありましたが、それがどういう制度なのかは知りませんでした。
なので、ミーティングの日までに調べて、きむけんと楽しく雑談しようと思いました。
なぜなら、僕はきむけんのことが好きか嫌いかで言えば比較的好きで、話したいか話したくないかで言えば、まあ、話してもいいと思っており、楽しいのと楽しくないので言えば、圧倒的に楽しい方がよく、インボイスの話になった時に置いてけぼりにされるのはまっぴらだからです。

こういう時の僕の師匠はグーグル先生なので、まず「インボイス制度」とブラウザに入力し、インターネットで検索しました。検索で引っかかった上の方のページをいくつか見、5分で集中力が切れ、ブラウザをそっ閉じしました。
そして「これ、理解するのけっこう大変じゃね?」と独りごちました。
僕は会社組織に所属しているサラリーマンで、基本的に確定申告を自分で行うことはありません。その辺のことは、年末調整の用紙を提出すれば総務の方がしてくれるので、税処理に関しては実家のような安心感でぬくぬくと生きてきました。だからインボイス制度を理解するための基礎用語が理解できておらず、理解するための理解から始める必要があり、5分で面倒臭さの方が上回るのでした。
しかし根っからの出不精な上、まん防が発令されている状況も相まって、暇があっては「インボイス」でインターネット検索するほど暇を持て余しており、5分で切れる集中力も繰り返しているうちに1時間、2時間の蓄積になり、わかってくるとそれなりに面白く、基本の基程度の理解は得ることができました。

僕の理解を、大好きなカレーで例えて披露させていただきます。
カレー屋さんはカレーを商品として売ります。カレーが1000円として(いいお値段!)、これに消費税が乗ります。このカレーを店内で食べると、10%の消費税がかかって1100円、テイクアウトすると、軽減税率で8%の消費税がかかり、1080円になります。
このカレー屋さんはあまり繁盛しておらず、一年間で店内とテイクアウトの2皿しか売れず、売上げは2180円でした(絶望的!)。
で、カレー屋さんは消費税分の180円を国に納めるわけですが、カレー屋さんもカレーを作る時に材料を仕入れるわけで、ニンジンの業者からニンジンを、ジャガイモの業者からジャガイモを買います。この時、それぞれの業者に消費税込みのお金を支払っています。
なので、180円のうち、材料費にかかった消費税は国からカレー屋さんに還付しますよ、なぜならその分の税はニンジンなりジャガイモの業者からもらっているから、というルールがあります。これを「仕入税額控除」と言います。
この「仕入税額控除」を受けるために、請求書に消費税が10%なのか8%なのかを明記しなさい、業者ごとに割り振られる個別の番号を記しなさい、などのルールを定めたのが「インボイス制度」です。
つまり、インボイスっていうのは請求書のフォーマットのことです。

ここまでよろしいでしょうか。続けます。

一年間の売り上げが1000万円以下の業者(フリーランスを含む)は、「免税事業者」と言って、消費税を国に納めることを免除されています。
それに対し、消費税を納めている業者は「課税事業者」と呼ばれています。インボイス制度の何が問題なのかというと、この「課税事業者」しか、インボイス制度に則ったフォーマットの請求書を発行できない点です。
するとどういうことになるのかと言うと、ニンジンやジャガイモの業者が「免税事業者」だった場合、インボイスを発行できないので、カレー屋さんは「仕入税額控除」が受けられないことになってしまいます。180円のうちの何十円かが還付されないだけならどうってことありませんが、実際にはこれが100万円のうちの数十万円が還付される、みたいなことになるのでバカになりません。
なので今後、同じような品質なら、カレー屋さんは仕入税額控除を受けたいので、「課税事業者」のニンジンやジャガイモの業者と取引するようになるのです(カレー屋の朴訥な店主が、ニンジン業者の未亡人のことが好きで、気持ちを告白するタイミングを伺っている場合や、カレー屋の店主が控除を受けられないことに興奮するマゾヒストである場合など、本人に控除以上のメリットがある場合を除きます)。
つまり、インボイス制度が始まって困るのは、年収1000万円以下のニンジンやジャガイモの業者であり、これまで通りカレー屋さんと取引を続けようと思ったら、インボイスを発行するため、課税事業者になり、少ない売り上げから国に消費税を納めることが必要になるのです。カレー屋さんだって、どこかの会社に毎月カレーを数百食分おろすみたいな話が舞い込んできた時、インボイスの発行の可否で契約できるかどうかが変わってくるため、決して人ごとではありません。
という制度が、2023年の10月から開始予定で、これに間に合うように課税事業者になるためには、2023年の3月中の申請が必要だということです。

これが僕の、インボイス制度に対する認識です(間違い・知識不足はご了承ください)。
実際はそれだけではなく、この制度、本当に実施する必要あるの? そもそも消費税を10%と8%で分けてるからややこしいんじゃね? 誰得なん? みたいな議論があるようですが、そこに関して意見できるほど僕の理解は深くありません。

みたいな話を、先日の飛ぶ劇のミーティングでも少ししたのですが、まだ直接劇団には関係はなさそうです。
けれど今後はわかりません。

何が言いたいのかというと、国の制度が変わるように、劇団の状況も変わるわけで、すんが退団します
すん、おつかれさまでした!
いつか、また、どこかで!
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「4時」2/22

趣味が早寝・早起きになっています。
最近は5時に起き、支度をし、家族を起こし、台本など、何かしら文章を書き、仕事に行っています。以前は仕事を終えて夜書いていたのですが、どうにもだらだらしてしまうので、何年か前に朝型に切り替えました。用事がなければ、23時には寝ています。休日はもっとだらだらと、夜更かし・朝寝坊を満喫しています。
朝は頭がしゃっきりしていて、さあ、やるぞという気持ちにあふれているため、寝起きがつらいことを除けば良いこと尽くしです。あと、仕事に行く時間が決まっているので、筆が乗っているのに切り上げねばならない、ということも稀にあります。人それぞれ、向き不向きです。

先日、どうにも眠気の来るのが早く、22時前に布団に入り、そのまま眠ってしまいました。
そして4時に起きました。完全におじいさんのそれです。
しかし4時に起きると、5時に起きるよりも早く、つまり4時っていうのは、5時よりも早いってことで、これはあまり知られていないのでここだけの話にしておいて欲しいのですが、実は4時は5時の1時間前でして、4時に起きると5時に起きるよりも早く起きられ、要するにどういうことなのかと言うと、4時は5時よりも早いのです。結果、いつもより長く執筆に時間が取れ、僕は大いに満足しました。
この理屈で行くと、4時より3時、3時より2時に起きれば、もっと満足度が増すことになり、僕は嬉しさのあまり、深夜に奇声を発し、警察に通報されてしまうかもしれません。片岡鶴太郎は早起きが過ぎて23時に起きているらしいと何かの記事で読みました。それはさすがにやり過ぎだとして、早起きには、僕にとってそれくらいの魅力があるのです。

ただ、ここでネックとなるのが睡眠時間で、あまり削り過ぎると仕事に支障をきたします。僕の仕事は、コンピュータの前で黙々と作業するタイプのもので、眠気に襲われやすいのが難点です。にも関わらず、ミスや見落としが損金に直結してしまうため、気が抜けません。なので、一定時間、きちんと眠る必要があります。
だからと言って就寝時間を早めるのも問題で、2時に起きるため、前日の20時から就寝しようとしても、今度は家族との生活リズムが合わず、困ったことになります。20時では家のことが一切終わっておらず、分担された家事を遂行しないため反感を買い、妻と子の信用を失い、あげく離婚……。寂しさをまぎらわせるため浴びるように酒を飲み、自らの肝臓を破壊、アルコールに依存……。悲惨な最期を迎えることになるのでした。
想像力をたくましくしてしまいましたが、それはそれとして、飼っているハムスターも夜行性なので、20時ではまだ眠っており、愛でることができません。また健康に気遣うと、就寝の3時間前には食事を終える必要があり、となると17時に晩飯ということになるのですが、その時間、僕はまだ仕事中です。
そもそも飛ぶ劇場の稽古は基本夜でして、「就寝時間なので帰ります」などと言っていてはお話になりません。

要は現実とのバランスで、やはり4時起きが限界でしょう。
まずは30分早めるため、4時半起きに挑戦しています。
当然のように家族からの理解は得られません。むしろ呆れられています。孤独な挑戦です。
早起きと執筆は、僕にとって、もはやセットなのです。

何が言いたいのかというと、4時っていうのは、5時よりも早いってことです。

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「同意」1/14

『ジ エンド オブ エイジア』の稽古に行きました。
出演者が定位置につき、泊さんが「じゃあ、そろそろ稽古をはじめます」と言った時に、袖で待機していたわっきーが、同じく待機していた中川ゆかりとボーちゃんに、何やら話しかけました。僕のいる場所からは何を言っているのか聞き取れなかったのですが、わっきーはとてもうれしそうに話していて、聞いている中川ゆかりとボーちゃんも同意しているようでしたが、わっきーほどうれしそうではありませんでした。
するとわっきーは、ペットボトルを手に、ゆっくりと移動しはじめました。泊さんは「え、そろそろ稽古はじめるけど……」という顔で、移動するわっきーを見ていました。わっきーは一言も発しません。笑顔が張り付いています。そして客席側で待機していた桑さんに近づき、うれしそうに話しかけました。桑さんは同意しましたが、やはりわっきーほどうれしそうではありませんでした。わっきーはペットボトルを手に、次の獲物を見定め、再びゆっくりと移動を始めました。その姿はさながら、仲間を求めて彷徨う亡霊のようでした。
舞台上で待機していたはやまんとコンちゃんも事態に気づき、「何、どうした?」「わっきー、そろそろ稽古始まるよ?」という顔をしていました。わっきーはニヤニヤとした笑顔で、満を辞して文目くんに話しかけました。同意にはちょっとばかり定評のある、あの文目くんです。同意する力、すなわち同意力を数値化できたとして、中川ゆかりやボーちゃんのそれを約50di(ドーイ)とすると、桑さんはやや低めの40diくらいで、対する文目くんの同意力はアベレージ75diをほこります。わっきーはこれまでにない笑顔で文目くんに話しかけ、ペットボトルを見せました。文目くんは誰よりも同意を示しました。90diは行ったのではないでしょうか。完璧に近い同意です。がしかし、わっきーはそれでも満足せず、文目くんの元を離れると、また次の者へと移動を開始したのです。全員です。この場にいる全員からの同意を得るまで、わっきーは止まらないようです。「そんなに見せたいのなら、見せてもらおうじゃないか」と、泊さんもイスの背もたれに身を預け、同意する体制に入りました。
わっきーが手にしているペットボトルは、どうやらホットのミルクティーのようで、ペットボトルのある一点を指差し、うれしそうに話していました。プレゼントキャンペーンか何かで、当たりでも引いたのかな、と僕は思っていました。
わっきーは極めてゆっくりと移動しました。体感、能を舞う人の摺り足くらいの速度です。早く見せればいいのに、焦らしてんのか何なのか、よくわかりません。きむけんからの同意を得、德ちゃんからの同意を得、ついに僕の方に向かってきました。こんなにまじまじとわっきーの笑顔を見たのは初めてです。ちなみに僕の同意力は低く、20di程度です。しかしそんなことは関係ありません。わっきーが目指しているのはコンプなのですから。僕の前にたどり着くと、「お待たせしました」と言わんばかりにペットボトルを提示し、こう言いました。

「見てください、これ。変な感じの泡ができたんです。ニキビみたいで気持ち悪くないですかw」

見ると、ミルクティーの表面に気持ちの悪い感じの泡ができていました。歩みの遅さは、この泡を弾けさせないためのものでした。そしてめちゃくちゃ笑顔です。マジかわっきー、感受性強過ぎるやろ、と僕は思いました。逡巡した結果、10di程度の同意力でもって、「うん、そうだね」と言いました。わっきーは「この男も、選ばれし者ではなかったか……」と言わんばかりに、笑顔の中に寂しさをにじませ、それを見せて回るのが責務であるかのように、次の人の元へと移動して行きました。

その後、わっきーは全員にミルクティーの泡を見せ、5分押しで稽古が始まりました。
来週末、いよいよ久留米公演の幕が開きます!


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「ジ エンド オブ エイジア」12/11

『ジ エンド オブ エイジア』の北九州公演が終了し、早一ヶ月が経過しました。
来年1月には久留米公演を予定しており、なるべく多くのお客さんに観ていただきたいため、北九州での所感を述べたいと思います。
私見が多分に入っております。その点、ご了承ください。

『ジ エンド オブ エイジア』は、泊さんが1995年に書いた作品で、2000年に一度再演し、今回、実に21年ぶりの再々演となっております。私は2003年入団のため、今回が初エイジアです。
タイトルはご存知のお方もおられましょうが、YMOの曲名を拝借して付しています。
泊さんが学生の頃にヒマラヤに登った経験をもとに書き下ろし、飛ぶ劇場の作風を方向付けるきっかけとなった、エポックメイキングとも言える作品です。
ヒマラヤの宿泊施設が舞台で、日本語だけでなく、英語、韓国語、架空の現地語を含めた四ヶ国語が飛び交います。言うなればマルチリンガル演劇です。

通常、我々の稽古は「本読み」という、台本に役を割り振り、声に出して読んでみる所からスタートするのですが、今回は、泊さんが日本語で書いた本を、架空の現地語にみんなで翻訳する所からスタートしました。
架空の言語のため、何を喋ろうと観客にはほぼ伝わりません。これは主に出演者間のやりとりにリアリティを持たせる作業でして、肯定にはこれ、否定にはこれ、固有名詞にはこの言葉、と、情報を共有しながら翻訳して行きました。
もちろん過去の公演時の言語記録も残ってはいますが、それはその時の座組で作り上げた言語であり、踏襲しても、しゃべっている俳優ですらよくわかっていない状態になってしまうため、参照しつつゼロから作り上げたという次第です。

また、翻訳後に声に出してみた所、相手役が何を言っているのか、これまたよくわからないんですね。日本語のセリフであれば、相手役に関しては「自分がこう言った後、相手役は大体こんな感じのことを言う」くらいの認識と、きっかけとなるワードを押さえていれば、お話の進行に支障はきたしません。セリフを意味で理解しているからです(個人差・作品差はあります)。
しかし架空の言語の場合は、言葉は「音」であり、「なんか怒ってるぞ」みたいな感覚でしか理解できないため、相手役のセリフもかなりの精度で把握していないと、やりとりが生きず、なんなら進行が止まってしまい稽古になりません。なのでみんないつも以上に、セリフ覚えに神経を使っていました。私はこの日記のネタを、稽古の休憩中に探しているのですが、序盤の稽古は休憩中もみんな必死で台本と向き合っていたので、ネタ探しに困りました。

さらにヒマラヤの世界観を表現するため、衣装、小道具、装置の作り込みを重視しました。このように書くと手前味噌のようで恐縮ですが、今回、これらの準備が本当に大変だったのです。衣装担当の内山さんはダンボール4~5箱分の衣類を車に詰めて稽古に通い、小道具担当の脇内くんは消え物も含めてその用意に日々奔走し、膨大な物量の装置を森田さんが設計してくれました。

結果、お客さんには、宿泊施設に一緒に滞在しているような観劇体験をしていただけたのではないかと想像します。

※以下、ネタバレを含みます。

ヒマラヤにある山小屋風の宿泊施設に、様々な国のトレッカーや、バザールヘ向かう現地人、荷物を配達するシェルパ、修業僧などが集まって来ます。
みんな、それぞれの仲間内で会話するので、観客には何を言っているのか、断片的にしか伝わりません。
そこに、「イエティを探しに来た」という日本人の女性が現れます。
彼女は早くに夫を亡くし、子も成人を迎え手を離れたため、かつての夫のように、ヒマラヤのイエティ探しを追体験するためにやってきたのです。
最初はたどたどしい英語でコミュニケーションを取ろうとする彼女に対し、イエティを探すなんて馬鹿げていると笑っていた滞在者たちも、次第に彼女と打ち解け、夕食を共に囲んで笑い合い、お互いの事情を話し合ったりします。
その中で、自分の故郷を想ったり、意識を変性させる植物を摂取したり、ちょっとした事件があったりと、濃い一夜を共有します。
そして翌朝には、みんなそれぞれの事情を抱えたまま旅立って行き、また新たなトレッカーが宿泊にやってきます。

セリフが四ヶ国語で構成されているので、お客さんに言葉で、意味として理解してもらうことをある面では放棄しています。言葉は重要なコミュニケーションツールですが、人間は言葉上で真意を隠すことを日常的に行っており、100%の本音で他者としゃべっていることなんてほとんどありません。
なので劇中でも、「これはこうなのだ」といった明言、主張の類は希薄です。
そこを重視する場合は、全編日本語の作品を上演するでしょう。
明言されるのは「これはスプーンです」「1000円です」といった自明のことばかりです。(必要な情報は日本語で補足されているので、ご心配なく!)
言葉が伝わらない分、「歌」と「演奏」と「踊り」が、人々の間を埋めてくれます。歌には詞がありますが、詞もまた「音」です。メロディとリズム、それに乗った合唱と舞いが非言語コミュニケーションとなり、一体感を生みます。加えて、作品に華やかさも添えています。

私は20代の頃、韓国の方と一緒に短い舞台作品を創作するワークショップに参加したことがあります。その時のコミュニケーションでも主に英語を使っていました。普段、ひねくれてて本心などあまり見せない私ですが、伝えることに必死になった結果、数日間のワークショップで急速に彼らと仲良くなりました。単語を羅列しただけのような英語とジェスチャーでは、ひねくれることもままならず、意図せず、腹を割ってやりとりすることになったんです。連絡先を交換し、ワークショップ後も来日した時に会う仲になりました。
言葉が不自由だからこそ、伝わること、得られる関係もあるんです。

泊さんはかつて、男性の若者を主人公にし、自分探しの話として『ジ エンド オブ エイジア』を書き上げました。90年代はアイデンティティの確立やパーソナリティを自覚することの重要性が急速に唱えられ始めた頃で、学生だった私は例に漏れず流行の渦中にいました。模擬面接でその類の質問がよくあったんです。人間なんていくつもの側面を持っていて当たり前、と今なら言えるのですが、当時はまだ認識も不十分で、ある側面を唯一のものだと捉える傾向があるように思えました。
今回の再々演にあたって、泊さんは主人公を、夫と死別し、子の自立を経験した女性に書き換えています。我々自身が年齢を重ねていることもさることながら、多様化する女性の生き方という、現代の社会的事象をより反映したキャラクターになったと言ってよいでしょう。生き方の模索も自分探しの一つですが、90年代のそれとはまた種を異にしており、より実質的・具体的な様相を呈しているというのが私の印象です。

あえて言うなら、これは「過程」の話です(だと思っています)。
人の数だけ事情があり、なかなか解決されない、解決ということがあるのかどうかすら疑わしいそれらが、たまたま一同に会し、通り過ぎて行きます。
言葉が不明瞭な分、快や苦といった、根源的な感情・欲求の方が前面に出てきます。
現実とうまく折り合いをつけられずに、どうしようもなく在る事情を、ただ眺めることになります。
そして翌朝、食事を共にした現地人が、雪崩に巻き込まれたというニュースが舞い込んできます。
人は死にます。これは逃れられない事実です。
いつか訪れるその時までをどう生きるのかは、その人次第です。
一言では言い表せない、人の数だけの彩りを持った、その人特有のものです。
また、イエティを探しに来た彼女は、意識を変性させる植物を通し、亡き夫との邂逅を果たします。
夫は、「イエティなんていない」「イエティは必ずいる」と、矛盾したことを言います。
彼にとって、イエティとはそういう存在なのです。
「いない」と「いる」の間にあるものを求め、彼はヒマラヤまでやってきました。
それは「求め続ける」、といったようなことです。
死してなお、彼は求め続けています。
彼女もおぼろげにそのことを理解し、カメラをかまえ、シャッターを切ります。
カメラには、その瞬間、目の前にあるものは確実に写るのです。

私事ですが、先日、可愛がっていた鳥を逃してしまいました。小屋から出している時に窓を開けてしまったんです。完全に私の不注意です。「窓さえ開けなければ」「あの時、もっと気をつけていれば」と、悔やんでも悔やみきれません。その事実は今後、私の中に残り続けます。大失態を犯しても、私の人生はまだ続きます。仕事中も、家でくつろいでいても、ネガティブな感情が度々去来します。それでも私は生活していかなければならない。私が大切にしているものは鳥以外にもいくつかある。家族を路頭に迷わせるわけにはいかない。心配もさせたくない。子どもには不自由なく育ってほしい。演劇を続けられる環境を維持したい。鳥がたくましく野生化し、ひょっこり帰ってきてくれることを願いながら、私はただ愚直に生きていかねばならない。全部抱えて、必要最低限は社会的存在として立ち振る舞い、愉快な時には笑い、今まで以上に人生を謳歌する。それが私にできる唯一のことです。

イエティを探すというのは、自分の人生をどう好きな色で彩るのか、ということの隠喩なのではないかと、私には感じられました。
これらの物語がみなさんの中にどのような像を結ぶのか、興味のある方は是非劇場に足を運んでもらい、体験していただけると幸いです。

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「ティラミス」11/8

『ジ エンド オブ エイジア』北九州公演が終了しました。
ご来場くださったみなさん、ありがとうございました。

今回のお芝居では、劇中で食事をするシーンがあり、フリではなく、実際に飲み食いしていました。
これらは舞台用語で「消えもの」と言いまして、まあ、いわゆる消耗品ですね。直前にしか準備できないため、小道具の中でも扱いが大変なものの部類に入ります。昼、夜2回公演の時などはバタバタで、乗岡さんと林くんが、昼公演中の楽屋で待機している時間に、夜の分の食事を用意していました。(おつかれさま!)
主に食べていたのはカレーやシチューなのですが、北九州公演の最終日、桑さんが「俺、今日はティラミス食べるから」と、10人くらいでシェアできそうなサイズのティラミスを買ってきました。みんな、メイクをしたり衣装を着たり、準備に余念がなかったのですが、それらの手が止まり、目がティラミスに釘付けになりました。コンちゃんが、「私、ティラミス食べたい」と言いました。ちょうどヨーグルトを食べていたきむけんも「俺もティラミスにしようかな」などと、みんなの口の求めるものがティラミスになってしまいました。
その時、小道具隊長のわっきーが調理場から楽屋に戻ってきました。「桑さん、カレーがすでに盛り付けられていますが……」と、桑さんの皿を持っていました。桑さんはカレーを受け取り、それからしばし、虚空を見つめ、逡巡しました。その姿は、まるで会社の将来を左右する重大な決断を迫られた社長のようでした。
「カレーとティラミス、どちらを食べるべきか……」
それからおもむろに僕の方を見、こう言いました。
「達郎くん、お腹空いていないかい?」
僕はこの日、受付の手伝いなどをする日で、朝から楽屋入りしていたので、「あ、はい、そうですね、普通に腹ペコです」と言いました。
「カレー、食べるかい?」と、桑さんはカレーの皿を差し出しました。
「え、いいんですか? いただきます!」と、僕はカレーの皿を受け取り、食べました。
僕はカレーが大好物なのですが、妻がカレーが苦手で、年に数回しか食卓に並ばないのです。
舞台で使うはずの小道具が、楽屋で、出演しない僕の胃の中に消えて行きました。
おいしかったです。ごちそうさまでした。
そしてわっきーは、楽屋で普通にティラミスを食べていました。
もうただただティラミスが食べたいだけの人でした。

何が言いたいのかと言うと、『ジ エンド オブ エイジア』は来年1月に久留米で上演しますので、そちらもどうぞよろしくお願いします。
出演者が食べているのは果たしてティラミスなのか、それとも来年にはティラミスに飽き、他の何かになっているのか、是非ご注目ください!

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「飛ぶ劇くん」11/1

ハロウィンなのに仮装もせず、『ジ エンド オブ エイジア』の稽古に行きました。

飛ぶ劇場にはマスコットキャラクターがいるのですが、今回、あのキャラクターが出演者へインタビューを行う(という体の)動画を作成し、ツイッターで公開しています。


動画はこちら

この動画を作成しているのは文目くんで、どうやってキャラクターを動かしているのか聞いた所、ざっくり言うとVチューバーと同じ技術だそうです。
僕が文目くんの話に感心していたら、德ちゃんが興奮して話に入ってきました。
「私も一度、飛ぶ劇くんやったんですよ!」
添付の動画を僕は見ているし、なんならリツイートしているので、知っています。
「そうじゃなくて、私が飛ぶ劇くんやったんですよ!」
德ちゃんが何を言いたいのかというと、他の人のインタビューの時に、德ちゃんがキャラクターの動きを担当したということです。あとしきりに飛ぶ劇くん、飛ぶ劇くんと言っているキャラクターには、カゲタという名前があるのですが、公表していないし、まあ、飛ぶ劇くんでいいかと思ったので、黙っていました。
「すごいんですよ! あーってしたら、あーってなるんです!」
德ちゃんは飛ぶ劇くんの技術に対するテンションが上がり過ぎて、テンションが上がっていることはよく伝わったのですが、内容が全く伝わってきませんでした。
「あーって何?」
「ですから、あーってしたら、あーってなるんです!」
「その『あー』がわからないんだよ」
「だから飛ぶ劇くんですよ!」
「それはわかるよ」
「やった!」
「いやよくない。飛ぶ劇くんの何が『あー』なの?」
「ですから、あーってしたら、あーってなるんです!」
德ちゃんのテンションが爆上がりして、これは埒が明かないと思ったので、文目くんに助けを求めました。僕はVチューバーにあまり詳しくないのであれなんですが、つまり、キャラクターの動きと人間の動きを連動させているのだそうです。最近のアプリは何でもできますね。
「わかりましたか、達郎さん!」
「結局『あー』は何?」
「『あー』って言う時、動くのはどこですか! そう口です!」
「あ、口が連動したんだね」
「そうです! 飛ぶ劇くんがあーってなると、私もあーってなるんです!」
「ん?」
「だから! 連動してるから! 飛ぶ劇くんがあーってなると、私もあーってなるんです!」
「逆じゃない?」
「……え何ですか?」德ちゃんのテンションが爆下がりました。
「いや、だから、德ちゃんがあーってすると、飛ぶ劇くんがあーってなるんだろ?」
「同じでしょ?」
「いや違うよ。逆はこわいだろ」
「そんなことはどうでもいいんです! あ葉山さん! トリックオアトリート!」
と、德ちゃんははやまんからプリンを巻き上げました。

『ジ エンド オブ エイジア』はいよいよ今週末本番です!
興味のある方は是非ご来場ください!

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「ト書き」10/25

『ジ・エンド・オブ・エイジア』の稽古に行きました。

台本にはセリフの他に、「ト書き」という、登場人物の行動や、舞台への出入りを記した文言があります。「藤原、来る」や、「藤原、水を飲む」や、「藤原、去る」のように、概ね、簡素に書かれています。なぜなら、「藤原、まるで悟りを開いたような表情で、脳内で流れる『イマジン』を聴きながら、ジョンレノンへの敬意を胸に秘め、昨日、タンスの角にぶつけた足の小指が痛いながらも、なんとか我慢し、来る」などと、比喩や詩情を多用した所で、お客さんには伝わらない場合の方が多いからです。そこが、小説の地の文とは大きく異なる点でしょう。

しかし、何事もやってみなければわかりません。最初からナシにしてしまうのは可能性をつぶしてしまう愚かな行為です。「お客さんに伝わらない場合の方が『多い』」だけで、全く伝わらないわけではない。僕は、「藤原、去る」と簡素に記されたト書きに、自分なりに背景を足し、それを通し稽古中に表現してみました。

——「じゃあ、また来るよ」と言い、私は店のドアを開けた。さっきまでは曇っていたのに、陽光が目を突いた。私はあまりの眩しさに手で光を遮った。そして「まぶしい……」と言った。実際に声には出していない。それは心の声のようなものなのかもしれない。言ったのかもしれないし、言っていないのかもしれない。別の言葉で言うと、それは「思った」ということ、なのかもしれませんね。私は思ったのだ、たしかに、「まぶしい」と。
 その「まぶしさ」が、店内で働く女性の姿と重なった。私は店内の様子に思いを馳せた。無意識に、あの女性の姿を目で追っていた。目を逸らそうとしても無駄だ。まるで、蝶が花の蜜に誘われるように、強烈な魅力を全身から放っていた。
 私は、彼女のことが好きなのかもしれない。しかし私は無職だ。甲斐性がない。こんな無職の男に、女性が好意を寄せてくれる可能性は極めて低い。彼女もまたそうに違いない。「お金と私、どっちが大事なの」といった、ドラマの常套句のようなものがあるが、そんなの、どっちも大事に決まっている。お金がなければ伴侶は大事にできない。もちろん、程度の問題であり、あまりに仕事に没頭しすぎる男に対して発する言葉なのであろうが、あいにく私には、没頭するほど仕事への情熱がない。日がな一日、公園でひなたぼっこをするのが大好きだ。
 けれど、今日はひとつ、ハローワークにでも行ってみるかな。そして、次にこの店を訪れる際には、彼女にプレゼントの一つでも買ってくるとしよう——

みたいなことを、舞台の出入口付近で、主に顔芸で表現していたら、通し稽古中であるにも関わらず、泊さんから「長い」というダメが出ました。

何が言いたいのかと言うと、本番の二週間前に、通し稽古を行っている程度には順調だということです。

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「スマート」10/17

『ジ・エンド・オブ・エイジア』の稽古に行きました。

この日は、市民センターのような所での稽古だったので、我々の前後にも、演劇の稽古に限らず、打ち合わせや楽器の演奏など、様々な利用団体がいます。
僕は、開始の20分前くらいに稽古場に着きました。
利用する部屋は三階だったので、階段を上がって行くと、エレベーターの前にすでに桑さんがいて、スマートフォンをスマートに扱っていました。おそらく、メールだかLINEだか、何かしらの文章をフリック入力していたと思われるのですが、指の動作がスムーズで、非常にスマートでした。

僕は「おつかれさまです」と桑さんに挨拶をしました。桑さんも僕の方を見、「おつかれさま」と言いました。そして僕が部屋に入ろうとすると、「あ、まだ、前の団体が使ってるから」と教えてくれました。その間、桑さんのスマートフォンを扱う指が止まることは一切ありませんでした。つまり、僕の方を見、画面を見ていないにも関わらず、フリック入力を続けていたということです。

スマート過ぎて痺れました。

まだ使ってるんじゃ仕方がないなと、部屋の前に設置されたベンチに座り、僕も、桑さんに負けずに、スマートフォンをスマートに扱うことにしました。
スマートフォンをスマートに扱うのは容易ではありません。画面の前で指をウロウロさせようものなら、「あいつ、スマートフォンをスマートに扱えていないぜ」と、周りの人から思われてしまいます。だから、スマートフォンをスマートに扱っているように見せるには、よどみなく指を動かす必要があります。その動作が、画面に表示した内容に必要かどうかはあまり重要ではありません。むしろニュースの閲覧などの場合には邪魔です。しかし、今大事なのは「スマートフォンをスマートに扱っているように見せる」ことです。
僕は、メールやLINEを頻繁に送る相手がいないので、とりあえず、メモアプリを立ち上げました。さらに、フリック入力もあまり得意ではないので、キーボード入力に切り替えました。そして、左手でスマートフォンを持ち、右手の指でキーボードを乱打し、無意味な文字の羅列をひたすら生成することにしました。その時、周囲には幼稚園児くらいの女の子が二人走り回っていたのですが、彼女たちから、僕と桑さんは非常にスマートに見えたことでしょう。

すぐに、乗岡さんが現れました。乗岡さんが「おつかれさまです」と言ったので、僕と桑さんも、乗岡さんの方を見、指を止めることなく、「おつかれさまです」と言いました。「まだ入れないんですか?」と聞かれたので、「前の団体が、まだ、えぇ」とスマートに答えました。乗岡さんも、部屋の前のベンチに腰掛けました。おそらく、僕と桑さんをスマートだなと思ったことでしょう。

そのまましばらく、桑さんと僕が指を動かし、乗岡さんがじっとしている、スマートな時間が流れたのですが、僕の中に疑問が生じました。部屋の中が静かなのです。桑さんはなぜ、まだ前の団体が部屋を使っているという認識に至ったのでしょう。
僕は桑さんに、その辺の事情を聞いてみることにしました。
あくまでもスマートに。
藤原「桑さん」
桑島「なんだい?」
藤原「部屋の中が静かです」
桑島「そうだね」
藤原「なぜ、桑さんは、まだ前の団体が使っているという認識に至ったのか、お聞かせ願いたい」
桑島「それはね、林くんがそう言ったからさ」
藤原「林くんが……?」
桑島「私より先に、林くんが来ていて、そう教えてくれたのさ」
藤原「その、当の林くんは、どこに?」
桑島「コンビニに、ちょっと、食べ物を買いにね。きっと小腹がすいたんだろう」
藤原「コンビニっていうのは、小腹を満たすのに適していますからね」
桑島「それはコンビニの一側面に過ぎない。コンビニには、何だって売っているんだ。それこそ、老眼鏡だってね」
藤原「コンビニの便利さはこの際置いておきましょう。では、桑さんは、部屋の中を確認してはいないということですね」
桑島「そうだね。したか、していないかで言うと、してはいない。けれど、それにどれほどの意味があるというのだろう。我々は現に、ここに、こうして集まっている。それだけで十分じゃないか」
藤原「そうですね。それもたしかに一理あります。けれど、我々は今日、稽古をするためにここにやって来ました。そのためには、部屋に入らねばならない。なぜなら、ロビーで稽古をすると、他の利用者の迷惑になってしまうから」
桑島「そいつはスマートじゃないね」
乗岡「ここでひとつ、提案があります」
藤原「はい、乗岡さん」
乗岡「部屋のドアを開けてみるっていうのはどうでしょう」
桑島と藤原「ドアを開けるだって!?」
乗岡「ドアを開ければ、まだ前の利用者がいるのかどうか、確認できます」
藤原「けれど、いたらどうするんだい? そいつはスマートじゃない」
乗岡「その時は、『すいません』って、謝ればいいんです」
藤原「謝るだって!?」
乗岡「謝るのは、たしかにスマートではないかもしれない。しかし、このまま待っていても埒が明かない。時間っていうのは有限なんです」
藤原「スマートさを取るか、時間効率を取るか……こいつは難しい問題だな」
桑島「わかった。私がドアを開けよう」
藤原と乗岡「桑さんが……!?」
桑島「ドアを開け、前の利用者がいたとすれば、スマートに謝罪すればいい。それだけの話さ」
藤原「スマートな謝罪というものが、僕には皆目見当もつきません」
桑島「それこそ、神のみぞ知る、と言ったところかな」

この間、僕と桑さんのスマートフォンを操作する指は常に動いていたのですが、桑さんはスマートフォンをしまうと、部屋のドアを開け、中の様子を見ました。
そしてそっとドアを閉め、僕と乗岡さんの方を見ました。
藤原「……どうでした?」
桑島「大変だ」
乗岡「まだ、前の利用者が……?」
桑島「内山さんが、一人で台本を読んでいる……」

何が言いたいのかというと、林くんの勘違いでした。

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「演技の距離感」10/9

僕は舞台で演技をする時、「発するセリフ」と、「その言い方」と、「観客に伝えたい情報」、この三つの距離感を大事にしています。役作りにも関わって来るのですが、台本に書かれている意図を汲んだ上で、どう演じるかという選択肢は無限にあります。
例えば、「おはよう」というセリフがあったとして、眠そうな感じでそれを発すると、観客には「朝だな」という情報が伝わります。これは「セリフ」「言い方」「情報」の距離が比較的近い、オーソドックスな演技と言えるでしょう。
「おはよう」というセリフを、怒った感じで発すると、「昨夜、何かあったんだな」という情報の方が強く伝わりますし、また、相手と親密な感じで発すると、「昨夜、何かあったんだな」のニュアンスが変わってきます。棒読みで発すると、観客は情報の判断を保留・先延ばしにします。
ツンデレがわかりやすくて僕はいつも念頭に置いているのですが、あれは「大嫌い」というセリフを嫌悪感たっぷりに発し、「大好き」という情報を伝えています。距離があるにも関わらず伝わりやすい、稀有な例でしょう。
「セリフ」「言い方」「情報」、この三つが程良い距離を保った演技は、観客の想像力を喚起します。距離が近いとわかりやすい反面、演劇にする意味が薄く(読書でも同程度の情報が伝わるため)、逆に距離が離れ過ぎると観客の想像力は停止してしまう。また、意図を詰め込み過ぎても食傷気味になってしまうし、相手役との関係性によっても伝わる情報は変化する。絶対的な正解などない。それらのバランスのちょうどいいポイントを、一ヶ月なり二ヶ月の稽古期間で探るのです。
俳優同士の豊かなやりとりが、言葉では言い表しがたい「流れ」のようなものを生み、そこに照明や音響などの効果も乗り、流れがつながってうねりとなり、物語を最後まで導くのが演劇の大きな魅力の一つです。

しかしこれは、観客が日本語を理解できていることが前提となります。日本語の通じない観客に、このルールで演技を提示しても、意図は半分も伝わりません。
「ジ・エンド・オブ・エイジア」では、まさにこのような状況が発生しています。セリフが、架空の言語も含め、4カ国語で成り立っているからです。つまり、「おはよう」ではなく、「けむけむぽぺら」みたいなセリフで、「今は朝なんだよ」という情報を観客に伝えなければならない。セリフが「けむけむぽぺら」の時点で、観客は「何を言ってるのかな」と、すでに想像力を働かせているので、演技で距離を取る必要はあまりない。まず俳優に求められるのは「わかりやすさ」です。その上で、どう工夫するのかというのが見せ所となる。
一筋縄ではいかないのは、日本語のセリフもあるためです。日本語のやりとりでは当然、わかりやすさとは別のルールの演技を求められる。しかも「ここは日本語のシーンです」みたいに明確に区切られているわけではなく、他の言語も入り乱れているので、みんないつも以上に、脳みそをフル回転させて挑んでいます。

そういった過程を辿り提示される物語が、お客さんの中に立ち上げる像が、一体どんなものなのか、僕にはまだ想像できません。ひょっとしたら泊さんには、像の片鱗や、「こう見せたい」という到達点のようなものは見えているのかもしれません。

何が言いたいのかというと、僕は稽古の合間にこの日記のネタを探しているのですが、みんな頭から煙を出しながら台本と向き合っているので、休憩中は静かだということです。

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「ご飯を食べるシーン」10/4

『ジ・エンド・オブ・エイジア』の稽古でした。
今回のお芝居では、お店でご飯を食べるシーンがあります。
それは割とよくあるシーンの一つだと思うのですが、「ジ・エンド・オブ・エイジア」では数カ国の言葉が入り乱れる上、まだみんな、セリフがあやふやなので、ランチタイムに大混雑した定食屋の風情を醸していました。

店員「しょうが焼き定食、お待たせしました」
客1「え?」
店員「しょうが焼き定食です」
客1「いや、頼んでませんけど」
店員「え!?」
客1「頼んでません、しょうが焼き定食」
店員「えっと、お客様は、何定食のお客様ですか?」
客1「ハンバーグ定食です、俺が頼んだの」
店員「失礼しました……今しばらくお待ちください」
客2「おい、何十分待たせるんだよ!」
店員「あ、しょうが焼き定食のお客様ですか?」
客2「俺が頼んだのは日替わり定食だけど、もうそれでいいよ!」
店員「いや、そういうのは、ちょっと……」
客2「ちなみに、今日の日替わり、何?」
店員「今日は……あ、しょうが焼きですね」
客2「じゃあ、それ、俺のじゃん」
店員「いや、日替わりのしょうが焼き定食には、小鉢が付いてないんです」
客2「だから、その小鉢だけ退けてくれれば、俺の日替わり定食になるだろ?」
店員「それはそうなんですが、そういうのは、ちょっと……」
客2「昼休憩、終わっちゃうよ!」
店員「すいません……じゃあ、小鉢だけ、退けるってことで……」
客3「すいませ~ん」
店員「はい、はい」
客3「コーラと思って飲んだらアイスコーヒーだったんだけど、交換してもらえます?」
店員「すいません、ちょっと、今、混んでまして、バイトも一人、ドタキャンしちゃって……」
客3「あぁ、大変だ」
店員「この、小鉢でよければ……」
客3「デザート的な小鉢ですか?」
店員「いや、冷奴です」
客3「じゃあ、まあ、それで」
店員「(いいんだ……)100円です。ありがとうございます」
厨房「おい、カラアゲ定食あがったよー!」
店員「はい……カラアゲ定食お待ち~!」
客1「いや、俺、ハンバーグ定食なんだけど……」
店員「失礼しました……」
客4「すいませ~ん、ここの、このコンセントで、スマホの充電ってOKですか?」
店員「もう好きにしてくださいっ!」

みたいな感じでした。
何が言いたいのかというと、来月の今頃には、店の労働環境も改善されていると思われますので、『ジ・エンド・オブ・エイジア』をよろしくお願いします。

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「2億6千年」9/20

『ジ エンド オブ エイジア』の稽古に行きました。
現在は、日本語で書かれた台本を元に、英語、韓国語、そして架空の現地語への翻訳作業を行なっています。僕は今回、日替りキャストとして参加するので、セリフがあります。なので、みんなと同様に翻訳作業を行いました。

翻訳の合間を縫って、内山さんと中川ゆかりがセリフの読み合わせをしていました。そして、「2億6千年前には~」というセリフが聞こえてきて、「ん?」となりました。
藤原「2億6千年?」
中川「はい?」
藤原「2億、何?」
中川「2億6千年です」
藤原「2億年でよくない?」
中川「はい?」
藤原「2億目線から言えばさ、6千とか、もう、あってないようなものじゃない?」
中川「けど、台本にそう書かれています」
たしかに、台本には2億6千年と書かれていました。
中川「6千年ですよ? 達郎さん、そんなに生きられます?」
藤原「いや、無理だけど……」
中川「中国だって、4千年の歴史を売りにあれこれ宣伝しており、それが販売促進につながっているんです」
藤原「だからそれは、人間目線からするとすごく長いんだけど、2億、つまりこれはまあ、地球目線だよね」
中川「地球に目、あるんですか?」
藤原「知らないよ、俺、地球じゃないもの」
中川「知ってますよ、そんなの」
お互いに、一歩も譲る気がありませんでした。

藤原「じゃあさ、例えば、宝くじが当たりました。当選額は2億6千円でした。けど、誰かに言う時には、『2億円当たったよ』って言うだろ?」
中川「6千円あれば、けっこういろんな物買えますよ。今、北九州市の最低賃金は時給842円なんです」
藤原「いや、それはそうなんだけれど、2億円目線から見れば……」
中川「2億円に目、あるんですか?」
藤原「あるだろ、それは、福沢諭吉の、4万個の目が」
中川「6千円にだって、野口英世の12個の目があるんです。もしくは、樋口一葉と野口英世、それぞれ2個ずつの目が……」
藤原「いいんだよ、目玉の数は」
中川「達郎さんが目玉の数にこだわったんじゃありませんか」
これは埒があかないな、と、俺も中川ゆかりも感じ始めていました。

そこに、内山さんが助け舟を出してくれました。
内山「ケタが間違ってるんじゃない?」
中川「ケタ?」
内山「だから、2億に合わせるのであれば6千『万』年だし、6千に合わせるのであれば2『万』6千年だし」
藤原「なるほど。どっちがいい?」
中川「え、私が決めていいんですか?」
藤原「よくないけど、泊さんが来た時に聞けばいいし、暫定的に、どっちかにしとけばいいんじゃない?」
内山「文脈的には、2億6千『万』年前っぽいけどね」
藤原「郷ひろみの歌にもそんなのありましたね」
内山「あれは2億4千万じゃなかったっけ?」
中川「6千万と4千万、どっちなんですか?」
藤原「知らないよ、俺、郷ひろみじゃないもの」

何が言いたいのかと言うと、暫定的に「2億6千『万』年前」にしました。

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「ふざける」8/25

誰しも、ふざけて怒られた経験があると思います。特に子どもの頃は、家でも学校でも、大人から「ふざけるな」と怒鳴られることが多々あります。家事や授業など、進行している物事のルール上、ふざけることが邪魔になるからです。
大人だってふざけることはあります。それを見て子どももふざけることを覚えます。ただ、ルールへの理解が不十分で、しょっちゅう「ふざけるな」と怒られるため、成長の過程で、ふざけることそのものが悪いことであるかのように錯覚してしまいがちです。
ふざけるのは楽しいです。言葉にするなら「ルールから逸脱する魅力」だと個人的に思っています。また、時には停滞した空気を変え、場の主導権を握ることにもつながります。しかし、やり方を間違えると周りの者を置いてけぼりにしてしまったり、嫌悪感を生んだりと、よろしくない状態に陥ります。そのさじ加減が難しく、大人でもしょっちゅう怒られます。最近も、サービスのつもりでやった行為が大批判を生み、謝罪に追い込まれたケースがありましたね。何がとは言いませんが。

前置きが長くなりましたが、僕が演劇を続けている、おそらく一番の理由は、ふざけられるからです。演劇ではふざけることが実生活に悪影響を及ぼさない上、お話を盛り上げる役割を果たしてくれる場合が多く、劇作でも、役者をしている時でも、どうやってふざけてやろうかと常に考えています。もちろん、演劇のふざけにもルールがあり、観客も巻き込めるようにふざけなければ、楽しいのは自分だけになってしまい、大やけどを負います。やるからには本気でふざけなければなりません。そこのバランス、感性を磨くことが、経験や技術につながると言っても過言ではないでしょう。

間違いや失敗というものは、第三者から見れば面白いもので、これはどうやら人類の原初的な感覚のようです。ドラえもんやアンパンマンのショーで、着ぐるみが転んだり、頭が取れたりすると、子どもたちはゲラゲラ笑って喜びます。フロイト先生の「精神分析入門」の”錯誤行為”の項にも似たようなことが書かれていたと記憶しているのですが、僕は台本に、意図的に間違いや失敗を書き込んでいます。つまり「わざと間違う」というふざけです。意図を見透かされた時ほど恥ずかしいものはないので、巧妙に隠して書き込みます。結果、登場人物たちは与えられた状況下で懸命にもがいているのに、それを外から眺めている観客には、どうにもその様がおかしく映る、というふざけ方が理想的だな、と、今現在、僕は思っています。

では、昨今の笑えない状況下で、我々はどうルールから逸脱し、ふざけられるのか。そこに一定の形を与えることが、演劇的に行える、現実への対抗手段の一つではないか。という考えのもと、僕は日々、パソコンの前で書いては消しを繰り返しています。いつになるかわかりませんが、台本が完成する頃には、状況の方が改善されていることを願うばかりです。

何が言いたいのかというと、晩飯中にふざけてお椀をひっくり返した息子を怒鳴り散らしました。

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「ミーティングとワークショップ」7/29

昨日、飛ぶ劇のミーティングの日でした。

俺が会場に着くと、キムケンが先に来ていました、「おつかれさまです」「おつかれさまです」と言った後、無言になりました。俺は無言でも大して気にならないので、気にしていませんでしたが、キムケンは気になるのか、部屋を出たり入ったりしていて、申し訳ないなと思いながら黙っていました。
しばらくして德ちゃんが来ました。キムケンと德ちゃんがウマ娘の話を始めました。ウマ娘を知らない人のためにウマ娘の説明をざっくりしますと、競走馬を娘化したゲームです。俺はウマ娘をしていないので、やはり黙っていました。
その後みんなわちゃわちゃ来ました。水曜日なので太田カツキも来ました。
乗岡さん、林くん、松本さんが入団して初めてのミーティングであり、初めましての団員もいたので、自己紹介からしました。太田カツキが自己紹介で(俺の)爆笑をかっさらい、さすがだなと思いました。

泊さんから「達郎、人間ドック受けたの?」と聞かれました。
藤原「はい、胃カメラを飲みました」
泊「口から? 鼻から?」
藤原「口からです。検査の精度的に、口からの方を勧められたので」
泊「そうなの?」
藤原「カメラの性能が上がってるので、鼻からでも問題はないそうなのですが、精度的には、やはり……と言われたので」
泊「へえ」
藤原「林くんは?」
林「何ですか?」
藤原「人間ドック」
林「いや、まだ……」林くんは大学生です。
藤原「じゃあ、松本さんは?」
松本「まだ……」松本さんも大学生です。
藤原「そっか」
泊「そりゃそうだよ」
藤原「乗岡さんは、人間ドック、ありそうですね」乗岡さんは大体同い年くらいです。
乗岡「もちろん、ありますよ。けれど、胃カメラは合わなかったので、もっぱらバリウムですね」
藤原「しかし、精度的には、やはり……」
精度的には胃カメラです、やはり、口からの。

それから泊さんと桑さんが、飛ぶ劇の成り立ち~「ジ・エンド・オブ・エイジア」の初演くらいまでの話をしてくれました。新入団員に向けて、という名目だったのですが、そんな話、俺らも聞いた事ねえよ、と思いました。1987年~1995年頃のことが、お二人の思い出とともに語られ、みんな、新鮮な気持ちで聞きました。桑さんは簿記が苦手、ということがわかりました。
その後、今年の本公演「ジ・エンド・オブ・エイジア」の具体的なミーティングをしました。

休憩をはさんで、キムケン指導のもと、ワークショップを行いました。
指示語の多いテキストを使い、場所をイメージしてお客さんに説明できるか、みたいなことをやったあと、今度は自分の家から最寄駅までの道の説明をしてみて、自分の中で起こる発想の違いを理解しようと試みました。
また、キムケンがワークショップの意図を説明する際、みんなに一方的にしゃべっているように見えて、実際は「言ってること、理解されてるかな」と、聞いている側とのやりとりが都度行われているのだよ、このやりとりこそが、演技の基本、なのかもしれませんね、といったような、大変ためになるお話を聞きました。これもまた、新入団員向けのワークショップだったのですが、俺は「キムケン、演劇の先生みたいだな」とすっかり引きこまれました(実際、キムケンは演劇の先生をしています)。
そのあと、また別のテキストを使い、他者とやりとりをする、ということへの理解を深めました。恋愛を扱ったテキストで、乗岡さんも林くんも松本さんも楽しそうでした。ここでもまた太田カツキが(俺の)爆笑をかっさらい、さすがだなと思いました。
大変有意義なミーティングとワークショップでした。

何が言いたいのかというと、vol.43「ジ・エンド・オブ・エイジア」の詳細を公開しました。

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「オーディション」7/10

6月末、市内某所で飛ぶ劇場の劇団員オーディションが行われました。
俺は日中仕事で、遅れて会場に着きました。すでにオーディションは始まっていて、劇団員を含め、みんな車座になって座っており、自己紹介をしている所でした。
俺はこそこそと部屋の隅に荷物を置きました。そしてみんなが椅子に座っている中、俺だけ立っていると身長が無駄に高いので目立つし、地べたに座ると「あの人、劇団内のヒエラルキーの最底辺なのかしら……」と、ご参加の方々に変な誤解を与えてもあれなので、自分用のパイプ椅子を用意することにしました。
パイプ椅子は、学校の体育館なんかにある、折り畳んで立て掛けるタイプのラックに収納されており、オーディションの邪魔にならないよう、そっと椅子を取り出すつもりで、力を加減して引っ張ったら、どこかしらに引っ掛かってて出て来ず、一旦戻し、再度そっと引っ張り、また引っ掛かって、みたいなことを三~四回繰り返し、そっとやっているつもりでも、パイプ椅子ならではの、あの乾いたカチャカチャした音が鳴り響き、自意識が過剰なので「何やってんだ、あいつ」的に、俺の方に向けられる視線を勝手に感じ、もういいやと思って、「ふんっ」と力を込めて引っ張ったら、となりの椅子を巻き込んでガッチャガッチャと盛大な音を立ててしまいました。ごめんなさい。
どうにかこうにか椅子を取り出して座り、参加してくださっている方々の情報をチェックしようと、メガネをかけ、スマートフォンを開きました。が、駅から急いで来たのと、パイプ椅子の件で体温が上昇しており、メガネが曇りました。結局はずし、裸眼でスマホの画面を見ましたが、字が小さいのでしかめ面になり、画面とご参加の方々の顔を交互に睨みつける失礼なやつになりました。重ねてごめんなさい。

飛ぶ劇のオーディションは、劇団員も混ざって身体を動かしたり、テキストを読んだりします。ご参加の方々にはなるべく緊張せず、リラックスして表現していただきたいので(むしろそのような姿の方がこちらとしても見たいので)、和気藹々とした雰囲気で進行しました。
そして歌を披露していただきました。飛ぶ劇の芝居では歌う場面がちょくちょくあるのですが、ミュージカル劇団ではないので、歌唱力を特別重視しているわけではなく、もちろん、上手かったら上手かったで「上手いなあ」と唸るのですが、曲のチョイスも含め、どんな歌を歌うのかが見たいのです。そしてある方が「残酷な天使のテーゼ」をチョイスしました。みんな車座になって座っているため、車座の外にいる俺からは「残酷な天使のテーゼ」の方が背中しか見えず、俺は立って、その方が正面で観れる位置に移動しました。
すると泊さんが「達郎、今なんで移動したの?」と言いました。
泊さんはきっと、俺が「残酷な天使のテーゼ」に特別な思い入れがあると思ったに違いありません。テレビアニメをリアルタイムで見ていた世代としては、「残酷な天使のテーゼ」に思い入れがあるかないかと聞かれれば、どちらかと言えばあるし、むしろあり余っていると言ってもいいほどで、なんなら当時劇団員だった青木くんをいじり倒すために日替り出演で歌ったこともあるほど、思い入れ、ぶっちゃけかなりあるのですが、それをこの場で「実はこれこれこうで、『残酷な天使のテーゼ』には、ちょっとした思い入れがあるんだよね……」などと告白した所で、オーディションに参加している方々のプラスになることなど皆無だし、何より今から「残酷な天使のテーゼ」を歌おうとしている方に、変なプレッシャーを与えてもあれなので、「いや、ちょっと見えないから……」と、俺は遠慮がちにモゴモゴ答えました。
泊さんは「あぁ」と言い、俺への興味を失いました。
俺のあり余るほどの思い入れは発露をなくし、胃のあたりに変な重みを残しました。
そういった経緯を経て聴いた「残酷な天使のテーゼ」には、また一段と感じ入るものがあり、「次から、オーディションの日には、有給取ろう」と、俺の心に新たなテーゼを刻み込んだのでした。

何が言いたいのかというと、思い入れどうこう言うわりに「シン・エヴァンゲリオン劇場版」を未だに見ていないという事実ではなく、オーディションの結果、乗岡、林、松本の三名が、新たに飛ぶ劇場に入団しました。

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「英和辞典」6/27

自室でだらだらしていると、子どもが来て、「英和辞典を貸してくれ」と言いました。英語の宿題でわからない単語があったようです。子どもにはタブレット端末を持たせているので、調べ物はたいていそれで行っていますが、英単語を調べるという所まで意識が及ばなかったようです。
俺の持っている英和辞典は、それこそ中学生・高校生の頃に使っていたもので、かなり年季が入っています。「タブレットで調べられるよ」と教えても良かったけれど、辞書を引くのも良い経験になると思い、貸しました。

しばらくして、子どもが英和辞典を返しに来ました。
「これ、ありがとう」
「調べられた?」
「うん」
「じゃあよかった。マーカーで書き込みしてただろう?」俺は学生の頃、一度引いた英単語にマーカーで印をつけ、引いた語句にすでに印がついていると、二回目だとわかるようにしていて、重点的に覚え直す勉強法を取っていたのです。
すると子どもが「うん、『口ひげ』にマーカー引いてた」と半笑いで答えました。
「口ひげ?」
「なんか、Mで始まるやつ。忘れた」と、子どもは部屋から出て行きました。
俺は子を呼び止めようとしましたが、妙な気恥ずかしさを感じ、黙りました。

学生の頃の俺は、「口ひげ」の英単語がわからなかったようです。正確には、英単語を見て「口ひげ」と和訳できなかったようです。それだけなら「あぁ、そうだったんだな」で終わりなのですが、腑に落ちないのは、子どもが半笑いだったことです。原因は明白です。
「『口ひげ』にマーカーを引いている」
それは「『口ひげ』の英単語もわからなかったのかこいつは」という意味ではなく、「『口ひげ』にマーカー引いちゃってるよこいつ」という類のものです。意訳すると「『口ひげ』てww」となります。
「口ひげ」という言葉を聞いてまず思い浮かぶのは、カイゼルひげのような、先端がくるんとカールした、なんだか滑稽味のあるそれです。その滑稽味と、英単語を覚える苦痛の間に生じるズレが、あの半笑いになり、そんなものの英単語を調べた上、マーカーまで引いちゃってるうちの父親どうなん? エロい単語にマーカー引いてる方がまだマシなんだけど、という、半笑いの中に冷笑に近い成分を読み取り、気恥ずかしさのようなものを感じたのでした。そして行き場のない怒りを覚え、英和辞典をグーで殴りましたが、2000ページあるので、俺のこぶしの方がダメージを受けました。

学校も学校です。「口ひげ」を例文なり問題に出して、わかる生徒がどれくらいいるというのでしょう。「口ひげ」なんか、中高生にもっとも縁のないものではありませんか。女の子ならなおさらです。もちろん、知識として知っているに越したことはありませんが、俺は高校を卒業してから今まで、一度も「口ひげ」の英単語を使っていませんし、使えなくて困った記憶もありません。
何より、一度調べてマーカーを引いているにも関わらず、俺は「口ひげ」の英単語を覚えていませんでした。「Mで始まる」という子どものヒントから、口はマウスかな、と想像しましたが、ひげがどうにもお手上げでした。そして再び英和辞典を開き、この日のことを忘れないよう、マーカーの上からさらにボールペンで印をつけ直したのでした。

何が言いたいのかというと、口ひげの英語ではなく、劇団員オーディションを終えまして、結果は7月中に発表予定です。

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「自己紹介」5/19

演劇動画配信サービス「観劇三昧」にて、『ガギグゲゲ妖怪倍々禁』の映像配信を開始しました。ご時世的な云々を鑑みれば、オンライン上で舞台作品を観られる環境というのも、あってしかるべきでしょう。未見の方は是非ご覧ください。

さて、飛ぶ劇場は泊さんの作品を創作する団体であり、僕はまた別に、自分の作品を上演する団体を持っていまして、去年、公演を計画して、ご時世的な云々を踏まえて中止したのですが、今年も計画していて、ご時世的にどうなるかわかりませんが、計画だけはしていて、時期的にもう動かないとあれなので、先日、オンライン上で顔合わせをしました。
僕は、オンラインでのやりとりをそんなに頻繁にする方ではなく、ていうか、オフラインでもする方ではなく、つまり、オンライン・オフライン共に、やりとりをそんなにあんまり頻繁にする方ではなく、どちらかと言えば若干、普通よりはしない方で、なんなら限りなくしていないに等しく、ほぼ、ほぼほぼ、ほぼほぼほぼ、普段家の者以外とのやりとりはしておらず、もっと言えば、人間よりも飼っている鳥と過ごしている時間の方が長いくらいで、要するに他人としゃべっていません。結果、どういうことになるのかと言うと、Zoomの画面の前で僕は緊張していました。

顔合わせ、すなわち、この公演に関しての初めての会合、ということもあり、お互いに、見知った顔の者もいたのですが、ていうかほとんどの者がそうなのですが、ぶっちゃけ他人と一緒に何か作るのとか難易度高過ぎなのですが、だから演出は藤本瑞樹くんにお願いしているのですが、その上で緊張しているのですが、それでも演劇を創作しているっていうのは、それだけ演劇に魅力があるからなのですが、人見知りと演劇を天秤にかけた結果、演劇の勝ちなのですが、一応、形式上、オンラインではありますが形式を重んじ、自己紹介から始めることにしました。自己紹介っていうのは、一般的には一人ずつ、順番に行うわけで、複数名がいっぺんにしゃべっても、自己を的確に紹介できないわけで、効率を重視した結果、オンラインではありますが、いやオンラインだからこそ、自己紹介は一人ずつ行うに限るのであり、団体の主宰ということもあり、まあ、僕からしました。

「どうも、藤原です。この度は、私どもの公演にご参加くださり、誠にありがとうございます。えぇ、この場を借りまして、この場……まあ、この場と言っても、オンライン、電子空間ですねつまり。電子空間を場と言っていいのかどうかよくわかりませんが、我々は事実、こうして、ここ、ゼロとイチだけで表現される世界上に集まっているわけで、これはもう場、と言っていいのではないでしょうか。いいでしょう。良しとします。……えっと、何でしたっけ? 何で場の話になったんでしたっけ? 誰か覚えてる人います? いません? 何、緊張してる? 俺ですか? この俺がですか? いや、してませんよ。してませんけど緊張とか。俺はしませんよ、そんな、緊張って、するわけないじゃありませんか。しないでしょう普通、まじウケるww 緊張っていうのは、あれですからね、自意識がそうさせるっていう、あれですから、俺はというと、もう人生、40年続けてるわけで、そんな自意識とか、とっくにあれですよ、大したことありません。その結果のこれですよ。服、脱いだって平気です。ほら、見てくださいこの肉体美。まあ美ってほどのものでもありませんが。最近、あれです、週イチで走ってるんです。健康を意識して。太る一方ですからね、人間、歳をとれば代謝が落ちるんです。太りますよ、俺は、放っておけば。太る一方ですホント。20代の頃とは違うんです。同じように飲み食いしてても、40代は太るんですから。俺はね、太ります。太ってます現在進行形で。主な原因は間食です。好きなポテトチップはのりしおです。どうぞよろしくお願いします」

激しく後悔しました。

何が言いたいのかというと、劇団員オーディションへご応募くださった皆さんは、ぜひリラックスしてご参加ください。まあ、緊張しますよね。オーディションなんてのは緊張するものですが、我々としても、可能な限り、リラックスして参加していただきたいわけで、リラックスできる空間づくりに努めますので、どうぞよろしくお願いします。

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「皿」4/11

昨夜、晩飯を食い終え、めんどうで、皿などを放置したまま風呂に入り、上がると、皿が洗われていました。妻も子も、すでにスマホを見たり漫画を読んだり、くつろいでいます。
「え、皿、誰が洗ってくれたん!?」晩飯の皿洗いは、基本的に俺の担当です。しかし、妻はスマホに、子は漫画に夢中で、無反応でした。
「え、え、誰が洗ってくれたん、皿!?」と、俺は、もう一度、同じことを言いました。同じことを二回言うと、そのことが強調されるという効果が、どうやら世の中にはあるらしいということを、40年の人生の中で、俺は学んでいました。が、スマホと漫画がよほど面白いのか、やはり二人は無反応でした。
「あの、あのね、これ、皿洗いは、夜、俺の担当のはずなんだけど、なんだけれども、ね、これ、皿、なぜかもう、洗われてるんよね、これ、すげえ、ね、これ、誰が洗ってくれたん!?」言葉の組み立てを変えつつ、三度、俺は同じことを言いました。
「U君」と、妻が、スマホから目を離さずに言いました。子が洗ってくれたようです。
「え、皿、U君が洗ってくれたん!?」と俺は言いました。無反応でした。
「U君が洗ってくれたん、皿!?」強調しました。夜ですが、喜びを表現するため、けっこうな大声で言いました。すると、子は、漫画から目を離さず、ちょっと、うなずいたか、うなずいていないか、わからないくらい首を動かし、「ん」と、喉の奥を鳴らし、再び、漫画に集中しました。
「U君、ありがとう! 俺、マジ、うれしいわ!」と俺は感謝を言葉にしました。無反応でした。

この辺りから、事情が変わってきます。ここまでは、素直に、喜びを表現するために話しかけていたのですが、あまりに反応が薄く、なんだか、家に居場所がないように感じられたので、自分の存在感を示すため、妻と子から、それ相応の反応を返して欲しく、話しかけ続けました。
「皿を洗うのって、けっこう、大変じゃん? しかも、晩飯食った後だからさ、体、だらけるじゃん?」と、普段使わない、語尾を「じゃん」にして訴えました。無反応でした。
「皿、洗わなきゃ、洗わなきゃなって思いながら風呂入ったのに、上がったら、皿、もう洗われてるからさ……あ、これ、よかったらどうぞ」と、二人にアイスを手渡しました。二人とも、無言で受け取りました。
シンクを二度見し、「あれ!? 皿がない! もう洗われているすでに! え、皿、誰が洗ってくれたん!?」四度目の強調をしました。もう近所迷惑を考慮していないレベルの声量で。この時点で、妻がスマホから目を上げ、「うるさい」と言いました。「やった。反応が返ってきた!」と、俺は内心喜びました。が、ルフィの腕が伸びるのがよほど面白いのか、それでも子は無反応でした。

俺は、妻も利用し、子の気を引くフェーズに移行しました。ちなみに風呂上がりなので、ずっと半裸です。
「ねえ、妻、これさ、皿、俺、洗おうとしたら、もう、洗われて……」
「だけU君ちゃ!」妻から食い気味に、かつ、半ギレの反応が返ってきました。
「マジで!? これ、U君が洗ってくれたん!?」
「あんたがほったらかしにしとるから、見兼ねて、U君が洗ってくれたんちゃ!」
「すげえ! すっげえ! これ、全部、U君が洗ってくれたん!?」
「さっきからそう言いよるやろが!」
「小さい皿も、大きい皿も、中くらいの皿も、箸も、スプーンも、なんかこざこざしたものも全部……」
「U君が洗ってくれたんちゃ!!」
「マジで!? すげえ! すっげえね、うちの息子!!」
この時、子が、顔を上げ、とても落ち着いた様子で一言、「うるさい」と言い、再び漫画に目を落としました。
俺も、妻も、黙りました。
まあ、反応が返ってきたので、良しとしました。俺は冷蔵庫からアイス一本を取り出し、くつろごうとしました。
すると妻が「代わりに洗濯物たたんでよ」と言いました。
俺は、二人の気を引くことに膨大なエネルギーを費やし、つまり、疲れていたので「ごめん、ちょっと休むから無理」と言い、自室へ引き上げました。

子は、先日、中学生になりました。

何が言いたいのかというと、飛ぶ劇場はオーディションをします。

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「福岡”題名のない”演劇祭」2/24

飛ぶ劇場は「福岡”題名のない”演劇祭」という、演劇のお祭りに参加します。フェスです。フェスではありますが、音楽のそれとは異なるので、「アゲアゲに盛り上がって行くぜFoooooo!Yeahhhhhh!」というようなことは誰も口走らないのではないかと想像します(ひょっとしたら言魂の山口君あたりは若いから口走るかもしれません)。
飛ぶ劇場を含む6つの団体が参加しています。フェス名を見てもらえばわかる通り、上演作品には題名が付されていません。作品を見て、お客さんが題名を考える、という趣向になっております。先日、僕は飛ぶ劇の通し稽古を見たのですが、よくよく考えてみれば、題名のない作品を見るのは初めてでした。そして「題名って、作品を見るにあたっての拠り所になっているのだな」ということに気づきました。
例えば、今僕は松坂牛をほおばりながらこの文章を書いているのですが、松坂牛と言えば当然ステーキですが、レア、ミディアム、ウェルダンで言うと、レアで食すのが通、というような印象を与えがちですが、レアとか腹壊すわ、好きなように食うのがうまいに決まってんだろと個人的に思うのですが、ていうか松坂牛のステーキを僕は日常的に摂取しているのですが、大体月2のペースで摂取しているのですが、ステーキソースにもこだわりがあるのですが(妻のお手製ですが何か)、それ自体は別にどうということもないのですが、当然のごとくおいしいのですが、そのことから藤原家の経済状況がうかがえるわけですが、あと僕の皮下脂肪も想像できるのですが、まあ全部嘘ですが、そもそもこのくだり自体別にいらないんですが、「松坂牛」という題名の作品を見に行った時点で、すでに「松坂牛」というワードに引っ張られているんですね。作品に直接松坂牛が登場する、しないに関わらず、「松坂牛」というものの発するイメージがあり、それに対する個人的な思い出、印象などが付属し、無意識にも松坂牛を拠り所として見るわけです。「タイトル未定(仮)」みたいな作品であってもそれは同様で、そこから派生するイメージがある。題名そのものからは逃れられない。
しかし今回、題名自体がない。するとどういうことが発生するのかというと、より能動的に作品を見ることになるわけです。少なくとも自分はそうでした。「今、目の前で起こっている、これは何?」ということを、一つ一つ探るんですね。中川裕可里がセリフを言い澱んだのは何故なのか、とか、頻繁に発生する◯◯は何かの比喩なんじゃないか、とか、通常の演劇作品で気になる点もさることながら、德ちゃんの役名が●●なのは反骨精神の現れではないかとか(ちがいました)、わっきーが決め台詞ですべったのはすべっていること自体が大事なんじゃないかとか(単純にすべってました)、はやまんとコンちゃんが二人ともくるっと回ってポーズを取り損ねたことに作品を脱構築させる意図があるんじゃなかろうかとか(全然ありませんでした)、普段は気に留めないような一挙手一投足が気になって仕方ないのでした。情報を取捨選択するのは当然見る側で、おそらく僕は欲張りで、可能な限り、最終的に描ける像に幅を持たせておきたいんですね。題名があると、その取捨選択の方向がある程度決まってくるのですが、ないので、よりたくさん拾いながら見るわけです。
結果、僕はお話の三分の二くらいが経過するまでずっと探り探り見ており、終盤でようやく宙に浮いていたピースがはまり出し、「あ、こういう作品なのかな」という一定の像を結んだのでした。そして、題名を付けるならこれだな、という案が浮かびました。
稽古後、泊さんから題名を聞かれ、一緒に見ていた桑さんとは全然違う回答だったのですが、以前キムケンが見て答えたものとかぶっていたらしくてイヤでした。が、人の考えることなど千差万別で、バラバラになるのが当たり前なのに、一定の方向性を与える(可能性がある)という点で、面白い試みだなと思ったのでした。

早速ですが今週末が本番です。飛ぶ劇場は、26日(金)18時と、27日(土)14時半の回に上演します。興味のある方は是非ご覧ください。

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「小説」2/11

九州の演劇情報サイト「mola!」に、小説を掲載してもらっています。
締め切りのある依頼で、書けるかな、という不安もありましたが、ご時世的に、行きたいけど行かない、という選択ばかりしていて、ずっと家にいたため、時間はあったのです。

休日、朝起きて、コーヒーをいれながら、飼っている鳥に水とエサを与えます。鳥カゴから出ると、僕の肩や頭に乗り、鳴きます。
「ピュウ」
そして鳥を乗せたまま自室へ行き、コンピュータを立ち上げ、書きます。
書いている間、鳥は僕を、止まり木のようなものだと認識しているのか、毛づくろいするのに飽きると、寝ます。僕の集中力が切れたり、書くのに行き詰まったりすると、止まり心地が悪くなるのか、起き、部屋の中を飛びまわります。こうなるともう書き進められないので、終了です。鳥にはトイレの概念がないため、僕の服や頭はフンだらけになりますが、もう慣れました。部屋を出、鳥をカゴに戻します。
これがワンセットです。
昼飯を食い、だらだらしていると、鳥がカゴから出せとアピールしてきます。
もうワンセット分書きます。
夜も同じく出しますが、僕の集中力がないので、あまり書きません。

このように、鳥によって書かれた「車の歌」という小説を連載しています。連載という形を取っていますが、最後まで納品しています。お時間のある時に読んでやってください。

何が言いたいのかというと、飛ぶ劇場は『福岡”題名のない”演劇祭』に参加します。
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「ガギグゲゲ妖怪倍々禁」1/2

あけましておめでとうございます。今年も飛ぶ劇場をよろしくお願いいたします。
さて、早速ですが、我々は今月末に「ガギグゲゲ妖怪倍々禁」という作品の久留米公演を控えておりまして、集客につなげるため、昨年行った北九州公演の感想を述べようと思います。
感想なので私見が多分に入っています。その点、ご了承ください。

「ガギグゲゲ妖怪倍々禁」は、タイトルを見ての通り、妖怪のお話です。「倍々禁」はちょっとわかりにくいのですが、言葉の響きから「バイキンの話かな」と想像できます。合ってます。妖怪とバイキンの話です。「ガギグゲゲ」に関しては「濁点が多いな」「全部ガ行だな」「『ゴ』は?」くらいの認識で問題ありません。
世界を覆うコロナ禍の真っ只中、泊さんを中心として我々が創作した、10年後の未来のお話です。稽古中はずっとマスクをしていました。本番中も基本的にしています。マスクありきのお芝居です。
「妖怪」と「バイキン」がモチーフですが、僕にとっては「自分の意志」というものを見つめ直し、また、演劇の持つ魅力を再確認した作品です。

演劇はよく言われるように総合芸術です。作家がお話を作り、演出家の指示の元、美術家の作った装置の中で、俳優たちが演じ、照明や音響で効果を高めます。大多数の方がそうだと思うのですが、僕もめっきり観劇の機会が減りました。そんな中、北九州での公演を観て、小説を読む没入感や、音楽で感じられる高揚感、美術から得られる陶酔感などを、生で、いっぺんに味わうっていうのは、やっぱり演劇以外ではちょっと得難い経験なのだなと改めて思いました。
脚本の段階では、いわゆる「説明ゼリフ」というものがあり、設定や状況をわかってもらうためのシーンが発生するのですが、説明だけであれば、文字で読むなり、ガイドさんに教えてもらった方がわかりやすいのです。それは「理解」です。理解ももちろん大事ですが、演劇は「体感」の方の比重が大きいと、僕は思っています。言葉で端的に説明・理解しにくいものを、1時間なり2時間の観劇を通して、お客さんに体感してもらうのです。

※以下、ネタバレを含みます。

今から10年後、コロナウイルスによる猛威は収束したものの、「新型ブタコレラ」という別の菌が蔓延しています。人々は今と同じく、マスクを着用して日常を送っています。この世界では人間と妖怪が共存しており、ほとんど同じ風貌をしているため、お互いにぱっと見では区別がつきません。
とあるカフェでは、常連たちが酒を飲み、戯れています。が、話の種はやはり「新型ブタコレラ」に関することばかりです。「新型ブタコレラ」の流行は妖怪の仕業ではないか、という風評が、ニュースでもインターネットでも出回っています。一方、そんな世相に異を唱える抗議活動も活発です。
という所からお話はスタートします。

主として描かれるのは、「新型ブタコレラ」という脅威を前にして、あぶり出される人間・妖怪間の壁です。
よくわからないものを解決する明確な答えはありません。だって問題自体がよくわかっていないのですから。人間だろうが妖怪だろうが、こわいものはこわいのです。国が法律でルール化しようとしますが、今度はそのルールに対して歪みが生じます。それぞれの言っていることはそれぞれ正しく、お互いにとって、相容れない部分があります。大事なのは、相手を知ることです。理屈は単純です。
しかしみなさんご存知の通り、なかなか分かり合えないのが人間です。登場人物の一人が、自身が同性愛者であることをカミングアウトするのですが、その好意は相手に受け入れられません。
自分にないものを飲み込むにはエネルギーが必要で、問題の大きさに比例して拒否反応も肥大します。そして、「自分(達)は正しい」という立脚点のもと、自分(達)以外の何者かに、問題の責任を押し付けがちです。劇中でもそれは同様で、人間と妖怪の溝は徐々に深まり、次第に暴力的にエスカレートしてしまいます。

このように文字で書くと、始終胃がキュッとなるお芝居のようですが、井上ひさしさんもおっしゃっていたように、「難しいことを易しく、易しいことを深く、深いことを面白く」というのが、芸術の本質の一つだと思います。演劇もまたしかり。
具体的には、飲みの席での支離滅裂な会話や、男女の三角関係が描かれ、そこに妖怪の特殊能力も加わり、てんやわんやのやりとりが繰り広げられます。俳優たちがここぞとばかりに遊び倒しております。演じている側の楽しさは、観ている側にも伝わるものです。
そして何より、今回僕が魅力的だと感じたのが、出演者8名のチームワークです。チームワークなどと言うと、スポーツやビジネスでのそれを思い浮かべますが、「お話をより効果的に伝える」という点では演劇のそれも同じで、俳優たちが泊さんの意図を汲み、一定の雰囲気を作り、台本を読んだだけではわからない、飛ぶ劇場ならではのシーンを立ち上げています。「説明ゼリフ」がただの説明になってしまわないよう、全員で空気を作るのです。公演の中止や延期、映像配信による上演、少数精鋭にならざるを得ないカンパニーが散見される中、大人数が入り乱れてお話に緩急をつける、チームワークの力強さを頼もしく感じました。

妖怪というのは現実には存在しません。いるのかもしれませんが、現状、いないものとされています。しかし「妖怪」を「他者」に置き換えた時、フィクションではない、現実と地続きの、あるかもしれない未来が出現します。個人個人が、どういう立ち位置で、どう振る舞うのかが問われるのです。お話の最後、我々は妖怪たちの決断を見ます。その時、人間はどうすればよいのか。やはりそこに答えはありません。
僕は僕の脳みそでしかものごとを考えられません。当たり前です。「自分がどうしたいか」が最優先です。「こうした方がいいよね」と頭ではわかっていても、それを日常ベースに落とし込んだ時、面倒だったり、照れくさかったり、勇気が必要だったり、お金や時間が足りなかったりして実行できないことが多々あります。それでも、劇中で「人間が理想を語らなくなったら終わり」と口を酸っぱくして言うように、理想は理想として持っていなきゃ駄目だと思うのです。そしてせめて、理想から遠ざかる行動はしてしまわないよう、自覚が必要だと思うのです。
コロナ禍に限らず、好ましくない状況が発生した時、自身の外へと思いを巡らせるきっかけを与えてもらったのが、今回の創作であったように思います。

はたしてこの文章が集客につながるのか、効果の程は不明ですが、お時間と余裕のある方は、ご時世的なものもご考慮いただき、それでも観よう、と思ってくださった場合、実際に劇場に足を運んでもらい、ご確認いただけると幸いです。

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「瞳をとじて」11/21

先日、「ガギグゲゲ妖怪倍々禁」の稽古を見に行きました。
できているシーンを通して稽古する日だったので、途中までを流れで見ることができました。チームワークによる緩急が良く感じられ、大変楽しく拝見しました。

通し終わり、泊さんからのダメ出しが行われました。
「わっきーはさ、なんて言うか、その、もうちょっと、目、開けられない?」
「え、僕、そんなに目、閉じてますか?」
「閉じてるよ」
「閉じてるね」
「閉じてる」
満場一致で、わっきーは目を閉じていました。
あんまり詳しく言うとあれなので、言いませんが、わっきーは今回◯◯の役柄で、◯◯した演技を多く要求されており、その◯◯の時に、目が開いていません。
「まあ、あまり開けるつもりもないんですけどね」
「開けて行こうか」
泊さんから、至極まっとうなダメが出ました。
今回のお芝居は、基本的に出演者もマスクを着用して演技するため、顔の見えている部分で、表情が感じられるのは、目だけです。なので、目を閉じて演技すると、ほとんど表情が感じられなくなってしまいます。
そしてわっきーの目は大きいので、マスクをしていない、素のわっきーを「100ワッキー」とすれば、マスクをしても、目さえ開いていれば「95ワッキー」くらいはわっきーを感じられます。しかし、マスクをし、その大きいを目を閉じてしまうと「2ワッキー」くらいしかわっきーを感じられません。ちなみに、マスクをしていない素のわっきーでも、目を閉じてしまえば、感じられるわっきーは「6ワッキー」くらいなので、眠っているわっきーを見て、わっきーだと気づく人はほとんどいません。
話が逸れましたが、それくらい、目がものを言うということです。

「わかりました」と、わっきーが目を開ける指示を受け入れました。みんながうなずき、同意しました。
「けれど、この、17ページのこのシーン、ここは目、閉じようかと思うんですが……」
「開けようか」泊さんが食い気味に言いました。
「ここまでのシーンはですね、まあ、なんとなく、流れで目、閉じてた部分も、正直ありますよ。あるんですが、ここの、17ページのこのシーン。ここはですね、なんて言うか、意図して、積極的に、目、閉じて行こうと思うんです」
「開けよう」泊さんが、有無を言わさぬ強さで言いました。
「わかりました……」残念そうでしたが、わっきーが了承しました。「じゃあ、白目ならいいですか?」
わっきーも負けていません。その後も「半目はどうでしょう?」「まぶたに目を書いて……」「まばたきを高速でしたら……」などと落とし所を探っていました。あくまでも、普通に目を開けて演技するのはプランに反するのだな、と、わっきーの役者根性を見ました。

このように、演出家と役者が意見を擦り合わせながら、作品は出来上がって行きます。
とても積極的で、建設的な稽古場です。
実際に話し合ってる内容は、目を開けるか閉じるか、なんですけどね。大事なんです。
果たして本番、17ページで、わっきーの目は開いているのか、閉じているのか、乞うご期待!

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「こちらアポロ」10/10

言魂の山口くんが、ブラッシュアップを目的とした戯曲の公開を、劇団のホームページで行なっており、それに対し、自分には何ができるかな、と考えた時に、作品に意見できるほどえらくもなく、また、感想を送ったとして、送った感想で戯曲がすばらしくブラッシュアップされるのも、同じ劇作をする者として嫉妬するので、山口くんのためになる、ならないは別として、面白そうだから、自分だったらこう書くかな、というのをやってみました。

以下、僕が書いた「こえの聴こえる」の冒頭シーンです。
(山口くんの許可はもらっています。快諾してくれてありがとう!)

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  0、月のこえ

  アポロ、立っている。

アポロ  ……。

  アポロ、口を開けるも、うまく声が出ない。

アポロ  ……っ、

  アポロ、痰の絡んだガッサガサの声が出る。
  咳払いする。

アポロ  あ……、あ、あ、……あー、んっ(咳払い)、あ、あ、あーー、んっ、あーー、んっ、(首回りをぐるぐるっとほぐし)……あー、んっ、ん、んん、んっ! んっん!(強く)

  アポロ、再チャレンジ。
  大きく息を吸い込む。

アポロ  あーーげほっ、げほげほ……

  アポロ、大きく息した時に、なんか、ほこり的なものも一緒に吸い込んだのか、むせる。
  苦しい。

アポロ  げほ、げほげほ……

  アポロ、むせながら、端っこの方に置いていたペットボトルの水を取りに行く。
  手元がおろそかで、開けたキャップがころころと転がる。

アポロ  げほげほ、げっほ、げほげほげほ……

  アポロ、転がったキャップを追いかけて拾うも、今度はキャップの方に意識が行き過ぎて、反対の手で持っていたペットボトルの中身をけっこうこぼす。

アポロ  げっほ、げほ、げほっげほん、げへっげほんげほん……

  アポロ、残っている水を飲み、喉をうるおす。
  が、運悪く水も気管に入り、噴出。
  咳が止まらない。

アポロ  ……げほっげほん、げっへへ……げほんげふふん……

  アポロ、苦しいながらも、自分でちょっと笑ってしまう。
  アポロ、この辺りから、お客さんの咳に対する嫌悪感を考慮し、ポケットから布マスクを取り出し、つける。  
  しかし、洗濯で縮んだのか、マスクがマイクロビキニのようになっており、口がまったく隠れない。

アポロ  げへん、げへんげへんお母さげへん、げへんげへん……

  アポロ、もうこの辺りでは咳ではなく、言葉としてはっきりと「げへんげへん」と言い、「これは本当の咳ではなく、演技として咳き込んでいますよ」という説明的な咳をする。
  アポロ、もう一度水を飲む。

アポロ  (首回りをぐるぐるっとほぐし)……あー、んっ、ん、んん、んっ!

  アポロの咳が止まる。
  アポロ、「止まった!」と顔で演技する。
  どやっ!
  客席から拍手が起きる。
  アポロ、それに手を振って応える。
  ペットボトルを持った方の手も振るので、水が全部こぼれる。
  アポロ、びしょびしょになるも、気にしない。

アポロ  あ、あーー、んっ、んんっ……。あーーーーーーーーーーーーーー……(ロングトーン)

  アポロ、「よし、よし」と、自分で自分にうなずく。
  アポロ、大きく息を吸い込む。

アポロ  こちら、ポアロ、じゃないアポロ……

  急激に暗転。
  ドン! という音響とともに
  タイトルバック「こえの聴こえる」

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ご覧の通り、僕は山口くんよりふざけています。
けれど戯曲でふざけちゃいけないっていうルールはないので、僕はふざけます。
何より僕自身がふざけたいんです。原動力といっても過言ではない。
ただ、お客さんも楽しめるよう、本気でふざけるように心がけています。

これは、山口くんとどっちの書き方がいいとかいう話ではなく、僕にはこういう風にしか書けないんですね。人間そんなに器用ではない。
技術は、上達したいと思って書き続けていれば勝手に身につきます。けれど、何を面白いと思うかという感性は、その人の生き方の中でしか形成されない。
だから、山口くんも山口くんなりにしか書けないと思うから、あんまり周りの意見に左右されず、書きたいように書くがいい、と個人的には思います。
しかし、お客さんが「観たい」と思ってくれないと、劇団なんてものは継続できないわけで、そこには、評価、だとか、お金、だとか、個人の表現欲求とは離れた所で動く様々な要因が絡むから、なかなか自分の書きたいものを貫くっていうのも、難しいよね。

何が言いたいのかというと、飛ぶ劇場は「妖怪倍々禁」の稽古を開始しました。

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「ラジオ」9/12

先日、ラジオ番組に出ました。
ひょんなことから言魂の山口くんと電話で話し、「好きな本について話す番組なんですが出ませんか?」と誘ってもらい、たぶん「何それ、おもしろそう、出る出る」とかノリで即決したんですが、「好きな本について」の方に意識が行き過ぎていて、ラジオなので当然、公衆の電波に乗せてしゃべるわけで、「俺、ちゃんとしゃべれんの……?」とあとから不安になりました。
数分の告知枠のようなものでの出演は以前もしたことがあったのですが、一時間番組で、DJの方と二人、がっつりしゃべる、というのは初めてだったのです。
下手をすれば、
DJ「藤原さんは◯◯ですか?」
藤原「……あ、いや、はい、そうですね、どうでしょう……」
DJ「△△についてどう思われます?」
藤原「……まあ、そうですね、うん、あ、いや、すいません、えっと、はい、じゃあ、まあその、うん、じゃあもうそれで……」
みたいな事態になりかねません。

そこで、事前の準備を入念に行うことにしました。
まず本を選びました。
自宅の本棚をひっくり返し、あれでもない、これでもない、あ、この本なつかしい、□□のくだりがおもしろい、えへ、うふふ、などと思い出に浸りながらチョイスし、数冊にしぼり、これにしようと決め、後日、やっぱりこれじゃないと思い直し、本棚をひっくり返し、思い出に浸り……最終的に宮沢章夫さんの「牛への道」について話すことに決めました。
それから本を読み直しました。二回読み直しました。たぶん計五回以上読んでいます。それでもおもしろかったです。

途中で、山口くんが番組に出演した回を聴きました。録音してもう一回聴きました。こういう構成の番組なんだな、ということをなんとなく把握しました。

次に、自分がおもしろいと思ったエピソードに付箋を貼っていきました。なので都合三回読み直しました。10ページに1枚くらい貼りました。
そしてPCを立ち上げ、付箋を貼ったエピソードを書き出しました。結果、僕が「牛への道」でおもしろいと思ったポイントは、およそ4つのカテゴリーに分けられました。それを書類に落とし込み、引用できそうなエピソードを選び、プリントアウトし、当日持って行くことにしました。

これらの事前準備は、舞台に出演する時の稽古と同じだな、と後から気づきました。
僕はその場でぱっとしゃべれるタイプの人間ではないので、本番を迎えるにあたって、自分を納得させるだけの材料が必要なんですね。

はたして、本番当日、藤原はうまくしゃべることができたのか。
個人的には、初めての経験で、できる限りの準備はしたので楽しめました。
あとは聴いてくれた方の判断にお任せします。

何が言いたいのかというと、飛ぶ劇場も今、水面下で事前準備を行っています。

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「コントローラー」8/17

劇団員オーディションの開催日が、ちょうどうちの子どもの誕生日でして、「好きなものを買いなさい」と、近所の家電量販店へ行きました。
うちの子も例に漏れず、ニンテンドースイッチの虜です。毎日のように使っています。ゲームはもちろん、ユーチューブの閲覧にもニンテンドースイッチを使います。うちに一台しかないテレビにニンテンドースイッチは接続されており、フル稼働しているため、テレビ番組は見れません。

ニンテンドースイッチには、本体から分離可能な、右コントローラーと左コントローラーがあります(そうじゃないタイプもあります)。2つでワンセットです。前述の通り、うちのニンテンドースイッチは毎日酷使しているため、一度、コントローラーのコントロールが不能になり、修理に出すことになりました。修理には二週間かかりました。修理に出すと、当然のことながら、コントローラーがないために、本体は正常に作動するにも関わらず、ニンテンドースイッチで遊べません。
そこで、コントローラーを、もうワンセット買いました。ニンテンドースイッチのコントローラーには、ジャイロという、振ったり、傾けたりした動きを感知するセンサーが搭載されており、まあまあのお値段がします。それを、僕の小遣いで、もうワンセット買いました。これは、僕が子どもに対して甘さを見せたわけではなく、僕自身、二週間もニンテンドースイッチで遊べないのはイヤだからです。子どもだけでなく、僕も、ニンテンドースイッチの虜なのです。

ニンテンドースイッチのコントローラーには、アクションゲームをするのに適した、プロコントローラーというものもあります。eスポーツの選手なんかがよく使っている、かっこいいやつです。去年、うちの子どもも、プロコントローラーを欲しがりました。友達が持っていたのです。しかし、うちにはすでに、2セットのコントローラーがあります。「そんな、さ、ほら、コントローラーばかり、いらないだろ」と、その時は父親の威厳を見せ、購入に反対しました。
父親はあてにならないと踏んだ子どもは、年明けの正月、実家に帰省した際、おばあちゃんにプロコントローラーをねだりました。コントローラーが3つになりました。

そして今年の誕生日、子どもが欲しがったのは、コントローラーでした。スーパーマリオモデルの、赤いコントローラーです。過去に購入した3つのコントローラーももちろん健在です。「こいつ、どんだけコントローラー欲しがるん」と、内心あきれました。が、誕生日だし、好きなものを買ってやると言った手前、反対もできません。買い物カゴにコントローラーを入れ、レジに向かいました。
並んで待っていると、一緒に買い物に来ていた妻が、「これ、かわいくない?」と声をあげました。手に持っていたのは、コントローラーでした。小さくて軽い、おしゃれな感じのコントローラーです。妻も、動物が森に集まるゲームに夢中でして、詰まる所、ニンテンドースイッチの虜なのです。
なので、今うちには、ニンテンドースイッチのコントローラーが5つあります。

何が言いたいのかというと、オーディションの結果、德岡希和が入団しました。

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「Zoom」7/3

僕は家ではかなりだらしないのですが、あ、別に外でちゃんとしているわけではなく、外でもだらしないはだらしないのですが、家では輪をかけてだらしないということです。
最近は蒸し暑いので、半裸のような状態で家の中をふらふらしています。
ところが、Zoomの出現で、家でも気をつけなければならない機会が増えました。

Zoomはもうみなさんご存知かと思いますが、パソコンやスマホを使い、会議やセミナーをオンラインで開催するためのアプリです。コロナの影響で人との接触を避けることが求められ、ここ数ヶ月で急速にシェアを伸ばしました。
子どもはZoomを使ってオンラインで授業を受け、妻はZoomを使ってオンラインでミーティングをします。この間なんか、Zoomを使って演劇公演の本番を行なってました。
Zoomの利用者同士は、お互いに見られることを意識しているため、それなりの格好で画面の前にいるからいいのですが、だらしない僕はハムスターを持ち、インコを頭に乗せ、糞まみれでじゃれ合っているため、画面に映り込んでしまったら目も当てられません。

なので、家にいながら、Zoomという名の他者を意識するようになりました。
うちにはZoomをインストールした端末が5台あります。自分のスマホとパソコンはまあ管理できるからいいとして、残りの3台がZoom状態にあるのかどうか、常に意識し続けるのは無理です。だから、それらの画面の前に立たないよう、くねくねと画面の前を避けて通っています。
自分の中では、マトリックスのキアヌリーブスのように華麗に避けているつもりなのですが、子どもに言わせたらゴキブリのような気持ち悪いムーブをしているそうです。そして休日の昼間、カーテンを開け放った状態で、洗濯物を干しているお隣さんにゴキブリムーブをばっちり見られました。
意識する他者とは。

何が言いたいのかというと、飛ぶ劇場は、オンラインではなく、オフラインで、会って、オーディションをします!

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「コント」5/14

コントのことばかり考えています。不思議少年の大迫さんから、「ラジオコントのようなものを作って配信しませんか」とのお誘いを受けたのです。
喜んで引き受けたものの、僕はコントを書いたことがありません。大迫さんにも黙って引き受けました(あとからカミングアウトしました)。

コントというのは、笑いを目的とした寸劇のことです。面白さにもいろいろな種類がありますが、ここでは「笑える」=「面白い」となります。
演劇はちょっと違います。喜劇は笑えるに越したことはありませんが、1時間なり2時間の上演を通して感じられる「何か」の方に重点が置かれていると、僕は理解しています。チェーホフのような喜劇もあるし。これはたしか平田オリザさんが言っていたことですが、「私、妊娠したの」というセリフがあったとして、半分のお客さんが本当だと思い、もう半分がウソだと思ったまま、その後の展開を見せられるのが演劇です。

笑いを意図的に発生させるのは簡単ではありません。「笑わせよう」という意図が見えると、なぜか笑えない、というやっかいな仕組みが、笑いにはあるようです。不思議。
だから、作家はすごくがんばって意図を隠します。自分が台本を書く時に心がけているのは、面白いフレーズは使わない、ということです。日常にある言葉の組み合わせで面白くすることを意識しています。芸人さんの真似をしても、芸人さんの劣化版にしかなれません。(もちろん、それらの要素を使いこなし、すてきな台本を書く作家さんもいらっしゃいます)

また、今回は音声配信なので、音のみで表現しないといけません。舞台には舞台の、音声には音声の、特徴を活かした表現が求められます。
音声の特徴は「見えない」ことです。人間は視覚から得る情報が大半を占めるため、そこをナシにされると、表現の幅が限られてきます。逆に言えば、制約の中でどう表現するかということになります。制約の多い方が、創作のきっかけはつかみやすいものです。

僕が音声表現のメリットだと思うものの一つは、「セリフを覚えなくて良い」ことです。台本を見ながら録音できるので、覚える期間が不要です。僕の舞台作品では、俳優にセリフを覚えてもらうことに膨大な時間を費やします。それを省くことができる。つまり効率がいい(効率!)。その上で、セリフのニュアンスやタイミングなどの細かい指示が可能です。

音声表現のもう一つのメリットに、「編集できる」ということがあります。これは映像表現のメリットでもあります。舞台では絶対不可能です。「ここの間を、もうコンマ何秒か詰めたい」と思ったら、録音後でも編集で詰めることができます。当然、編集ソフトの知識は必要になりますが。(勉強中です)

そしてインターネットを利用した配信には「再現性」があります。同じクオリティの表現を、お客さんの都合で、いつでも、何度でも再生できる。極端な話、僕が死んだ後でもできる。10年後に恥をさらすつもりでやっています。

ただ、今一番のメリットは、「家にいながら創作でき、お客さんにも聞いてもらえる」ということに尽きるでしょう。
「木曜のコント」という名義で活動しています。もしよろしければ聞いてみてください。

何が言いたいのかというと、太田カツキは水曜日の男です。

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「キャ」4/10

「陰キャ」「陽キャ」という言葉を、ここ1~2年でよく耳にするようになりました。ちゃんと調べたわけではないのであれですが、「キャ」は「キャラクター」のことで、開いて言うと「暗いキャラクター」「明るいキャラクター」となり、以前からある言葉だと「根暗」「根明」というようなことです。
しかし、体感として「根暗だから」と言うより、「陰キャだから」と言った方が、ポップな印象を与えているように思えます。新語だからという要因もあるでしょうが、何より「キャ」の語感が大きいのではないでしょうか。重くならない。
かと言って、その内容の意味する所が変わるわけではなく、大っぴらに「俺、陰キャだから」と言われても、聞かされた者は「いや、開き直られても……」と戸惑うばかりです。

「俺、陰キャだから」と言う時、そう言った本人は、自分を下げることによって、何かを持ち上げています。それは特定の誰かの場合もあるし、自分以外全般の場合もある。いわゆる自虐です。
逆に、自分で「俺、陽キャだから」という人はあまりいません。僕の周りにいないだけかもしれませんが、陰キャ発言者より少数であろうと想像できます。自虐しないから陽キャなのです。
そもそも「俺、陽キャだから」は自虐になりません。言った所で「もう、◯◯さんはしょうがないな」と苦笑を生む程度でしょうし、ひどい場合には「こいつバカなんじゃないか」と思われてしまいます。

「陽キャだから」は、陰キャ発言者が、特定の誰か(A)を指し、「あいつは陽キャだから……」と、自分を下げ、かつ、Aを持ち上げ、自分とAの間に二段階はさみ、話している相手に対し、逆説的にAを貶めるために使用する、というのが僕個人の見解です。
特定の誰か(B)を指し、「あいつマジ陰キャww」などとBを貶める場合もあるでしょうが、そう言ってる本人は陽キャなのかと言うと、そんな発言をしている時点で真の陽キャとは言えず、陰キャの素質を十分に持っているエセ陽キャです。
つまり、陰キャも陽キャも、陰キャ側の言葉なんですね。

かく言う僕も、陰キャか、陽キャか、と聞かれたら、自己分析するに、陰キャです。
休日は自室で5ch掲示板を閲覧してほくそ笑んでいます。
しかし、上記のような理由から、人前でそう宣言することはありません。わざわざ宣言せずとも、普段の素行から、「藤原は陰キャである」という事実は、周囲の者に伝わっているからです。
けれど、新しい言葉は口にしたいんですよね。「陰キャ」「陽キャ」を、自虐や他者を貶める目的でなく、使いたい。
そこで僕は、こう使おうと思います。

「俺は陽キャだ」と。

陽キャの者が「俺は陽キャだ」と言っても苦笑しか生みませんが、陰キャである藤原が「俺は陽キャだ」と言うと、上げてるのか下げてるのかよくわかりません。
すると、相手にどのような反応が生まれるのか。
「お、藤原、どうした」という「困惑」ではないでしょうか。

困惑だけでは、陰キャカミングアウトから発生するそれと大差ないため、僕は、どう捉えていいかわからない相手に対し、さらにもう一歩踏み込みたいと思います。

「俺はパリピだ」と。

「パリピ」もここ1~2年でよく耳にするようになった言葉で、「パーティーピープル」の略称です。平板なアクセントで「パーティー」と発音するそれを、頻繁に行っている人々を指します。
お察しの通り、僕はパーティーにも行きません。周知の事実です。
せいぜい子どもの誕生日パーティーを開催するくらいです。
にも関わらず「俺はパリピだ」と宣言する。
すると、相手にどんな反応を生むのか。
「こいつ、何かあったんじゃないか」という「心配」ではないでしょうか。

だから僕は、心配されたい時に「俺は陽キャのパリピだぜ」と口にしますので、みなさんどうぞよろしくお願いします。
かまってちゃん。

何が言いたいのかと言うと、秋山が上京しました。(秋山がんばれっ!)

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「冷蔵庫にソバがある」3/21

僕は会社員なので、会社に出社し、仕事をします。
仕事をしていると、他部署の同僚Nが現れ、「冷蔵庫にソバがある」と言いました。
僕の勤める会社は、食品を扱う会社ではないため、普段、冷蔵庫にソバは入っていません。
だから「冷蔵庫にソバがある」と言われても、何のことだかよくわかりません。
困った顔をしていると、「藤原君、ソバ食べる?」と聞かれました。

僕はソバは好きです。パスタとソバ、どっちが好きかと言われると、ソバの方が好きです。
パスタも好きです。けどソバの方が好きです、どちらかと言うと。
ラーメンも、うどんも、ちゃんぽんも好きです。
麺類は全般的に好きです。
どれが一番好きかと言うと、一番好きなのはうどんです。
でもソバも好きです。
ただ、どういう経緯で会社の冷蔵庫に収まっているのかわからないソバに手を出すほど、僕はソバ好きではありません。手を出したらもう、それはソバ狂いです。
ソバ狂いではなく、ただのソバ好きの僕は、「そのソバは、どういうソバなの?」とNに聞きました。

それは、Nの直属の上司が、休日に趣味で打ったソバでした。
趣味で打ったソバを、誰かに振る舞いたく、会社の冷蔵庫に収納し、希望者を募っているのでした。
「それなら、まず、Nの部署で希望者を募った方がいいんじゃないか?」と僕は言いました。
「いや、もう募った」とNは言いました。
「募った結果、希望者は俺だけだった。藤原君、ソバ食べない?」

終業後、僕とNは給湯室へ向かいました。
冷蔵庫を開けると、ソバが2セット、ビニール袋に分けて入れられていました。
僕の分と、Nの分です。
僕はビニール袋を取り出しました。ダイコンがはみ出ています。
「ダイコンがはみ出ているけれど」と、僕はNに言いました。
「おろせって」と、Nは言いました。「おろして、めんつゆに入れろって」
僕はさらに、袋の中身を検分しました。ダイコンの陰に隠れて、ネギも入っていました。
「きざめって」と、Nは言いました。「きざんで、めんつゆに入れろって」
僕は「めんつゆ、買って帰らなきゃな」とつぶやきました。
するとNが「あるって」と言いました。「めんつゆもあるって」と、ビニール袋に手を突っ込み、ペットボトルに入った黒い液体を取り出しました。「自作だって」

帰宅早々、僕はダイコンをおろしました。
家にある一番大きい鍋で湯を沸かし、ネギもきざみました。
妻と子が帰って来ました。
「今日はソバだから」と、僕は言いました。
「先に言え」と、スーパーの買い物袋を下ろしながら、妻が言いました。
ソバには「おいしいソバの食べ方」という、上司直筆のレシピが四枚付いていました。
茹で時間、めんつゆの使い方、五分以内に食え、などと細かく指示がなされており、上司の仕事ぶりが伺える充実の内容でした。
おいしいソバを食べるため、僕と妻は、レシピを片手にソバを茹でました。

翌日、上司に「ごちそうさまでした」とお礼を言いました。
お世辞抜きでおいしかったのです。
上司は笑顔で「また作ったら、声かけるから」と言いました。
僕は会釈をし、自分の席に戻り、「半年に一回くらいでいいな」と思いました。

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「ゆるキャラ」2/8

ゆるキャラ、と呼ばれるものが好きで、これまでに、平成筑豊鉄道の「ちくまる」、あべのハルカスの「あべのべあ」、ゼスプリの「キウイブラザーズ」などのグッズを集めて来ました。そして最近ハマったのが、阪九フェリーのキャラクターである「ふねこ」です。
ふねこは、文字通り「ふね」と「ねこ」が合体したようなキャラクターで、フェリーを胴体に見立て、そこから亀のように、猫の顔、手、足、しっぽが生えています。口元に笑みを浮かべているのですが、若干歪んでおり、ニヒルな笑いに見える所がポイントです。

ゆるキャラの何が好きなのかと言うと、その見た目もさることながら、特定の何かを盛り上げたい、という意図を、ゆるさでごまかしている(ごまかせていない)感じが、どうにも好ましく感じられるからです。
「いや、うちのキャラクターは、盛り上げたいという意図をごまかしておりません。正面切って、盛り上げようとしています」という広報の方もおられましょうが、ではなぜ、そこにキャラクターを介入させるのか、という話で、それは、広報部の40代のおじさんが、正面切って「盛り上げます!」と言うより、キャラクターに言わせた方が、様々な面で効果的である、と知っているからです。
もちろん、キャラクターの部分に、芸能人などをあてはめても良いわけですが、そうせず、あえてゆるい見た目のキャラクターを起用した理由は何か、と考えた時に、予算の都合などもあるでしょうが、「意図をマイルドに伝えたい」という打算が働いている、というのが僕個人の見解です。
「うちの商品はすごく良いので買ってください!」と、よく知らないおじさんから言われても「考えておきます」としか言えないけれど、パッケージに描いたキャラクターに吹き出しをつけ、「おいしいよ」と言わせたら、かわいさというオブラートに包んで「買ってください」を伝えられるのです。そのパッケージを目にした者は「なんかかわいいな」と思い、キャラクターを愛でるため、つい商品を手に取り、しげしげと眺め、「やっぱりかわいいぞ」と思いが確信に変わり、最終的に「買おう」にすり替わるという寸法です。

また、ゆるキャラの特性として、「不安定さ」をかもしている点が挙げられます。ふねこの、このイラストを見てください。

ものすごく手足をばたつかせ、汗を飛ばしながら泳いでいます。「ちゃんと目的地まで泳げるのだろうか……」と不安になります。ふねこは最初に述べた通り、阪九フェリーのキャラクターなので、海運を盛り上げることを意図しています。阪九フェリーの輸送に対する信頼度が高いからこそ、ふねこの不安定さが活きるのです。いわゆる、ギャップ萌えです。手足をばたつかせて泳ぐふねこが愛おしく、「がんばれ!」と応援したくなります。一方で「いや、大丈夫。ちゃんと輸送してくれることは知っています」と、冷静な自分もいます。
だから、ゆるさでごまかしている(ごまかせていない)感じ、というのは当然狙いであり、僕はそれを知った上で、まんまと戦略にハマっているわけです。ウィンウィンの関係。

何が言いたいのかというと、大体2mm(藤原の演劇ユニット)で、太田カツキをゆるキャラとして起用できないかと考えているということで、今の所、僕以外のメンバーの賛同を得られておらず、なぜなら、太田カツキの見た目はゆるくないからです(不安定さは抜群です)。

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「妙な体調」1/6

あけましておめでとうございます。
今年も飛ぶ劇場をよろしくお願いします。

今週末、「ハッピー、ラブリー、ポリティカル」を久留米で公演するため、昨日、2020年初稽古を行いました。北九州では、僕と、はやまんと、脇内君が日替わりで出演したのですが、久留米では脇内君が、日替わらず、両日ともに出演します。
その脇内君ですが、昨日の稽古は体調不良でお休みでした。そしてツイッターで、「妙な体調。」とつぶやいておりました。

「妙な体調って、なんか、いい響きだな」と、僕は思ったので、脇内君の体調も気にせず、「それは、新作のタイトルですか?」とコメントしました。
するとしばらくして、「大体2mm(藤原の主催団体)で上演してください」という内容の返信が、脇内君から返ってきました。
2020年の大体2mmの予定はすでに決まっているので、上演するとなると、ちょっと何年後になるかわからないのですが、以下、僕が考えた「妙な体調」です。

『妙な体調』
登場人物:隊長、副隊長、兵士達

  兵士達が行軍している。

兵士「隊長!」
隊長「どうした!」
兵士「副隊長の体調が妙です!」
隊長「何だって!?」
兵士「副隊長の体調が妙です!」
隊長「全体、止まれ!」

  兵士達、止まる。

隊長「副隊長はどこだっ!」

  副隊長、よろよろと現れる。

隊長「どうした、副隊長!?」
副隊長「すみません、ちょっと……」
隊長「奇襲かっ!?」

  兵士達、周囲を警戒する。

副隊長「ちがいます……」
隊長「ちがうのかっ!?」
副隊長「ちがいます……」
隊長「なんだ、はっきり言え!」
副隊長「ちょっと、体調が……」
隊長「私が何だ!」
副隊長「え……?」
隊長「何だ、私が!」
副隊長「ちがいます、隊長ではありません……」
隊長「ちがうのか!」
副隊長「ちがいます……」
隊長「なんだ、はっきり言え!」
副隊長「ですから、隊長ではなく、体調です……」
隊長「何だって!?」
副隊長「体調が、妙なんです……」
隊長「貴様、私を侮辱する気かっ!」

  隊長、副隊長に斬りかかろうとする。
  兵士達、隊長を止める。

兵士「隊長、落ち着いてください!」
隊長「落ち着いてなどいられるか! 名誉に関わるっ!」
兵士「副隊長は、隊長を侮辱したのではありません!」
隊長「ちがうのか!?」
副隊長「ちがいます……」
隊長「なんだ、はっきり言え!」
副隊長「ですから、私の体調です……」
隊長「お前の隊長は私だっ!」
副隊長「存じております……。ですから……」
隊長「なんだ、はっきり言え!」
兵士「隊長! 副隊長が言ったのは、副隊長の体調のことではないでしょうか!」
隊長「何だって!?」
兵士「副隊長の体調です!」
隊長「そうなのか!?」
副隊長「そうです……」
隊長「副隊長の、隊長……?」
副隊長「妙なんです……」

  隊長、考える。

兵士「隊長……?」
隊長「ちょっと今考えている!」
兵士「申し訳ありません!」
  
  隊長、考える。
  兵士達、それを待つ。

隊長「……卑猥な意味でか!?」

  間

隊長「おい!」
兵士「はい!」
隊長「質問に答えろ! それは、卑猥な意味でか!?」
兵士「……」

  間

隊長「それは、卑猥な意味での、それか!?」
兵士「……何がでありますか!?」
隊長「副隊長の隊長だ!」
兵士「……」

  間

兵士「……(よくわからず)もう一度お願いします!」
隊長「何度も言わせるな!」
兵士「申し訳ありません!」
隊長「自分で考えろ!」
兵士「……」

  兵士達、考える。

兵士「……わかりません!」
隊長「じゃあ、聞け!」
兵士「え……?」
隊長「聞け!」
兵士「隊長に……でありますか!?」
隊長「私に何度言わせるつもりだ!」
兵士「申し訳ありません!」
隊長「私以外には、奴しかいないだろう!」
兵士「副隊長、の、隊長に……ですか?」
隊長「副隊長に、だ!」
兵士「わかりました!(副隊長に)……卑猥なんですか?」
副隊長「私が、ですか……?」
隊長「卑猥なのか!?」

  副隊長、考える。

副隊長「卑猥か、卑猥でないか、と言われれば、卑猥な時には、卑猥です、人間だもの……」
兵士「ありがとうございます!(隊長に)隊長!」
隊長「どうだった!?」
兵士「報告します! 副隊長の体調が妙なのは、時と場合によりますが、卑猥な意味でのそれであります、人間だもの!」
隊長「わかった! 行軍続行!」
兵士「はいっ!」

  兵士達、去って行く。

副隊長「……」

  副隊長、よろよろとついて行くーー

大体2mm『妙な体調』
作:藤原達郎
出演:太田カツキ、ほか

何が言いたいのかというと、脇内君の、脇内君は、卑猥な意味でなく、きっと、脇内君なので、ハッピー、ラブリー、ポリティカル、の、久留米公演を、無事、脇内させることでしょう!(わっきーがんばれ!)

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「単調」12/13

「ハッピー、ラブリー、ポリティカル」北九州公演が終わり、概ね、日常が戻ってきました。
仕事が年末進行で、その内容自体はばたばたしているのですが、僕の生活サイクルはひどく単調です。
ここ二週間の僕の行動は、「起床→鳥→ご飯→仕事→ご飯→仕事→帰宅→鳥→ご飯→スマホ→作業→読書→鳥→就寝」に集約されます。
「鳥」の回数が若干多いのですが、鳥とは、飼っている鳥と戯れている時間のことです。
「作業」は、主に文章を書いているのですが、最近では年賀状作成や、久留米公演に向けてのスタッフワークなども含んでいます。
基本的に家が好きで、休日もほとんど外出しません。子は子で友達と遊ぶし、妻は妻で友達と遊ぶので、僕は僕で友達と遊べばいいのですが、僕には普段遊ぶ友達は特になく、また別にそのことを嘆いてもおらず、「仕事」の部分が「スマホ」か「作業」か「鳥」に置き換わるだけです。
食って寝て鳥と戯れています。
ハレとケで言うとケの日々です。
ケはルーティンです。ルーティンは単調です。従って刺激的ではありません。
以前は刺激を求め、可能な限りハレの日を増やしたいと思っていましたが、最近はピンポイントのハレを目一杯楽しむために、ケのルーティンを充実させることに比重を置いています。
それは「ルーティンの単調さを愛でる」というようなことです。単調さに見出す充実は、ハレの刺激では得難い味わいがあると感じられるようになったからです。しかしそれは劇団という、ハレの日が定期的に訪れる環境に身を置いているからこそ感じられるものなのだと思います。流れに身をまかせているだけとも言えますが、それはそれで心地良く、わざわざ逆らう必要もなし、一概に悪いとも言い切れません。要は自分次第です。

飛ぶ劇場は年明けに久留米で公演します。そこに向け、着々と準備を進めていきます。
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「笑顔が足りない」11/18

「ハッピー、ラブリー、ポリティカル」稽古も大詰めなのですが、先日の稽古で「藤原には笑顔が足りない」という、根本的なダメが出ました。
以下、その時の様子を、大幅にフィクションを交えて再現したモノです。

  [登場人物]藤原、泊、内山、秋山、桑島
  [場所]北九州市内の稽古場

  重苦しい空気。
  全員が頭を抱えている。

藤原「笑顔、ですか……」
泊「笑顔だよ……」
内山「笑顔ねえ……」
泊「どうしても、タツロウの笑顔を増やしたいんだ。でないと、『ハッピー、ラブリー、ポリティカル』なのに、ハッピーでも、ラブリーでもなくなってしまう……」
秋山「大変……」
藤原「これでも、けっこう笑ってるつもりなんですがね……」
内山「ちょっと、もう一回やってごらん……」
藤原「はい……」

  藤原、笑顔を作る。
  全員、唖然とする。

内山「それ、笑顔だったの……?」
藤原「まあ、はい……」
内山「どこが……?」
秋山「それ、笑顔だったんですか……?」
藤原「笑顔だよ。(威圧して)笑顔だろう……?」
秋山「(萎縮して)あ、はい……」
藤原「ほら、泊さん、笑顔なんですよ」
泊「威圧するんじゃない……」
藤原「すみません……。秋山、すまない……」
秋山「いえ、いいんです……」
内山「しかし、困ってるようにしか見えないわ……」
藤原「困る……?」
内山「それは、困ってる人の顔よ……」
藤原「笑ってるのに、笑顔が足りない、と言われ、困ってるんです……」
泊「困ってる様子を出しちゃだめだ……」
内山「ひょっとして……」
泊「何だい、ナオミ?」
内山「いや、これは、ちがうか……」
泊「どんな些細なことでもいい。ヒントになるかもしれないから、言ってごらん、ナオミ」
内山「ひょっとして、口角が上がってないんじゃない……?」 
全員「口角……?」
泊「そうか、口角か! すばらしいアイディアだ、ナオミ!」
秋山「口角ですよ、タツロウさん!」
内山「タツロウ、口角を、あげてごらん」
藤原「はい、わかりました」

  藤原、口角をあげる。

秋山「こわい……」
内山「こわすぎる……」
泊「目が、全然笑ってない……」
藤原「口角を上げろ、と言われたから、口角を上げたんです……。そりゃ、目は元のままですよ……」
泊「頼む、目も笑ってくれ……」
藤原「目も笑うって……、口角のように、上げるんですか?」
泊「上げれるものなら、上げてみてくれ……」
藤原「(上げようとして)上がりません……」
泊「だろうな……」
藤原「目って、どうやったら笑うんですか……?」
内山「わからないわ……」
泊「もはや、ここまでか……」
秋山「うえ~ん」
内山「泣かないで、秋山ちゃん……」

  そこに、桑島が颯爽と現れる。

桑島「やあやあ、みんな、おはよう」
秋山「あ、桑島さん!」
泊「おはようございます! 桑島さん!」
全員「おはようございます!」
桑島「どうしたんだい、みんな、浮かない顔をして」
泊「桑さん、笑顔の足りないタツロウに、どうかアドバイスをしてやってください……」
桑島「笑顔かい?」
内山「タツロウくんの、笑顔が足りないんです……」
秋山「このままじゃ、ハッピーでもラブリーでもなくなってしまいます……」
藤原「お願いします……」
桑島「ん……、そうだね、タツロウくんには、カベがあるね」
全員「カベ……?」
藤原「カベ、ですか……」
桑島「そう、全体的に、カベがある」
秋山「それは、物理的なカベですか?」
桑島「物理的なカベを持ち歩いてたら、それはもう、社会生活に支障をきたすだろう」
秋山「タツロウさんは、社会生活に支障をきたしているんです……」
藤原「いや、うん……」
内山「秋山ちゃん、それは実際、そうなんだけれど、今はそのことじゃないのよ……」
秋山「そうでしたか、すみません……」
桑島「カベはカベでも、抽象的なカベさ」
内山「それは、自意識のようなものですか?」
桑島「それもあるだろうし、他者に対する警戒心のようなものでもあるね」
泊「よし、タツロウ、カベをとっぱらうんだ!」
藤原「いや、そうは言っても、カベなんか、誰しもが持っているものじゃありませんか、ふっ……」

  と、藤原、自虐的に笑う。

秋山「あ、今、笑った」
内山「笑った! タツロウが笑った!」
藤原「そうか、これが、笑顔か! 泊さん、これが笑顔ですね!」
泊「たしかに笑った、が……、その笑顔は、ハッピーでもラブリーでもない……」
全員「え……?」
泊「そんな、自虐的な笑顔では、お客さんをハッピーでラブリーな気持ちにできないんだ……」
桑島「とても怪しい顔だったね」
藤原「えぇ、怪しさを出すの、得意なんです……」
泊「怪しさは今いらないんだっ……!」
内山「タツロウ、怪しさはいらないのよ……」
藤原「いらないのか、怪しさは……。ちくしょうっ! 一体、どうすれば……」
秋山「うえ~ん」
内山「泣かないで、秋山ちゃん……」
桑島「まあ、まあ、みんな、ちょっと休憩して、お菓子でも食べよう」

  桑島、カバンから様々な種類のお菓子を取り出す。

秋山「わあ、お菓子だ」
藤原「おいしそう」
泊「ちょうど、小腹がすいた所だったんです」
内山「さすが桑島さん」
全員「ありがとうございます!」
桑島「さあさあ、たんと召し上がれ」
全員「いただきまーす」

  みんな、お菓子を食べる。

藤原「やっぱりチョコレートは最高だね」
秋山「このクッキーも素敵だわ」
泊「おせんべいも捨てがたい旨味があるよ」
藤原「今度はこのサラミをいただこう……」
内山「ちょっと、食べ過ぎよ」
藤原「いいじゃないですか、お腹がすいているんですから……」
桑島「ほらほら、たくさんあるから、遠慮せずに」
全員「はーい」

  みんな、次々とお菓子を食べる。

秋山「あれ、タツロウさん、それ……」
藤原「なんだい……?」
秋山「今、笑顔ですよ……?」
全員「え……?」

  藤原、自然と笑顔がこぼれている。
  お菓子のカスもこぼれている。

秋山「ほら、笑ってる……」
泊「タツロウが、笑ってる……」
内山「口角だけでなく、目までちゃんと……」
泊「それだよ、タツロウ、それが笑顔さ!」
桑島「お菓子を食べて幸せだと思う気持ちが、笑顔に変わるのさ!」
藤原「そうか、これが笑顔かぁ!」
内山「これでハッピーでラブリーなお芝居になりそうね」
秋山「うえ~ん」
内山「泣かないで、秋山ちゃん……」
秋山「うれし涙ですよぅ……」
藤原「笑顔って、すばらしい!」
全員「あはははは、あはははは」

  全員、笑顔。

泊「よーし、お腹も膨れたし、この笑顔で、稽古再開だ!」
全員「はい!」

はたして本番、藤原には笑顔があふれているのか。いよいよ今週末「ハッピー、ラブリー、ポリティカル」開幕! 乞うご期待!
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「ハッピー、ラブリー、ポリティカル、ライン」11/6

飛ぶ劇場の業務連絡は、ラインで行っています。
ラインをご存じない方のために、ラインの説明をしようと思ったのですが、ラインをご存じない方は、この日記も見ていないだろうから、ラインの説明は割愛します。
というわけで、飛ぶ劇場の団員はみんな、スマートフォンを持っており、ラインアプリをインストールしています。
しかし、ラインの機能をフル活用している団員は7割くらいで、残りの3割は、文字を打つ機能以外使っていません。というか、使えません。昨日も、稽古場で内山さんがスマホを片手に、「この返信をすんちゃんに送りたいんやけど、どうすればいいんかね?」と、すんに聞こえる距離で言っていました。言った方が早いです。
かく言う僕も、ラインの機能を活用できていない団員の一人です。僕はPCは仕事で使うので、ある程度慣れていますが、ラインはそれこそ、既読機能のあるメールくらいの感覚でしか使っていません。以前、お弁当用の食材がなくなり、妻に「弁当の具。」とラインしようとした所、誤って飛ぶ劇にラインしてしまい、昼時、団員から次々とお弁当の画像がアップされた過去を持ちます。

先日、泊さんから「『ハッピー、ラブリー、ポリティカル』のチラシデータを、飛ぶ劇ラインのアルバムに入れといて」という依頼が来ました。ラインで。
「……アルバム?」と、僕は思いました。僕はメールは使えるので、チラシデータを添付することはできるのですが、メールにアルバムなどという機能はなく、ライン内のどこにアルバムが存在するのか、把握できていません。
そもそもアルバムというのは、子どもの成長する姿などを写真におさめ、それを綴じておくための冊子、あるいは、歌手が楽曲をコンパクトディスクに録音し、紙のジャケットとともに販売する商品、というのが僕の認識であり、チラシデータを収納する場所ではありません。
ともかく、ラインには既読機能という、泊さんの依頼文を僕が読んだことが、泊さんにも伝わる仕組みがあるため、「アルバムにおさめられる自信はありませんが、やってみましょう」と返信しました。

その時、僕はベスト電器にいたのですが、立ち止まり、スマホの画面を見つめ、アルバム収納作業を開始しました。あの、スマホをにらみつけたままフリーズし、画面の手前で人差し指を漂わせている姿ほどマヌケなものはありません。完全にワーストな状態です。(うまいっ!)
僕はとりあえずチラシデータを選択し、四角の上の辺が途中で切れ、その切れた所から矢印が飛び出ているマークを押しました。このマークを押すと、メールやラインに添付できるのです。そして、ラインから、宛先を飛ぶ劇場に設定しました。この過程で、アルバムの文字が一言も出て来ません。
「どこで間違ったのだろう」と、僕はキャンセルボタンを押し、最初からやり直し、同じ工程を踏み、やり直し、工程を踏み、やり直し……と、同じ工程を4、5回踏み、アルバムを見つけられず、痺れを切らし、「もういい!」と送信ボタンを押しました。案の定、チラシデータはアルバムらしき場所には収納されませんでした。追加で「アルバムに入れようとしたんですが、入りませんでした。誰かお願いします。」と、ものすごくかっこ悪い文章を打ちました。秋山と中川裕可里が、無言で処理しました。

何が言いたいのかというと、ラインと格闘しながら稽古している飛ぶ劇場の「ハッピー、ラブリー、ポリティカル」をどうぞよろしくお願いします。
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「Re:日替わり出演の記憶」10/23

飛ぶ劇場の公演では、作品にもよりますが、「日替わり出演」という枠があり、外部ゲストや、僕のようにあまり稽古に参加できない団員のために、数回の稽古で参加できそうな役を、泊さんが用意してくれます。
数回の稽古で参加「できそうな」役、という所がポイントで、できそうか、できなさそうかは、当然泊さんが判断するのですが、「これくらいならできるであろう」の基準が、公演を重ねるごとに上がってきており、その日替わり出演における難易度の変遷を、僕の記憶と偏見を頼りにお伝えしようと思います。

・vol.28「有限サーフライダー」(難易度1)
日替わり出演枠が初めて登場したのが、この「有限サーフライダー」です。海のお話で、メインキャストが全員半裸でした。
日替わり出演者(以下、日替わリスト)に渡された台本には、大まかな流れと、ポイントとなるセリフだけが記されており、基本的に何をやってもOKで、エチュードするような感じで参加できたので、こんな役を用意してもらえてありがたいなあ、と、楽しい楽しいで演じておりました。
ちなみに僕は、舞台上でうきわを膨らませようとし、肺活量が足らず、全然膨らみませんでした。

・vol.31「蛙先生」(難易度2)
コンビニのバックヤードのお話で、桑島さんの怪演が劇場内を震撼させた名作です。
日替わリストは万引き犯の役で、基本的には「有限サーフライダー」と同じく、何を盗んでも、しゃべっても自由だったので、楽しい楽しいで演じられたのですが、万引きを犯すというモラルと役者魂の間で生じる葛藤があったため、難易度2とさせていただきました。
ちなみに僕は、七味唐辛子を万引きし「誰であろうと、うどんをおいしく食べる権利はある」と主張しました。

・vol.32「工場S」(難易度1)
門司の廃工場を使って公演しました。
僕は日替わりでの遊び方を習得し、芦田愛菜ちゃんを好き勝手演じ、日替わリストの名を欲しいままにしました。

・vol.36「豚の骨」(難易度5)
泊さんのラーメン好きが高じてできた作品です。アフタートークを毎公演後行なったのですが、トークゲストに演劇関係者は一人もおらず、ラーメン関係者ばかりでした。
この頃から、日替わり出演の様子がおかしくなってきます。まず、がっつり台本にセリフが記載されています。そして、歌を歌います。さらに、一旦退場し、再登場します。つまり、セリフを覚えたり、何を歌うか考えたり、段取りを把握するなど、事前準備が大変なのです。
僕はその大変さをメインキャストに転化するため、当時劇団員だった青木君に壁ドンするなどしていじり倒しました。
あと「夜明けのスキャット」を歌った際、全員に歌詞カードを配布しました。

・vol.37「百年の港」(難易度3)
門司港の周年イベントの一環で行った公演です。
日替わり出演というより、前説でした。なのでやはり、言うことががっつり決まっています。
前説の最後に「まずはこの曲から始めましょう。『門司港港まつり音頭』です!」と言い、踊りとともに芝居が始まるのですが、「まずはこの曲から始めましょう。きゃりーぱみゅぱみゅで『ファッションモンスター』!」と言ってだだすべりました。

・vol.39『do-tan-ga-tang-sun』(難易度10)
泊さんは台本を日本語で書いたのですが、全編、日本語ではない、よくわからない言葉でしゃべるというルールがあり、僕はそれをなんとなくで置き換えることができず、よくわからないセリフを全部文字に起こし、覚えました。以下、自分用台本の抜粋です。

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ヌん、クンらドゥーらった。ムすこるてトリバードんアヴァサリタ? ライライ、ジャッツおぬるんごとバッしかシンくるにーじゃに。べ、ロロルータイだら「ウヌグッたル」ちセイあはん? 2体2体トリバード女ごと2体。鬼アイスロロルーばっしかシンくるにーじゃにトリバード。じゃーザマ。あん、クンらおんシンきっティンだらオンディにーども、トリバード基本アッパタッパにて、ブラ~ン、ブラ~ンおんりZEI。ジャーざまポヌぎってにーにー、やや。おんでヌん? ロロルータイぬ。おいンツ やいじゃニージャ ヌんシックニー。じゃっつオヌオヌヌヌチムナアZEI、クンらアオキむっつりもってりZEI。(青木、青木青木青木カツキ)
べ、れれダイハツて。べへ、めーべおんじゅん、ロロ。むーロンロンひぎじゃーみダイ。マッドドッグZEI。クンらフーリエマッドドッグZEI。べ、ショッツルぬっちって? ショッツルゆ、フルツーあら。クンらくむっつんど。どっとろショッツルゆ。フルツーめーべショッツルにーじゃに。ヌんギボンマッドドッグZEI。(キンザザ)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

これを家で夜な夜な覚えていて、具合が悪くなりました。
さらに、上記のようなセリフで二役演じ、ラストの布を使った大仕掛けにも関わるという活躍ぶりで、もはや日替わり出演ではなく、一日しかない通常出演でした。

そして、vol.41「ハッピー、ラブリー、ポリティカル」にも、日替わリストとして出演します。
現時点でまだ台本は渡されていないのですが、二役演じることはほぼ決まっているらしく、難易度5以上を覚悟して臨みます。
どんな登場をするのか、お楽しみに!

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「block『カンパン』」9/16

子どもがクレヨンしんちゃんの映画が好きで、DVDをレンタルし、なんなら映画館にも行き、よく一緒に見ているのですが、僕は「嵐を呼ぶ 栄光のヤキニクロード」という、焼肉が食べたいだけの作品が一番好きで、シリーズには他にも感動巨編などがたくさんある中、なぜ焼肉が食べたいだけのこの作品なのかと聞かれても、趣味趣向がそっちを向いているのだから仕方がありません。

急にしんちゃんの話をしましたが、何が言いたいのかというと、タイトルにあるように、block「カンパン」の感想です。
団員の、しかも先輩の作品の感想を書くのは若干気が引けるのですが、面白かったので書きます。

「カンパン」は、「Re:北九州の記憶」という、北九州芸術劇場が行っている、地元の高齢者の方へのインタビューから演劇作品を立ち上げる企画があり、その企画に寺田さんが書いた短編戯曲が元になっており、今回、長編に書き換えたそうです(ちなみに僕は短編の方は未見です)。

第二次世界大戦後の間もない頃、母、その長女、次女という三人の家族が、米軍の倉庫から箱いっぱいのカンパンを盗んでしまい、それをどうするのか、という話です。前提として、みんな腹が減っている、という状況があります。
盗んだ食べ物をどうするか、と言って、真っ先に思いつく選択肢は、食べるか、返すかの二択です。この二択から、嘘をつく、言いわけする、ちょっとだけ食べる、独り占めする、隠す、隣人も巻き込む、後悔するなど、選択肢が派生し、カンパンをめぐる様々なやりとりが展開されます。
言ってしまえば、それだけの話です。オチはあるのですが、基本的に「盗んだカンパンをどうするのか」ということだけが問題となります。

このシンプルな話の何が面白いのかというと、カンパンをめぐる「やりとりそのものが面白い」という、この一点に尽きます。人間同士のやりとりを魅せることにおいて、演劇は他のメディアの追随を許しません。生身の人間が目の前にいるのですから、飛び散る汗から、カンパンの食いカスまで全部見えます。
母親はどうにかして娘達より多くカンパンを食おうとし、娘たちはそれを必死で阻止します。物理的に手を引っ張り足を引っ張り、七転八倒しながらケンカに近いやりとりまで行います。彼、彼女らは、自身の利益を得るために必死なのに、それを客観的に観ている我々には、その様がとても滑稽に映るのです。僕は腹を抱えて笑いました。

ハリウッド映画に顕著なように、起承転結のはっきりしている話では、冒頭で人物と状況の紹介があり、その後問題が発生し、それを解決し、さらに大きな問題が発生、解決、発生、解決……し、その過程で男女がいい仲になり、仲間の驚くべき裏切りがあったりし、どうにかこうにか危機を乗り越え、最後はハッピーエンド、というのが、いわゆる王道のストーリーです。
起承転結という話運びは、見る者に非常にわかりやすくストーリーを提供してくれます。なので、老若男女、幅広い層を対象としている場合によく採用されます。が、起承転結では取りこぼしてしまう要素があるのもまた事実です。

話を戻しますと、「カンパン」では、ストーリーの比重を減らし、やりとりの比重を極端に増やしています。それはまた、俳優の比重が大きい作品でもある、ということです。
「第二次世界大戦後の~」などとあらすじを書きましたが、それもセリフでは説明されません。衣装や音響などから、僕が勝手にイメージしただけです。この家族になぜ父親がいないのかも、劇中では一切説明されません。それらバックボーンの正確さは、この作品では大して重要ではないのです。何度でも言いますが、大事なのは「目の前で行われるやりとりそのもの」です。
夜寝るシーンで、娘達の布団はあるのに母親の布団がなかったり、近所の人が「家を間違えた」と言って入って来たりと、大胆な演劇のウソも随所で見られます。が、それも大した問題ではありません。この作品では、そこから派生するやりとりを見せたいからです(それらのウソを許容できるかどうかが、この作品にノれるかどうか、ということなんじゃないかと思います)。
逆に言うと、やりとりが魅力的でなかったら、引っ張ってくれるストーリーがない分、この類いの作品は全然面白くなりません。

僕がそうなのですが、俳優としての経験がベースにあるので、エチュードのような感じでセリフを書くんですね。設定だけ決めて、AさんとBさんに勝手にしゃべらせるんです。寺田さんもやはり俳優としての経験が豊富なので、面白いやりとりを作品に落とし込むのは得意なのだと思います。
俳優としての経験がベースにある作家は、ストーリーよりも、やりとりを重視した作品を書くことに長けている、というのが僕の持論なのですが、どうでしょうか。僕だけですかね、そう思うのは。

要はバランスの話だと思うのですが、ストーリーもやりとりも重視してしまうと、上演時間が伸び、観客の集中力が持ちません。だから大河ドラマのような演劇では、魅せたいシーンだけをピックアップし、そうでない部分はナレーションなどで省きます。歌舞伎もそうですよね。今回は義経千本桜の五段目をやります、みたいな。

僕にとって、「カンパン」の作品のバランスは、演劇的に、とても好みの塩梅だったのでした。

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「新作」9/11

せまい店内には肉を焼く煙が充満していた。目がしばしばする。気温も外より2~3度高い。カツキは慣れた感じで「二人ね」と店員に言い、中ほどのテーブル席に座った。ので、脇内も従って向かいの席に座った。
「なんか、暑くない?」
「エアコンの効きが悪いんだよ」
「大丈夫、ここ?」
「俺を信用しろって」
一番信用ならない言葉だった。カツキを信用してよかった試しがない。「うまい肉食いに行こうぜ」というカツキの誘いに乗ってしまい、案内されるがままついてきた店だった。元は白かった壁には煙とヤニが沁みつき、張られたポスターも変色し、扇風機の風にあおられ端がべろべろになっており、めくれた所から得体の知れない濁った色の汁が垂れていた。
店員がテーブルに七輪を置き、温度がさらに上がった。食べる前から脇内は帰りたくなった。この店で提供される肉がうまいとは思えない。椅子も固くて尻が落ち着かない。このまま立って出て行こうかと思ったが、カツキが去り際の店員に生ビールとタン塩を二人前注文してしまったので、そういうわけにもいかなくなった。
「よく来るの、ここ?」
「まあ、たまに」
「なんか、汚くない?」
「あ、そういうの気にする人?」と、カツキがカラフルな玉の連なったブレスレットをじゃらじゃらさせて言った。その言い方も態度もイラっとした。
秒でビールとタンが運ばれて来た。ビールはキンキンに冷えており、ジョッキに霜がついていた。タンには、これでもかというほど刻んだネギをまぶしてあり、本体は埋もれていた。とりあえず脇内とカツキは乾杯し、ネギをぼろぼろこぼしながらタンを七輪に乗せた。厨房から日本語ではない言葉でのやりとりが聞こえた。
「中国の人? 韓国の人?」
「なんかその辺の人」と、カツキは軽く炙っただけのタンを口に放り込み、くちゃくちゃしながら脇内の方を向いて親指を立てた。イラッ。
「本当にうまい?」
「まあ、まあ、だまされたと思って」
「……」脇内は少々焼き過ぎて反り返ったタンを小皿に取り、レモンをしぼって口に入れた。「何っ、この肉は……!?」

 大体2mm 2019年新作
 『穴場のタンです』
 出演:脇内圭、太田カツキ

何が言いたいのかというと、飛ぶ劇場vol.41「ハッピー、ラブリー、ポリティカル」の公演詳細を公開しました。

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「長い休み」8/25

お盆前に体調不良で入院しました。
草むしりをし、昼飯を食ったら全部口から出てしまい、その後も吐き気が止まらず、これ、熱中症なんじゃないか、と思って翌日、近所の内科に行き、血液検査をしたら白血球の数値が高く、さらにCT検査を受け、虫垂炎、いわゆる盲腸っぽいです、とのことで、そのまま紹介状をもらって大きい病院へ行き、その日のうちに手術しました。草むしりは関係ありませんでした。

「まあ、長めの盆休みだと思ってーー」と会社の方でも言ってくれ、俺は別に病院で休暇を過ごしたいわけじゃないんだ、と思いながらも、ありがたくお言葉に甘え、入退院を経て、そのまま盆休みに突入しました。

長い休みをもらったものの、あまり活動的な気分になれず、実家からも「帰って来なくていい」と言われ、ただただ家でじっとしていました。妻は親戚の集まりやら何やらで忙しく、子は子で夏休みのイベントがたくさんあり、家でじっとしているのは自分だけでした。なので飼っている鳥とよく戯れ、居間が糞まみれになりました。
しかし、笑っても、くしゃみをしても微妙に痛く、何をしても微妙に楽しくありません。微妙に、という所がポイントで、一見普通に何でもできるですが、中身が伴わないのです。傷口からは変な汁がじわじわ出ます。
元気じゃないと、自分の身体以外に興味が持てず、ニュースをあまり見なくなりました。世の物事に対して特に感想も抱かず、文句も出ない。それらは、贅沢、ということなのかもしれません。

お盆が明けてからは出社し、仕事をしぶしぶながらしています。だって仕事だから。しぶしぶした仕事なんかたいしたことないけれど、「数こなす」ということの大切さを教えてくれるのもまた仕事で、しぶしぶながらも数こなした結果、中身は伴わずとも、結果がついてきます。具体的には、次工程に回すのに必要な情報、製品、モノは仕上げられるということです。

翻って、創作活動はどうだろう、と、僕の場合は劇作ですが、微妙に中身が伴わないままに書いてみたら、全然楽しくなかったのですぐやめました。ここが仕事と、やりたいことの差、なのかもしれません。自分が楽しめないものを、お客さんが見て楽しいわけがない。

今は、腹から出る変な汁と共存する時なのでしょう。そして今後、体調不良との共存を強いられる機会が増えることは容易に想像できます。そうなった時、自分の外側に、どうアンテナを張っていくのか。また、自分の創作活動をどう継続していくのか。それまでに身体になじむくらいの数をこなすことができるのか。
答えは出ませんし、実際になってみないと何もわかりませんが、そういったことに思いをめぐらせるきっかけを与えられ、ぼんやりとながら、ずっと考え続けた8月でした。

何が言いたいのかと言うと、日記を書こう、と思える程度には回復したということです。
飛ぶ劇場は「銀河鉄道~」の沖縄での公演を終え、次は行橋に行きます。

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「チケット」7/16

先月、チケット不正転売禁止法が施行されましたね。
身近なところで言うと、演劇公演というのはお客さんに観てもらってなんぼのものでして、大体において、お客さんに作品を観るためのチケットを購入してもらい、そのお金で、主催者側は公演にかかった費用をまかなう、ということになっています。
そのチケットが、転売目的で大量に買い占められ、高額で売りに出されてしまうと、本来観て欲しい方々に観てもらえず、主催者は悲しい気持ちになります。人によっては憤りも覚えます。なので、取り締まることになり良かったのではないか、と、転売していた側の気持ちを知らない者としては思っています。
もちろん、より多くの方に観ていただきたいので、「無料で観れますよ」とふれ込んだ方が効果的なのですが、それでは公演にかかる費用のすべてを手出しせねばならず、何百万、下手したら何千万、何億とかかり、継続的な活動が困難なだけでなく、生活そのものが破綻し、一家離散、気を紛らわせるために酒を浴びるように飲み、仕事も手につかず借金は増える一方、あげくは禁止薬物に手を染め……、と大変悲惨な目に会うため、チケットを購入してでも観たい、と言ってくれる方を対象としているわけです。

では、演劇公演のチケット料金というのは、どのようにして決まるのでしょうか。
僕の作品を観たいと言ってくれる人を、100人として計算しようと思います。
規模が小さいですか? 小さいところでごちょごちょやっているものでして。サーセン。

僕は飛ぶ劇場に所属しているのですが、飛ぶ劇場は泊さんの作品を上演する団体なので、自分の作品を上演する「大体2mm」というふざけた名前の団体を別で持っていまして、前回、大体2mmで公演を打った時のチケット料金は2000円でした。
この2000円という金額は、北九州で主に活動している他の演劇団体をなんとなく眺め、この会場で2000円だったら、僕の公演にもお客さんが入るのではないか、入るとうれしいな、という所から設定した金額です。次回公演の予算を組む際、前回を参照すると、2000円×100人=20万円を基準に予算を組むことになります。

例えば、僕が「80万円の舞台装置を組むぞ」と言って、チケット料金を1万円に設定しても、たぶんお母さんくらいしか観に来ません。下手したらお母さんすら来ません。なぜなら、僕の作品を見るために1万円のチケットを買う人はいないからです。
したがって、「1万円×100人=100万円」で予算を組んでも、実際の収入はほとんどゼロのため、100万円の赤字です。

次に、「もっと多くの人に見てもらいたい」と言って、集客予定数を1万人に設定しても、やはりそんなに観に来ないと思います。なぜなら、悲しいけれど、僕の作品を観たい人は1万人もいないからです。
したがって、「2000円×1万人=2000万円」で予算を組んでも、実際に見に来てくれる人は100人なので、1980万円の赤字です。

しかし、「嵐が活動休止前に、どうしても俺の作品に出たいと言っている」という謎の状況が発生すると、1万円のチケットで1万人分集客できそうな気がします。したがって、「1万円×1万人=1億円」の予算が組めます。

ただ、ここで問題なのは、1万人中、僕の作品を見たいのは100人で、残りの9900人は、嵐が見たい人なんですね。しかもチケット料金は2000円ではなく1万円なので、ほぼ全員、お母さんも、嵐が見たくて来ます。
これは僕の望むところではないので、嵐がどうしても出たい、と言ってくれるのでない限り、やりません。
なので、やはり僕の作品を2000円で観たいと言ってくれる100人を基準に、他のもろもろを考えるべきなんですね。

嵐の例は極端ですが、さっきから基準にしている100人にも、公演関係者の持つお客さんが含まれています。だから僕が作、演出、出演、照明、音響、舞台、制作など、公演に関わる作業をすべて一人で行った場合、この100人という前提も崩れます。
とは言うものの、僕の作品の傾向として会話が必須で、会話するためには登場人物を二人出す必要があり、その会話をより複雑にするために、三人、四人……と登場人物が増えて行くんですね。あと他人を気遣うことが下手くそなので演出は藤本君にお願いしているし、仕込みで驚くほど戦力にならないため舞台製作は飯野さんにお願いしているし、公演当日緊張して棒のように動かなくなるから制作業務を誰かしらに願いしています。照明、音響も然り。だから、作品の傾向を大幅に変えない限り、前提は崩れません。

逆に、登場人物を1000人出せば、もっと集客を見込めるのではないか、と思います。1000人の出演者のそれぞれのお母さんが観にくるだけで、お客さんが1000人増えます。
しかし、もろもろの費用もそれなりに膨らむので、一概に収益がプラスされるとは限りません。なんならプラマイゼロでしょう。

というわけで、どうすれば自分の好きな作風を維持し、クオリティを上げつつ、チケット料金を抑えながら、10%ないし20%の集客アップが見込め、なおかつ黒字に持って行くか、ということで、みんな四苦八苦しているんですね。いや、聞いたわけではないので、想像でしかないのですが、そういうことなんじゃないかと思います。
そのために、劇団外からゲスト出演者を招いたり、芸術作品を助成してくれる団体に補助金の申請を行ったりしているのです。
以上を踏まえ、大体2mmの次回公演では、物販をがんばろうと思い、団体ロゴの入った猫タワーを17800円で販売する予定です。

何が言いたいのかと言うと、6月に行ったオーディションの結果、深月望加(みづきみか)が飛ぶ劇場に入団しました。

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「演劇観」6/23

「演劇に正解はない。けれど、失敗はある」と、これは南河内万歳一座の内藤さんから賜った金言でして、演劇に携わる上で僕が胸に刻んでいる言葉の一つです。僕の持っている演劇観は、過去に関わった様々なものから影響を受けており、それは演劇に限らず、マンガだとか、ハムスターだとか、職場の人間関係だとか、それらを含む、40年近い蓄積の中で形成されたものです。
とはいうものの、演劇観なので、演劇からの影響がほとんどです。

僕が演劇を始めたのは1996年でして、その頃は「静かな演劇」と呼ばれる潮流の真っ只中で、当然、僕も多大な影響を受けており、平田オリザさんや宮沢章夫さんの著作を読み漁り、手本としました。そして、いわゆる「関係性」を重視した演劇を志向しています。
スタートがそこなので、誤解を恐れずに言うと、僕には「一人芝居」の良さがよくわかっていません。
否定しているわけではありません。よくわかっていないのです。一人芝居を精力的に行っているタカキキカクさんの活動を応援していますし、飛ぶ劇でも泊さん、きむけん、はやまん、中川裕可里などは一人芝居を創作し、出演しています。イッセー尾形さんの舞台を拝見したことがありますが、大変面白く、腹を抱えて笑いました。
しかし、その面白みは出演者個人の「芸」だったり「華」と呼ばれるものの比重が大きいと思っており、もちろん、演劇性の中にそれらの要素は含まれているのですが、それは、僕の志向する性質のものではないんですね。
つまり、「芸」や「華」以外の演劇性を、一人芝居に見出すことができていない、ということです。

話のストーリーを追う、という意味では受け入れられるのですが、ストーリーを受容する限りにおいて、他のメディアに対して演劇が特別長けているとは思えず、ストーリーももちろん大事ですが、ストーリーに乗った上での、ストーリーではない部分に、演劇性を見出しており、それが相乗効果を生み、最終的に演劇的に面白いストーリーになると、そう思っているんです。

また、生身の人間がそこに立ち、肉声を発する、というのは演劇ならではですが、それは一人より、二人以上の方が魅力的だと思うのです。なぜなら、人間が二人いると、やりとりが生まれるわけで、「登場人物~観客」という往復のやりとりより、「登場人物A、B、C……~観客」という多角形のそれの方が、より複雑で、予測不能な要素が増すからです。すると、面白みの比重が「関係性」の方に傾いて行くんですね。
予測ができないということは、事前準備もできないということで、それこそが、演劇の最も優れた特性の一つであると、個人的には思っており、僕はその上で発生する化学変化、ひいては「うねり」を作り出すことに全力を注いでいると言っても過言ではありません。

作家の考えのアウトプットであれば、活字メディアの方が優れていて、上演より戯曲を読んだ方が良いと思うのです。同じく、出演者が観客、ないし相手役の反応を先取りした演技をしても、僕には何の面白みも感じられません。関係が死んでいるからです。
もちろん、このシーンで観客に驚いて欲しい、というような意図はあって当然です。シチュエーションコメディなどは特にそうでしょう。そこは巧妙に意図を隠すのが製作者の手腕です。

ただ、僕の場合、劇作という事前準備の段階に、その予測不能な要素を入れ込もうとした結果、「異常に覚えにくいセリフ」という負荷が発生しているのが現状です。
一例を挙げますと、これは旗揚げ公演の時のセリフですが、「何飲んでんの?」「え?」「それ、ビール?」「え?」「それ、ビール?」「何何?」「ビール、それ?」「え、ビール、うん……」「え?」「は?」「いや、え、ビールだけど……」「へえ」「へえ?」「あ、いや、うん」「何に見える?」「はい?」「これ、ビール、何に見える?」「え、ビール……」「え……、え何?」「は?」「いや、だからさ……」「ビールだよ?」「あぁ、うん、ビール、それビール」「あ、知ってた?」「知ってた」「え、知ってたの?」「知ってはいた」「え何?」「……おいしい?」「え、ビール?」みたいなやりとりを1時間分書きました。ちなみに三人の会話です。
「会話は言葉のキャッチボール」などと言いますが、センテンスを短くすることで、ボールを持っている時間も短くし、思考の入り込む余地を減らすことを意図したのですが、これは覚えやすさを一切考慮していません。というか、そこまで配慮が及んでいません。「俳優にセリフを覚えてもらわないことには、本番を迎えられない」という当たり前の部分が抜け落ちています。
なので、最近はもう少し覚えやすいセリフを書くよう意識しているのですが、それでも、出演してくれる俳優は毎回四苦八苦しています。もう、ごめんね! としか言いようがありません。

話が逸れましたが、それが僕の志向する演劇性です。

あともう一つ、2010年ごろにオリザさんがロボットの出演する演劇を製作し、心を持たないロボットが、生身の人間である観客を揺さぶることができると、作品を通して教えてくれました。僕は山口でその上演を観て、演じる側の内面というものは、観客にはあまり関係がないのだという認識を持つようになりました。だから、そのシーンで必要な身体、呼吸、セリフのトーンなどが再現できていれば、頭の中では「あ、ハムスターのエサ、買いに行かなきゃな」などと考えていても良いと思っています(伝える内容にはよると思います)。

一人芝居と同じく、内面を重視したメソッドも否定しているわけではありません。あくまで、自分が志向する演劇において、という話です。
僕が東京で所属していた研究所は新劇の老舗劇団のそれでして、近代~現代に至るメソッドを教わったのですが、新劇というのは内面の機微を表現するのに優れたメソッドを持っており、演じる側の内面が観る側にも伝わる、という考え方に基づいています(と認識しています)。そして現在も、その方法論で製作された演劇に観客は揺さぶられているわけで、昨年観た劇団しようよの「パフ」などは、そこから通じる「今」があると思い、有効性を改めて感じたのでした。

そういった蓄積の上に成り立つ何かを探っている、というのが、2019年現在の僕の演劇観です。もちろん、影響を受けた作品は他にも数多く存在しますが、ベースを形作っているのは上記のようなことではないかと思うのです。その上で、自分の趣向に合う演劇を、楽しく創作して行ければ、と思うのです。
逆に言えば、一人芝居にその何かを見出せば、一人芝居を作るでしょう。

と、ここまで書いて、こんな極端な持論を飛ぶ劇の日記で展開していいのかなと思い、事前に泊さんに見てもらってから公開しようと思います。(了承を得ました)

えっと、宣伝。飛ぶ劇場は沖縄と行橋で銀河鉄道を上演します。

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「効率と無駄」5/17

前回の日記ですが、自分で公演を打つ時の集客の10倍以上の方に読んでいただき、ツイートに関しては150倍くらいの方の目に触れたようです。それなりに時間をかけて書いた文章に反響があり、たくさんの方に読んでいただけたというのは大変うれしいことです。読んでくださったみなさん、ありがとうございました。
しかし前回の日記は、オーディションの参加者を募ることが主旨であり、そっちの方の成果はかんばしくなかったため、再度、何か書こうと思います。

演劇というのは基本的にお金になりません。興行を目的とした商業ベースの演劇ももちろんありますが、飛ぶ劇場がやっているような、いわゆる「小劇場演劇」と呼ばれるものは、特にお金になりません。
親戚の集まりなんかに顔を出し、劇団に所属していることを伝えると、「それ、儲かるん?」と100%聞かれます。そして親戚一同から、「もっと将来のことを考えて行動しろ」などと散々説教を食らいます。
これは演劇活動をしている人なら誰もが経験することです。一般的な価値観として、活動の結果、利益の発生しないものは趣味でしかないからです。そして演劇は、趣味と言うにはあまりにも時間と労力とお金のかかる活動です。たしかに演劇で腹はふくれませんし、お金持ちになりたくて演劇を一生懸命する人はいません。

なぜ演劇がお金にならないのかというと、そもそもの目的が営利団体と異なるからです。会社のような組織は、利益を生むことが第一条件です。したがって効率が求められ、無駄は省かれます。金銭を得ることが目的です。
演劇には、生産だけでなく、表現という側面があります。個人的には、そこが一番だと思っています。そして表現は、日本の学校教育ではあまり教わりません。今はまた少し事情が変わっているのかもしれませんが、少なくとも、自分が子どもの頃はそうでした。

幼稚園や小学校で劇を上演する際、「生徒全員が横一列に並び、正面を向き、セリフを言う時に一歩前に出る」というフォーマットがあります。あれは、どの子も平等に目立ち、親御さんを楽しませることを最優先に考えられたフォーマットなので、出演する子どもに関係のない人が見て、あまり面白いと感じられるものではありません。なぜなら、人は普段、そんな風に並んで立たないし、しゃべる時に一歩前に出なくても、誰がしゃべっているのかわかるからです。要するに、第三者が見た時のリアリティに欠けるのです。
しかし、そのような劇しか経験していない子どもが、高校の文化祭などで劇を上演することになった時、やはり同じフォーマットを踏襲するのです。それしか方法を知らないから。僕には6つ年下の弟がいるのですが、弟の学園祭の劇はまさにそのフォーマットでしたし、数年前に見た息子の保育園の劇も、やはり同じでした。(先生方の苦労がしのばれます)

話が逸れましたが、何が言いたいのかと言うと、表現方法を習得するには、ああでもない、こうでもないと、トライアンドエラーを繰り返す必要があるため、たくさんの時間を費やすことになるのです。
たくさん時間を費やすということは、非効率的であり、無駄を生んでいるということです。会社組織でも時間を割いて新人教育を行いますが、それは将来的により多くの利益を得るための投資です。演劇の場合は、表現の習得が利益に直結するわけではなく、表現そのものが目的なのです。もちろん、公演の結果、利益が生まれるに越したことはなく、そのために制作スタッフは四苦八苦するのですが、それでも関係者に十分な給料の支払われることはマレです。また、公演を重ねることで練習時間が短縮させるわけでもなく、毎回同じだけの時間を要するため、効率の悪さはピカイチです。

結果だけを見ると効率の悪さと生産性の低さしか目立たず、親戚の集まりの時のような意見しか出ないのですが、多大に無駄な時間をかけ、表現方法を探るその過程自体がおもしろいのです。料理人が夜な夜な、厨房で新作メニューを考案する楽しさに似ているかもしれません。こればかりは実際に中に入り、体験しないことにはわかりません。
例えば、僕は劇作をしているのですが、上演時間が1~2時間の話を書くのに、大体半年くらいかかります。他の人と比べたことがないので、これが長いのか短いのか、よくわかりませんが、体感としては「すげえ長い」です。しかし、ああでもない、こうでもないと、書いては消しを繰り返し、ちょっとずつ練り上げて行く作業そのものが楽しいのです。つまらなかったらやりません。不毛なことをやっているのかもしれませんが、えてして、自身のための愉楽というのは、周りから見れば不毛なことばかりなのではないでしょうか。

人には多かれ少なかれ、表現欲求というものがあります。演劇の練習は、個人の表現したいことを、どうすれば第三者に効果的に伝えることができるのかという方法の追求に他なりません。だからコミュニケーションスキルとの親和性が高いのです。これは俳優に限らず、照明や音響といったスタッフワークにおいても同じですし、もっと言えば、音楽や絵画など他の表現にも通じます。

もとより、劇団という形体自体が非効率的で、なおかつ無駄を多分にはらんでいます。しかし、劇団でしか味わえない愉楽というのも、少なからずあるのです。これは経験から、そう言い切れます。
非効率的で無駄な営みが、製作する側にも、そして観る側にも愉楽を与えるのですから、表現というのはよくわからないし、おもしろい。

飛ぶ劇場はオーディションをします。興味のある方は、ぜひご参加ください。

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「演劇を続けるということ」4/22

6月に劇団員オーディションを行うので、自分のオーディションにまつわるエピソードを何か書こうと思ったのですが、そういうエピソードで記憶に残っているものは、過去に大体書いてしまい、どうしようかなと思って、それで、僕は飛ぶ劇場に入団して15年以上経ち、高校演劇から含めると20年以上続けているため、演劇を続けるということについて書こうと思います。

僕は高校の部活動で演劇を始め、以来、なんだかんだでずっと演劇に携わっています。ただ、演劇活動を通して金銭をいただくことはあまりないため、演劇活動で生計を立てているわけではありません。その活動の内容が素晴らしく、継続的に依頼が発生し、金銭を得て生計を立てることがプロフェッショナルの定義だとすれば、僕は演劇のプロフェッショナルではありません。では、プロフェッショナルでないにも関わらず、なんで20年以上も演劇を続けているのかといえば、ひとえに「好きだから」としか言いようがありません。

最初から同じ志で続けているわけではありません。一時期はプロフェッショナルの俳優になることを目指していましたが、やめました。好きは好きなのですが、好きの度合いには20年の間で当然波があり、成り行きで、今に至ります。嫌になったら辞めるわけで、続いているということは、少なくとも、辞めない程度にはずっと好きなのです。

二十歳前後の頃、プロの俳優になることを目標に上京し、演劇の研究所に入り、いくつかの舞台作品に出演しました。良い経験をたくさんさせていただいたのですが、ふと、「これは自分のやりたかった演劇活動だろうか」と疑問が生じました。自分の趣向との間に誤差があったんですね。
あと、俳優として生計を立てることを考えていたため、芸能プロダクションに所属し、様々なオーディションも受けました。例に漏れず、ことごとく落ち、たまにもらえる仕事は「浮気現場を彼女に押さえられ『あっ』という顔をする男」の役などで、自分の中での疑問はますます大きくなりました。「浮気現場を彼女に押さえられ『あっ』という顔をする男」の役は、立派な仕事です。オファーを受ける人がいなければ、作品が成立しません。需要と供給が一致した結果、そこに金銭が発生します。自分に対する需要が、理想とかけ離れていたというだけの話です。

あと、共演した50代の俳優さんで、あんな俳優さんになりたいなあと思っていた方がいたのですが、その方に、出演舞台が決まったので見に来てくださいと電話した所、「その週は、バイトが忙しくて……」と断られ、演劇活動で生計を立てるということの現実を見た気がしたのでした。
自分のやりたい演劇活動で生計を立てている者はほんの一握りです。また、活動を続けたからといって、必ずしも理想が現実になる保証もありません。自分には、50代になってもバイトを続けながら、そこを目指すだけの覚悟がなかったのです。

その時点で、自分の目標を修正しました。東京、や、いわゆるプロ、にしばられることなく、好きな劇団に所属し、好きな演劇活動を続けて行こう、と思ったのです。その頃にちょうど、飛ぶ劇場のオーディションがあることを知り、運良く入団できたという次第です。

ちょっと長いのですが、まだ、もう一山書きますね。

飛ぶ劇に入団した最初の年は、とにかく、可能な限り舞台作品に出演しました。好きな団体に所属できたのだから、好きを爆発させようと思ったのです。ちょうど北九州芸術劇場がオープンした年で、劇場の企画の出演オーディションなども重なり、年に12~3本の作品に出演しました。これまでやりたくてもできなかったことです。ありがたいことに出演料の発生する作品にもそれなりに参加させていただき、1年間でまあまあの金銭をいただきました。

しかし、これは自分でも驚きだったのですが、あんなに好きだったはずの演劇に、飽きたんですね。年に12本出演するということは、ほぼ毎日、休みなく演劇に携わるということで、経験してみて初めてわかったのですが、自分にとって、演劇というのはスペシャルなことで、それが生計を立てる手段であり、日常になるのは、自分のやりたい演劇活動ではなかったのです。
今だからこうして言語化できていますが、当時はぼんやりと「あれ、思ってたのとちがうな……」と感じていた程度で、とりあえず、「演劇じゃないこと」がやりたくなったんですね。
なので、演劇とは別に生計を立てる手段を持ち、演劇は、自分にとってスペシャルだと感じられる範囲で続けていこうと、入団して二年目で、さらに目標を修正したのでした。

その後、企業に就職し、家庭を持ち、紆余曲折あり、今は主に、劇作家として演劇活動を続けています。ほぼ毎日、何かしら書いていますが、飽きは来ていません。ちなみに、誰かから依頼されて書いているわけではないので、金銭は発生しません。一度賞をいただいたことがあるのですが、金銭が発生したのはその時だけです。ただ単に、好きで、ずっと書いています。

何が言いたいのかというと、演劇に限らず、自分に合うやり方で、好きな活動を続けることが大切なのではないかということです。
飛ぶ劇場はオーディションをします。様々な紆余曲折を経た、16名の団員が所属する劇団です。興味のある方は、是非ご参加ください。

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「マラカス」4/1

遅くなりましたが、ぶらり♪まちなか劇さんぽ2019参加作品「先生のお葬式」にご来場くださったみなさん、ありがとうございました。
僕がこの作品に出演するのは二回目でして、二回とも同じ役をしたのですが、二回とも太田カツキの私服を衣装にし、二回ともマラカスを振りました。
太田カツキの私服はファブリーズして返却したのですが、マラカスは僕がダイソーで購入したものでして、公演を終えた今となっては、誰にも振られることはなく、ひっそりと、自宅の階段の隅の物置のようなスペースにおさまっております。
しかし、階段を上り下りするたびに、マラカスに「振ってくれ」と言われているような気がして、なんとなく尻のあたりがむずむずし、落ち着かないのでした。

そこで僕は、自宅での、マラカスの新しい使用方法を考えることにしました。
マラカスの特徴は、何においても「振れば、鳴る」ということです。ダイソーで買った100円のマラカスなので、サンバの人達が鳴らす小気味好いシャカシャカという音ではなく、プラスチックの容器にBB弾がぶつかり合う、カチャカチャに近い音が、まあまあの音量で出ます。

まず、僕が考えたのは、「子どものおもちゃとしての再利用」です。前回は、そうしたのでした。子どもと、その友達は、100円のマラカスの耐久性など気にせず振り回すので、柄が折れたり、プラスチックが割れて中身のBB弾が出てきたりして、先代のマラカスは成仏しました。
そして今、子どもは10歳になっており、「ほら、マラカスだよ、どう?」と聞いても「いや、別に、いい」と、ユーチューブを見ながら無関心な返事が返ってきたため、時の流れの早さをしみじみと感じました。

次に僕が考えたのが、「振らない」という使用方法です。逆転の発想ですね。マラカスを、振らない。振らずにどうするのかというと、もう飾るしかないのですが、何しろダイソーで100円で購入したものなので、デザイン性に富んでいるわけでもなく、飾った所であまり見栄えしません。

最終的に「やはり、振って、鳴らそう」と思いました。ただ、楽器としてマラカスを利用する人は、うちには誰もいません。そこで着目したのが、「まあまあの音量が出る」という点です。そう、今、マラカスは、うちの寝室に置かれています。目覚ましとしての再利用です。朝、一番に目覚めた人が、マラカスを振って「朝だぞ、起きろ」と言いながら、他の者を起こすのです。なんだかマヌケで、素敵な朝ではありませんか。

先日、僕が一番に起きて、マラカス目覚ましを実行したのですが、「あのね、不愉快」と妻に怒られました。僕はしゅんとしました。
現在、次なる使用方法を考えている所です。

何が言いたいのかと言うと、飛ぶ劇場はオーディションをします。

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「体調」2/26

先日、体調を崩しました。
日中は外出していたのですが、どうにも調子が悪く、早々に帰って熱を測ると微熱があり、食欲もなく、夕方くらいから寝ました。

翌日、日曜だったので病院が開いておらず、ずっと寝ていました。微熱も続き、節々の痛みがありました。

さらに翌日、会社をお休みし、病院に行きました。僕は車の運転が下手なので、通常、移動は自転車なのですが、体調が悪いときくらいは車に乗った方がいいなと思いました。が、体調が良い時ですら運転があやういのに、体調が悪い時に運転すると、それこそ事故しかねないと思い、やはり自転車で行くことにしました。自転車に乗ると、前々日からずっと寝ていたため、腰が「ピキッ」となり、声が「ウッ」と出、自転車が「ギッ」ときしみました。

病院に着くと、厚着していたこともあり、汗がにじんでいました。受付の女性に「ちょっと、熱が出まして……」と伝えると、「では、熱を測ってください」と言われ、測りました。35.8度でした。
「あの、平熱でした……」と伝えると、「汗、かいてますか?」と言われ、「かいています」と言うと、「汗をかいていると、正確に計測できないので、汗がひいてから、もう一度測ってください」と言われ、あぁ、そういうことか、と思い、「はい」と答えました。
椅子に座ってじっとし、汗がひくのを待ちました。待っている間に頭痛がしてきました。頭痛で何も考えられず、水槽で熱帯魚が泳いでいるのを、ただただ眺めました。
しばらくして熱を測りました。36.2度でした。
「やっぱり、平熱でした……」と伝えると、受付の女性は笑顔をこちらに向け、「症状を詳しく教えてください」と言いました。そして、前々日、前日と、微熱があり、食欲がなく、節々の痛みがあったことを伝えました。「少々お待ちください」と、受付の女性は、奥の部屋へ引っ込んでいきました。

しばらく待っていると、診察室に通されました。お医者さんがいました。
「えっと、昨日、一昨日と、熱があったが、今はないと……」
「はい……」
「節々の痛みは、まだありますか?」
「今は……ありませんが、さきほど、自転車で腰をやりました」
「それは、いわゆる、風邪の諸症状による、節々の痛みですか……?」
「えっと、風邪の諸症状による、節々の痛み、ではありません……」
「倦怠感はありますか……?」
「倦怠感とは……?」
「体のだるさ、です」
「体はだるいですね。丸二日、寝ていたので……」
「喉の痛みや、咳、鼻水などは……?」
「ありません、が、さっきから頭痛が……」と言いながら、昨日、ずっと寝ていて、コーヒーを飲んでいないことを思い出しました。僕は毎日、けっこうな量のコーヒーを飲むので、しばらく飲まないと、頭痛がするのです。「頭痛がするのですが、カフェインが欠乏しているからかもしれません……」
「食欲は……?」
「お腹……空きました……」丸二日ろくに食べていないからです。
「では、今は、ずっと寝ていたことによる倦怠感があり、それに伴って自転車で腰をやり、カフェイン欠乏による頭痛がするが、平熱で、食欲もある、ということでよろしいですか……?」
「えっと、はい……」
葛根湯を処方されました。

帰り道、コンビニでコーヒーを買って飲むと、頭痛が消えました。
僕は元気です。

何が言いたいのかと言うと、元気な僕は、来月、リーディング公演に出演します。

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「『わたしの黒い電話』北九州公演を終えて」1/7

新年、あけましておめでとうございます。
今年も飛ぶ劇場をよろしくお願いします。

まずは2月上旬に、久留米での公演が予定されています。先月北九州で上演した「わたしの黒い電話」のツアー上演となります。僕はスタッフとして参加しているのですが、通し稽古や、北九州での公演を観劇した感想を書こうと思います。

泊さんの作品には、代表作「生態系カズクン」に顕著なように、しばしば「死者の側から見る生者」の視点が取り入れられています。観客である我々は当然生者であり(死者が見ていないとは言い切れませんが)、死者の視点に思いを巡らせることで、登場人物たちや、ひいては自分自身をとりまく現実を俯瞰します。
死は、誰にでも訪れる普遍的な問題でありながら、「明日、死ぬかもしれない」と思いながら生きている人は、現在の日本にはあまりいません。怖がらせることが目的ではなく、死を意識することで生を再認識する演劇体験であります。

(以下、ネタバレを含みます)

「わたしの黒い電話」では、文字通り、電話を媒介として、生者と死者がつながります。
柱と梁の骨組みで表現された装置は抽象性が高く、両端に設置された固定電話のみが、具体性を帯びています。舞台上では、九州にあるシェアハウスと、東北のあちこちの民宿とが、めまぐるしく入れ替わるため、「これは、いつ、どこで起こっていることなのだろう」と、目眩のような錯覚と、謎を伴いながら進行します。
「生と死」が物語の縦軸だとすれば、横軸は「錯覚と謎」であり、それは話を先へと導く推進力となります。よくわからないものを、よくわからないまま提示されても、観客は置いてけぼりをくらうだけで、興味は削がれるのですが、観客の理解の少し先を提示し続けることで、謎に対する興味を持続させます。錯覚と謎の扱い方には、デヴィッド・リンチを彷彿とさせるものがあり、泊さん自身、リンチ作品のファンであることを公言しており、その影響が垣間見えます。

「生と死」「錯覚と謎」などと、小難しい印象を与えがちですが、やり取りされる会話自体は軽妙で、稽古場では笑いが絶えませんでした。
あと、なまはげが出ます。なまはげの存在を軽妙と思うかどうかは人それぞれですが、顔の大きいなまはげが出ます。人の倍くらいのサイズの顔なので、出ハケが大変です。なまはげの面は太田カツキが製作を担当したのですが、本番の一週間前になっても完成せず、現状でいいからとりあえず持ってこいと指示し、そのクオリティに他の団員は納得せず、残りの数日間、みんなで協力してクオリティを上げたという代物です。なまはげが出て、暴れます。

今作で僕が最も魅力的に感じたのは、撒かれた謎を回収するその手つきです。
前半の推進力となった錯覚と謎を、中盤以降、一つ一つ丁寧に拾っていきます。生者はもちろん、死者も当たり前のように現れ(なまはげも現れ)、生きているのか死んでいるのかわからない者や、「マルホランドドライブ」に出てくるカウボーイのように、作品を横断するメタ的な存在まで現れ、謎の解明に寄与します。謎が解けていく手続きというものは、ご存知の通り、うまく機能すれば見る者に快感を与えます。リンチ作品の謎はわかりやすく解明はされませんが、泊作品では撒いた種をきれいに回収します。

謎が解けた結果立ち現れるのは、この世とあの世の境い目で、生と死で隔てられた男女が、電話線一本でつながるその姿です。劇中、青森のランプの宿に宿泊した人物が、その幻想的な夜景に見惚れ、「ガラス一枚隔てた向こうは死の世界」と表現するのですが、男と女がいるのは、まさにそのような場所です。泊さん自身、夢の中で、亡くなった母親からの電話を受けたことがあるそうで、その体験が元となって今回の作品が生まれたと、パンフレットに掲載した文章に綴っています。
男と女は、一緒に迎えることの叶わなかったクリスマスを、この世とあの世の境い目でやり直します。僕はこの舞台で、死の雰囲気をまとったクリスマスケーキというものを初めて見ました。男は賞味期限の切れたケーキを、パサパサだと文句を言いながら食べ続けるのですが、その場にはもう、女の姿はありません。ガラスの隔てた向こう側へ行ってしまったのです。セリフでは語られないその事実を、ここまでの手続きを経て観客は理解し、客席からはすすり泣きが漏れ聞こえてきました。見る者それぞれの意識の中に「生と死の境い目」が生じるのです。これが「演劇的に死を意識する」ということだと、僕は思いました。
女との関係をたしかめる黒電話のけたたましいベルは二度と鳴ることはなく、スマートフォンの無機質な着信音が鳴り響き、幕は下ります。

以上が、僕の思う「わたしの黒い電話」の感想なのですが、結局何がしたいのかと言うと、集客につなげようと必死なわけで、しかし久留米での公演を見るためにネタバレを懸念している人は、ここまで読んでいないんじゃないかという矛盾。

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「わたしの黒い電話」12/17

「わたしの黒い電話」北九州公演が終了しました。
ご来場くださったみなさん、ありがとうございました。
2月に久留米で公演しますので、そちらもどうぞよろしくお願いします。

片付けを終えた後、打上げ兼忘年会を行いました。
店のテレビで「西郷どん」が流れていて、今まで一度も見ていなかったのですが、せっかくなので見ました。店内はわいわいと賑やかで、音声は聞こえませんでした。
見始めてすぐ、西郷どんらしき人が銃撃にあってしまいました。達夫さんが、「俺、3話くらい前から、まだ見てないんだよね……」と言いました。
それから場面が切り替わって、犬が出てきました。たぶん、西郷どんの飼い犬です。コンちゃんが、「犬、犬」と言いました。
さらに場面が切り替わって、生き物の毛皮の上に、手紙のようなものが置かれました。おそらく、西郷どんの書いた手紙です。西郷どんの家族らしき人々が、神妙な面持ちで手紙を読んでします。コンちゃんが、「あの毛皮、さっきの犬かな……?」と言いました。コンちゃんの興味は犬にしかありません。
それからしばらく、おいしいおいしいと料理をつつきまして、ぱっとテレビを見ると、ひげでモジャモジャの人が、血をドバドバ流していました。秋山の前髪はパッツンパッツンでした。
西郷どんと、ひげでモジャモジャの人が死んでしまい、あともしかしたら西郷どんの犬が毛皮になってしまいました。
隣で見ていたすんが、鳥天を食いながら「え~、来週どうなるんですかね」と言いました。どう考えても最終回だろうと思いました。

何が言いたいのかというと、次から始まるのは「いだてん」です。

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「絵本」12/7

「わたしの黒い電話」本番まで10日を切りましたが、全然関係ないこと書きますね。
以前、不思議少年の大迫さんが、「絵本用の文章を書いたことある」と言っていたのをふと思い出し、僕も書いてみました。

「犬」

Aちゃんと、Bちゃんは、学校からの帰り道に、公園で遊んでいました。
そこに、おじさんが、犬を散歩させながらやってきました。

Aちゃんは、犬を見て、「犬だ!」と、犬に向かって言いました。
Bちゃんもそちらを見て、やはり「犬だ!」と言いました。
おじさんは、AちゃんとBちゃんの方を見て、にこにこしました。
犬は、「ワン」と吠えました。

AちゃんとBちゃんは、犬に駆け寄りました。
駆け寄ってくるAちゃんとBちゃんに驚いたのか、犬は、ワンワン吠えながら、むちゃくちゃに動きまわりました。
おじさんは、犬がどこかに行ってしまわないよう、リードをしっかり持ちました。
リードは、「ビンッ」と、めいっぱい、張りました。

Aちゃんは、おじさんに「犬、なでてもいい?」と聞きました。
おじさんは、「いいよ」と言いました。
Aちゃんは、犬の頭をなでました。
犬は、初めはおとなしく、Aちゃんに頭をなでられていましたが、そのうち、テンションが上がったのか、しっぽを激しく振りながら、Aちゃんの手や、腕や、顔を、べろべろなめました。
Aちゃんは、「くすぐったくて、くさい」と笑いました。
犬の舌は、唾液を分泌しました。

Bちゃんは、おじさんに「犬、かまない?」と聞きました。
おじさんは、「かむかもしれないし、かまないかもしれない」と言いました。
Bちゃんは、「え、かむの?」と聞き返しました。
おじさんは、「かむ可能性は、限りなく低い。けれど、ゼロではない」と言いました。
Bちゃんは、おじさんの言ってることがよくわかりませんでした。
おじさんのウエストポーチには、村上春樹の文庫本が入っていました。

Aちゃんは、「この犬、オス? メス?」と聞きました。
おじさんは、「オスだ」と言いました。
Aちゃんは、「オスかあ」と言いました。
おじさんは、「しかし、この犬は、去勢しているからね、いわゆる、オスの能力はないんだ」と言いました。
Bちゃんは、「誰にされたの?」と聞きました。
おじさんは、「医者」と言いました。
Bちゃんは「医者かあ」と言いました。
その時、近所の獣医さんが、くしゃみをしました。

おじさんは、「じゃあ、そろそろ行くね」と言い、立ち上がりました。
Aちゃんは、「犬、バイバイ!」と、犬に言いました。
犬は、「ワン」と吠えました。

おじさんは、行きかけて、振り返り、「この犬の名前は、ジョンだ」と言いました。
Aちゃんは、「ジョン!」と言いました。
おじさんは、「しかし、うちの隣に住む女は、ポールって呼ぶんだ」と言いました。
Aちゃんは、「ポール!」と言いました。
犬は、「ワン」と吠えました。

Bちゃんは、「ジョンなの? ポールなの?」と、おじさんに聞きました。
おじさんは、「ジョンだ。私が名付けたんだからね。しかし、隣に住む女が、あまりにもポール、ポールと呼ぶものだから、ジョンも、自分のことを、ポールだと思い込んでしまっているんだよ。今では、ジョンと呼んでも、振り向きもしない。こまったものさ……」と、ぶつぶつ言いました。
Bちゃんは、おじさんの言ってることがよくわかりませんでした。
おじさんの家の隣に住む女は、ビートルズのファンでした。

日が暮れてきたので、Aちゃんも、Bちゃんも、おじさんも、ポールだと思い込んでいるジョンも、隣に住む女も、近所の獣医さんも、村上春樹も、家に帰りました。

おしまい

何が言いたいのかと言うと、「わたしの黒い電話」公式キャンペーンソング「水曜日の男」を公開しました。
歌の内容は、本編とは一切関係ありません。

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「クリスマス」11/30

もうすぐクリスマスですね。
うちの子どもは、サンタさんの存在を信じているので、プレゼントがもらえるよう、12月になると、いわゆる「いい子」を心がけ、なるべく怒られないよう、行動に気をつけます。

実在するかどうかは別として、サンタさんが我々の家にプレゼントを配達してくれることはまずないので、事前に子どもの要望を聞き出し、プレゼントを用意するのは、親の役目です。

我が家では、願いをサンタさんに聞いてもらうという体で、欲しいものを絵に描いて掲示します。
去年の絵がこれです。

ニンテンドーのテレビゲームです。
近所のGEOで調達し、子どもが寝てから枕元に置きました。

ちなみに、僕も描いています。
サンタさんが実在するかどうかは別として、サンタ的な存在は実在するからです。
去年の絵がこれです。

ソニーのアイボです。
日本円に換算すると、198,000円+税です。
サンタ的な存在はあわてんぼうなのか、僕の枕元に置かれていたのは、これでした。

タミヤのメカドッグです。
似て非なるものでした。
お正月に組み立てて遊びました。

そして肝心の今年ですが、子どもの描いた絵はこれです。

ニンテンドーのテレビゲームと、ドローンです。
欲張りかよ。

僕の描いた絵がこれです。

ヤマハの防音室です。
日本円に換算すると、1,320,000円~のご相談です。
声が大きいので、近所迷惑を懸念したのです。
どんな似て非なるものが用意されるか、楽しみです。

何が言いたいのかと言うと、「わたしの黒い電話」北九州公演のアフターイベントは、劇団員の用意するクリスマスプレゼント抽選会です。

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「劇団しようよ『パフ』」11/6

先日、枝光のアイアンシアターで、京都の劇団しようよの「パフ」という作品を見てきて、よかったので、感想を書きます。

そのうち沈んでしまう島の話で、島を出て行く人や、金銭面や家庭の事情で、出て行こうにも行けないジレンマを抱えた人々を描いた作品です。チラシにはもっとちゃんとしたあらすじが載っていたと思いますが、今、手元にチラシがないので、ざっくり書きました。
あと「パフ」というタイトルですが、洋楽で同じタイトルの曲があり、それが元になっているようです。劇中、それらしき曲が流れるのですが、僕は聞いたことがなかったし、歌詞の意味も知りません。

好きな点が二つありまして、一つ目が、俳優の抑制の効いた演技です。島を出られない女性二人の葛藤を軸に、お話は展開していくのですが、二人とも、感情を表に出すことが悪いことであるかのように、自分を押し殺して生きています。二人の演技が全体のトーンを作り、派手さはないけれど、緊張感のある空気を作っています。
もう一つが、端折ることなく丁寧に見せる演出です。序盤、舞台となる民芸館が浸水し、テーブルや椅子がひっくり返っているのですが、それを元通りに戻す様を、ほぼ無言のまま、けっこうな時間をかけて、見せます。演劇の観客は、薄暗い空間の中、同じ姿勢でじっとしていることを強いられるため、変化の少ないものをしばらく見ていると、体調にもよりますが、寝ます。そのリスクを犯してまで、この作業を見せる意図は何なのだろう、と僕は思って見ていました。随所で、そのような丁寧さが見られます。

中盤、本土から来た自意識の強い女子大生が、イヤリングをなくすのですが、そのイヤリングを、島民の女性、今日子が見つけます。自分以外誰もいない部屋の中、周囲を気にしながらも、彼女はそのイヤリングを身につけ、浸水した水面に姿を映し、見惚れます。押し殺していた感情の噴出する瞬間です。すぐに現実に引き戻された今日子は、罪悪感に苛まれ、イヤリングをはずし、水面に向かってイヤリングを振りかぶります。振りかぶったまま、躊躇します。
ここは、捨てるか、盗むかの二択です。返す、という選択肢はありません。どっちだ、と見守ります。そして、今日子はふるえながら、そっと、エプロンのポケットにイヤリングをしまいます。これまでの丁寧な演出と、抑制の効いた演技が、ここでぐっと活きてきます。今日子の、微細な心情の揺らぎのようなものが見て取れるのです。このシーンで、僕はがっつり持っていかれました。

その後、周りの者が着々と離島の準備を進める中、今日子は、祖父の介護と、金銭的余裕のなさで、どうにも身動きがとれません。似た境遇にいたものの、なんとかお金を工面した留実が、「もう少し、自分を大切にしてもいいんじゃないか」と今日子に問います。今日子は、欲と現状の間で不安定に揺れながら、「自分よりも、大切にしたいものだってある」というようなことを言い、海に落ちていきます。そして、島を出ず、祖父の介護をしながら、自分も大切にする、という道を探ります。今日子には、それしかできないからです。それは不可能なことのように思えます。しかし、もしかしたら……という可能性を探って、祖父らしきものを背負った今日子が、海の真ん中に立ち、前を見据え、幕は閉じます。

作者の大原さんは、僕より10歳くらい若そうなのですが、随分と重厚な作品を作るのだな、と思いました。
もちろん、気になった点もあります。後出しじゃんけんと同じで、受けた側は、提供した側になんとでも言えるのです。端折ることで駆使した作品に対しては描ききれていないと言えるし、しっかり描いたら描いたで尺が長いとかポイントをしぼったほうがいいと言えます。これは前田さんの受け売りですが、弱点のない作品などありません。要は、その作品の強みが、弱点を気にさせないくらいの魅力を持っていれば良いのです。
僕は正直、問題と葛藤は私生活でいっぱいいっぱいで、それこそ演劇くらいは……と、すっからかんの人、もしくはどうでもいい側面しか見えない状況を、好んで描いています。それはそれで、どういう状況に置くのかとか、どうやって1時間なりの作品にするのかで悩むのですが、それはまた別の話。
深刻な問題や葛藤を扱ったお芝居で、僕はおそらく、その問題や葛藤自体にはあまり興味を示していません。私生活でいっぱいいっぱいだからです。興味があるのは、その状況におかれた人自身です。他者を理解するという行為を、観劇を通じて行っているのだと思います。他人の考えていることなんてわかりゃしません。笑顔で接している人が本心で笑っていることなんかほとんどないからです。1時間なり2時間の観劇を通じて、人間の複雑な表面からその本心の一端を垣間見るのが、僕にとっての観劇体験です。今回の「パフ」で言うと、その対象は今日子さんというキャラクターだったのですが、軽くでも、今日子さんという人に触れられたような気になれた、貴重な体験でした。

丁寧なお芝居を久しぶりに見ました。良い観劇体験でした。

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「えんぴつ」10/4

稽古場に着くと、秋山と泊さんがいました。
秋山が、だいぶ短くなったえんぴつで、稽古場の申請書類を書いていました。

泊「……それ、秋山の?」
秋山「何がですか?」
泊「えんぴつ」
秋山「あ、はい」
泊「……短くない?」
秋山「まあ、はい」
泊「短いよ」
秋山「でも、使えるんで、はい」
藤原「えんぴつ、持ち歩いてんの?」
秋山「良くないですか?」
藤原「何が?」
秋山「書き心地」
藤原「いいよ」
秋山「ですよね」
泊「でも短いよ」
秋山「え、まだ使えるから……」
藤原「……めんどうじゃない?」
秋山「持ち歩くの?」
藤原「削るの」
秋山「でも、書き心地、いいですよ?」
藤原「それは知ってるよ」
泊「にしても短いよ」

秋山が筆箱からえんぴつのキャップを取り出し、短いえんぴつにかぶせ、またとりました。

藤原「……めんどうだろ?」
秋山「削るのですか?」
藤原「削るのだよ」
秋山「私、こう、レバーをぐるぐる回すタイプのえんぴつ削り、欲しいんですよ」
泊「今は?」
秋山「えんぴつ自体を回す、ちっちゃいやつ」
藤原「あぁ」
泊「小学生みたい」
秋山「でも、まあ、そういうものだから……」
藤原「えんぴつの書き心地がいいのは、知ってんだよ、みんな。でも、削るの、めんどうだろう? 書き心地と、めんどうを天秤にかけて、大半の人はめんどうをとるんだよ」
秋山「へえ」
泊「何にしろ短いよ」
藤原「シャーペン、持ってないの?」
秋山「持ってます」
泊「あ、持ってんだ」
秋山「持ってます」
泊「ボールペンは?」
秋山「持ってます」
泊「へえ……」
秋山「泊さん、持ってないんですか?」
泊「俺は、筆入れ自体持ち歩かないから……」
秋山「へえ……」
藤原「……結局、どうなんだよ」
秋山「何が?」
藤原「削るの、めんどうじゃないの?」
秋山「いや、めんどうですよ」
藤原「めんどうなんだろ?」
秋山「めんどうですよ」
藤原「ほら、な? めんどうなんだよ」
秋山「知ってますよそんなの。何です、今さら……」
藤原「……なんだよ」
泊「まあ、まあ。とにかく、俺が言いたいのは、そのえんぴつは短いってことだよ」
秋山「……そうですかねえ」

秋山はキャップをえんぴつのお尻の部分に付け、持つ部分を長くし、書類の続きを書きました。

何が言いたいのかというと、「わたしの黒い電話」は10月6日(土)からチケット発売開始です。

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「読書感想文」(8/20)

子どもが夏休みでして、宿題として読書感想文の提出を求められています。自分が子どもの頃から、この宿題だけは変わらないなと思いながら見ていました。

読む本は自由です。うちの子どもは「ハーメルンの笛吹き男」を選びました。ネズミの大量発生に悩むハーメルンの街に、笛吹きおじさんがやって来て、ネズミ退治を買って出てくれたにもかかわらず、市長が難癖をつけて報酬を払わず、怒ったおじさんが笛を吹き、子ども達がついて行って、行方不明になるあれです。最終的におじさんと市長が和解し、子ども達も帰ってくる、マイルドなラストのバージョンでした。

「読書感想文の書き方」というプリントが配布されており、構成のフォーマットが記載されていました。
①自分がその本を選んだ理由
②本のあらすじ
③読んで自分が思ったこと
④今後の自分にどう活かしていくか
ざっくりとしか見ていませんが、大体そのような構成で書くことを推奨されています。原稿用紙を3枚もらっているので、1000~1200字程度でまとめましょう、ということです。

大多数の子どもがそうだと思うのですが、うちの子どもも読書感想文が苦手です。自分の頭の中で考えたことを、書き言葉に変換するのが下手くそなのです。その証拠に、インタビュー形式で「なんでこの本にしたの?」とか「どういう話か教えて」と聞くと、べらべらしゃべって教えてくれます。「いましゃべったことを書けばいいんだよ」と言っても、なかなかえんぴつが動きません。「なので」や「しかし」といった、話し言葉ではあまり必要のない、論を展開するつなぎの言葉を選択するのが苦手というのも、筆が進まない理由なのではないかと思います。

もう一つの問題として、「大人にいい印象を与えるものを書かなければならない」という先入観が邪魔しています。小学4年生なのですが、かなり社会性を帯びてきて、大人の顔色をうかがうようになりました。①の「本を選んだ理由」なのですが、本当は「ざんねんな生き物」という別の本のことを書こうとしていたらしいのですが、実家のじいちゃんに「この本にしなさい」と言われて選んだ本なのです。厳しいじいちゃんなのです。まあ、じいちゃんの厳しさはとりあえず置いておくとして、このような動機で選んだ本なので、悪い印象を与えないように、どう書いたらいいのかという所でつまずくのです。「そのまま書け」と言いました。

インタビューを繰り返しながら構成のフォーマットに当てはめていき、1時間以上かけて、④の「今後の自分にどう活かしていくか」にたどりつきました。「ハーメルンの笛吹き男」から、うちの子どもは「友達と遊ぶ時は、自分がドッジボールをしたい時でも、友達がテレビゲームがしたいと言えば、テレビゲームとドッジボールの両方をする」という結論を導き出しました。学校の読書感想文的に、この結論がアリなのかナシなのかは、僕にはわかりません。「ハーメルンの笛吹き男」を読み解いた上で、どう人生に活かしていくのかだったら、たぶんナシでしょう。が、1時間以上机に向かって、集中力のなくなった子どもにそれを指摘しても無駄だし、書き上げたという達成感を味わわせることを優先して、良しとしました。そもそも、自分が今、上記のフォーマットにのっとって感想文を書けといわれても、うまく書ける自信はありません。

何が言いたいのかと言うと、僕が主催する大体2mmという団体の公演が9月上旬にありますので、みんな見に来てね!(こういう話の構成が、僕は大好きです)

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「秋山ちゃんとワークショップしようよ会」7/5

昨日、「秋山ちゃんとワークショップしようよ会」が行なわれました。

「秋山ちゃんとワークショップしようよ会」というのは、飛ぶ劇の新人、秋山の、俳優としてのスキルアップを目的とした稽古のことで、7月からそういう稽古をしようと、5月だか6月くらいに決めたのですが、名前は別に決まっておらず、「秋山の稽古」「新人稽古」「稽古」「なんか稽古」「秋山のあれ」「伝授」などと言いたいように言っていたのですが、コンちゃんから飛ぶ劇のグループラインに「『秋山ちゃんとワークショップしようよ会』の出欠をとります」という連絡が来て、以来なんとなく、「秋山ちゃんとワークショップしようよ会」になりました。

稽古場に着くと、長机とイスが大量に設置された会議室のような稽古場で、コンちゃんと、キムケンと、桑さんが、お互いにものすごく離れた位置に座り、無言でスマホをいじっていて、この人達、仲悪いのかなと思いました。「おつかれさまです」と僕が稽古場に入ると、三人とも「おつかれさまです」と一旦顔を上げ、再びスマホに目を落とし、無言になりました。僕は誰とでも等しく接したいと常日頃から思っていて、まあ思っているだけで実行はしていないのですが、思うだけは思っていて、みんなから等しく距離をとったような席に座り、スマホを見るのも芸がないと思い、カバンに入れっぱなしにしていた文庫本を読みました。文庫本に夢中になっていると秋山がやってきて、やはり全員無言だったので、「こいつら仲悪い」と思っただろうなと思いました。

それから泊さんが来たり、わっきーが来たり、泊さんがパンを食べたり、キムケンがお菓子を食べたり、泊さんとわっきーがハンソロの話をしたり、キムケンがビーフジャーキーを食べたり、キムケンが食べてるのはすべて桑さんのものだったり、僕がホッチキスを留めるのに苦戦したりしました。

「秋山ちゃんとワークショップしようよ会」というネーミングはどうなんだろう、と僕は前から思っていて、それは泊さんも同じだったようで、「『秋山ちゃんとワークショップしようよ会』っていうネーミングは、どうよ」というようなことをコンちゃんに言いました。
「あれ、ダメでしたかね?」とコンちゃんが言いました。
「ダメじゃないけど」と泊さんが言いました。
「でも、あれですよ?『秋山、ちゃんとワークショップしようよ会』じゃなくて、『秋山ちゃん、と、ワークショップしようよ会』ですよ?」とコンちゃんが言いました。
「ん……」と泊さんが言い、黙りました。みんなもその後、何も言いませんでした。

それから、キムケン指導のもと、腹式呼吸をしたり、発声練習をしたり、泊さん指導のもと、テキストを使ってセリフを言ったり動いたり、2時間くらいみっちり稽古をし、「じゃあ、また来週」とお開きになりました。
秋山も、稽古前と稽古後では芝居ののびのび具合が変わり、やってよかったな、と思いました。
思ったのですが、コンちゃんが、「『秋山、ちゃんとワークショップしようよ会』じゃなくて、『秋山ちゃん、と、ワークショップしようよ会』ですよ?」と言った後の沈黙で、あんなに仲の悪そうだった人達が、「そこじゃないんだよ」という想いを一つにし、それを秋山とも共有できたことが、この日の一番の収穫だったんじゃないかと、個人的には思っています。
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「鳥と猫」6/28

前回、家の中で鳥を飛ばせていることを書いたのですが、最近は蒸し暑くなってきたので、ガラス戸を開け、網戸を閉めた状態で過ごしており、鳥も飛んでいます。
すると、網戸の辺りでチリンと鈴の音がしたので、見ると、猫がいました。じっと室内の様子を見ています。シュッとした利口そうな猫で、首輪もしているので飼い猫です。だからなのか、人と目が合っても逃げません。「これは、あれだ、鳥を狙っている」と僕は思いました。なぜなら、鳥が飛ぶと、猫の目線も同じ方に移動するからです。こればっかりはどうしようもありません。僕はガラス戸を閉め、エアコンのスイッチを入れ、猫が去るのを待ちました。しばらく網戸に身体をこすりつけたり、ナアナアと鳴いたりしていましたが、反応がないので飽きたのか、そのうちどこかに行きました。
数日後、まだ日の落ちていない時間に帰宅でき、鳥を飛ばせていると、網戸の前に猫がやってきました。同じ猫です。室内をじっと見ています。これは、うちに鳥がいることを、完全に覚えられてしまったな、と思いました。追い払うべきか、鳥カゴの場所を変えるべきか、などと対策を考えていると、友達と遊び終えた子どもが帰ってきました。
「何やってんの?」と子どもが言いました。
「猫がいるんだよ」と僕は網戸を指さしました。
子どもは猫を見て、「猫だ」と言いました。
「追い払ってくれよ」と僕は言いました。
「なんで?」
「鳥が、あれだろう」
「あれって?」
「猫にやられちゃうだろう」
「そうか、わかった」
子どもは玄関で靴を履き、忍び足で庭に周り、「どたどたどたー」と足音を言葉で表現しながら猫に駆け寄りました。びっくりした猫は、塀を飛び越え、隣の家の中に飛び込んで行きました。お隣さんの猫でした。お隣さんが庭に出てきて、子どもとなにやら話をし、子どもがお隣さんに「すいませんでした」と謝っていました。

帰ってきた子どもに、僕は謝りました。
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「鳥とハムスター」6/12

少し前から鳥を飼っています。ハムスターも飼っているのですが、鳥も飼い始めたのです。黄色い赤目のインコで、ルチノーという種類です。ルチヲを名付けました。性別は不明です。
赤ちゃんの頃から飼い始めたので、手などに乗ってきます。手乗りインコです。成長してからだと警戒して乗ってこないそうです。1日に1回はカゴから出し、家の中を飛ばせたり、触れ合ったりします。手に乗るとクチバシで指を噛んだりします。調子に乗ると痛い噛み方をします。調子に乗ったら鳴き声が変わるので、「あ、こいつ、調子に乗ったな」とわかります。帰宅が遅い時はご飯を食べながら触れ合うので、カラアゲを食べながら触れ合ったりします。
鳥が調子に乗ったらカゴに戻し、今度はハムスターと触れ合います。うちのハムスターはウシみたいな模様で、なんとかという種類なのですが忘れました。ハムスターは夜行性で、21時過ぎくらいに起きます。やはり1日に1回はケージから出して散歩させます。ハムスターは自ら人間に寄っては来ません。ひたすら家の中を歩き回ります。エサを差し出すと寄ってきます。エサをくれる人という認識はあるようで、指を噛まなくなりました。エサでおびき寄せ、手の上で転がしたりして触れ合います。帰宅が遅い時は鳥と同時にケージから出すので、ハムスターはただただ家の中を歩き回っている場合もあります。
鳥とハムスターが仲良くならないかなと、二匹を近づけてみたことがあるのですが、鳥が一方的にハムスターをつつき、ハムスターが逃げ、仲良くなりそうな雰囲気が微塵も感じられなかったので、あきらめました。

鳥とハムスターと触れ合うと、大体1時間くらいが経過します。
何が言いたいのかというと、毎日1時間も俺の相手をしてくれるのは、今や鳥とハムスターだけだということです。

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「オーディション」4/20

先日、飛ぶ劇場の劇団員オーディションを開催しました。飛ぶ劇のオーディションは、参加者だけでなく、既存の団員もまざって運動をしたり演技をしたりするので、ほとんどの団員が集います。

会場に着くと、太田カツキがいました。2018年になって初めて太田カツキに会いました。太田カツキは太っていました。
「髪、黒くしたんだね」
「いや、前から黒かったです」
「そうだっけ?」
「黒かったです」
「前って、どれくらい前?」
「だいぶ前ですけど、前、藤原さんに会った時には、もう黒かったです」
「そうだっけ?」
「黒かったです」
髪は前から黒かったそうです。今日の太田カツキは、目がチカチカする柄のシャツに、だぼだぼのズボンという出で立ちでした。写真を撮り忘れました。

「太田カツキ、太った?」
「太りました」
「どれくらい太った?」
「5キロ太りました」
「そんなに太った?」
「太りました」
「でも、前から太ってたよね?」
「そうですか?」
「太ってたよ」
「前っていつですか?」
「前、俺と会った時」
「その時は、そんなに太ってなかったです」
「そうだっけ?」
「太ってなかったです」
「太ってたと思うんだけど」
「そうですか?」
「太ってたような気がする」
「太ってなかったと思います」
「太り始めてたんじゃない?」
「太り始めてたかもしれませんが、そんなに太ってなかったです」
「太ってたような気がするんだよ」
「そうですか?」
「気がするだけかもしれないけどね」
「そんなに太ってなかったです」
「そうかなあ……」
前はそんなに太ってなかったそうです。昨年末に会った時には、太田カツキは奇抜な帽子をかぶっていたので、髪の色だとか、体型だとかには、全然目が行きませんでした。

中川ゆかりが「太田カツキのダイエット企画を考えているんです」と言いました。
「やせるの?」僕が聞きました。
「やせたいですねえ」太田カツキが言いました。
「でも、酒太りだろう?」
「そうですねえ」
「じゃあ、無理だよ」
「そうですかねえ」
「無理だよ」
「ですかねえ」
「酒、飲むだろう?」
「飲みますねえ」
「職場でも飲むだろう?」
「飲みますねえ」
「じゃあ、無理だよ」
「ですかねえ」
「やせたいの?」
「やせたいですねえ」
「酒は?」
「飲みますねえ」
「じゃあ無理だよ」
「ですかねえ」
「え、やめるの?」
「劇団ですか?」
「酒だよ」
「やめれないですねえ」
「じゃあ無理だよ」
「ですかねえ」
「まあ、思うのは自由だから」
「ですよねえ」
わっきーと泊さんが新しいパシフィックリムの話を始めたので、太田カツキの興味も、5キロ太った体も、黒くした髪も、そっちに移動しました。

何が言いたいのかというと、オーディションの結果、秋山実里が入団しました。

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「必要ありません」3/30

仕事柄、コンピュータを使って毎日作業をしているのですが、基本的に僕はあまりコンピュータに詳しくありません。普段使用しているソフト以外はほとんど扱えません。システムに関することとなるとお手上げです。

コンピュータにはウイルス対策ソフトが入っているのですが、先日、その更新を行いました。
詳しくない方のために説明しますと、ウイルス対策ソフトというのは常に新しいウイルスに対応する必要があるため、インターネットを通じて、日々バージョンアップを行います。なので一度買ったら終わりではなく、1年や3年ごとに契約の更新を行うのです。

契約更新の手続きを終えると、ソフトの販売会社からメールが届きました。が、メールの文面を見た限りでは、そのまま自動的に次年度以降もソフトが使用できるのか、こちらで何か、更新操作を行わなければならないのか、判断ができませんでした。

なので、僕はメールに記載のあった、販売会社のサポート窓口に電話をしました。

まずガイダンスが流れ、「現在、この番号は使用されておりません。今から言う番号にお掛け直しください。0**~」と新たな電話番号を伝えられました。僕は新たな番号をメモし、電話を切ました。

新たな番号に電話をかけ直しました。するとガイダンスが流れ、「お問い合わせの商品の番号をプッシュしてください。1番、◯◯~、△△~。2番、□□~」と商品名が次々と読み上げられました。使用しているウイルス対策ソフトは海外の商品なので、商品名はすべて英語です。僕は英語にもあまり詳しくないので、流暢に読み上げられると、どれが自分の使っている商品なのかわかりません。「もう一度お聞きになりたい場合は0番を~」と言われた時点で食い気味に0番を押し、もう一度ガイダンスを聞きました。やはりわかりません。「その他の場合は3番を押してください」と言っていたので、とりあえず3番を押しました。

ようやく人間につながりました。サポート窓口の担当者です。「更新の方法がわからなくてお電話したのですが……」と伝えると、「それでは、承認番号を教えてください」と言われました。メールの文面に、購入した商品に割り振られた8ケタの番号が記載されていたのです。番号を伝えると、「少々お待ちください」と言われ、保留音が流れました。米米クラブの「浪漫飛行」っぽい、浪漫飛行ではないメロディが流れました。

保留音を数十秒聞いていると、「お待たせしました」とサポートの担当者が帰ってきました。「申し訳ありません。こちらは次年度以降の承認番号となりますので、現在ご使用中の承認番号を教えてください」と言われました。伝えた番号が違いました。僕は現在使用中の8ケタの番号を調べ、再度担当者に伝えました。「少々お待ちください」と言われ、再び浪漫飛行っぽい浪漫飛行ではないメロディが流れました。さらに数十秒後、「お待たせしました。藤原さまですね」とサポート担当者が帰ってきました。ここで初めて、商品と僕が一致しました。

「それでは、技術の担当者におつなぎしますので、このまましばらくお待ちください」と言われ、3度目の浪漫飛行っぽいメロディを聞きました。いいかげん、覚えました。

保留音を数十秒聞き、技術の担当者につながりました。「お待たせしました。担当の◯◯です。藤原さまのお客様情報を確認させていただきます。藤原達郎さま、ご住所が、福岡県北九州市……、お電話番号が……」と、以前登録した個人情報の確認が行われました。「以上で、お間違えないでしょうか」
「はい」と僕は答えました。
「続きまして、今回のお問い合わせ番号を発行いたします」と言われました。お問い合わせ番号とは、再度この件でサポート窓口に電話したい時、冒頭でお問い合わせ番号を伝えると、上記の手間が省けるという、すぐれた番号です。「メモの準備はよろしいでしょうか」と言われ、12ケタのお問い合わせ番号を伝えられました。一応、メモしました。

「それでは、更新の手続きで、どのようなご質問でしょうか」と聞かれました。ここからが本題です。
「更新にあたって、何かこちらで操作が必要なのでしょうか」と僕は聞きました。
「必要ありません」と担当者は答えました。
「あ、そうなんですね」と僕は言いました。
「えぇ、必要ありません」と担当者は答えました。「以上で今回のご説明は終了となりますが、よろしかったでしょうか」
「えっと、そうですね、はい」僕は答えました。
「わからない点がありましたら、再度お電話ください。お問い合わせ番号は……」と12ケタの番号を復唱されました。「では、失礼いたします」と、丁寧に電話が切られました。

「必要ありません」の一言を聞くのに、15分かかりました。

飛ぶ劇場はオーディションをします。

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「間をとる」2/2

うちの子どもは漢字が苦手です。読むのも書くのも苦手です。漢字の読みを答える宿題の中に、「間をとる」という問題がありました。「アイダをとる」と「マをとる」、どっちだろうか、と一瞬迷いましたが、「マをとる」はあまり一般的じゃないんじゃないかと考え、「アイダをとる」だろうと思いました。演劇をやっている人は、「さっきのセリフ、もうちょっとマをとって」などと、比較的マをとらされることに慣れていますが、演劇をやっている人とやってない人だと、やっていない人の方が多いし、なおかつこれは小学3年生向けの宿題で、マをとらされたことのある小学3年生はさらに少ないのではないでしょうか。「アイダをとる」で間違いないだろうと僕は結論を出しました。

子どもは「間をとる」が読めませんでした。藤原家では、読めない漢字は辞書を引いて調べることになっています。漢字の宿題をする時、机の上には国語辞典と漢和辞典を用意してあるので、「辞書、引きな」と僕は言いました。子どもは漢和辞典を開き、画数から「間」を検索し、該当ページを開きました。読み方が載っています。子どもは「アイダをとる?」と、疑問符付きで答えを出しました。
「自信がないの?」と僕は聞きました。「アイダをとるってどういう意味?」と子どもは聞きました。言葉の意味がわからない場合、藤原家では辞書を引くことになっています。「辞書、引きな」と僕は言いました。子どもは国語辞典を開き、「間(アイダ)」のページを開きました。当然、アイダは載っていましたが、「アイダをとる」は載っていませんでした。
「載ってないよ」と子どもは言いました。「載ってないね」と僕は同意しました。藤原家では、辞書を引いても意味が載っていない場合、親が使用例を提示して、その言葉のニュアンスを伝えることにしています。腕の見せ所です。
「A君はカレーを食べたくて、B君はうどんを食べたい。カレー屋さんに行ったらB君が怒るし、うどん屋さんに行ったらA君が怒る。だから二人は、『間をとって』、カレーうどんのお店に行ったんだよ」と僕は言いました。けっこう良い例文が提示できたぞ、と満足しました。
そうしたら子どもが「資さんに行ったらいいんじゃない?」と言いました。「資さんに行ったら、カレーもうどんもあるから、A君もB君も満足じゃない?」
「……そうだね。資さんに、行けばいいね」と僕は言いました。「でも、まあ、『間をとる』ってことは、近くに資さんがない時に、カレーを食べたいA君と、うどんを食べたいB君が、カレーうどんを食べに行くってことなんだよ」と言いました。
「どこ?」と子どもが言いました。「資さん、けっこうどこにでもあるけど、それ、どこ?」と言いました。僕は「……岡山県。」と答えました。岡山県は僕の地元でして、資さんは一軒も見たことがないので、勢力は岡山県まで伸びていないはずです。「A君とB君は岡山県に住んでて、A君はカレー、B君はうどんを食べたくて、間をとって、カレーうどんを食べに行ったんだよ」
「はなまるうどんに行けば?」と子どもが言いました。「はなまるうどんにも、カレーとうどん、両方あるけど」
「……そうだね、はなまるうどんに、行けばいいね」と僕は言いました。はなまるうどんは、岡山県にあるうどんのチェーン店で、うちの子どもは実家に帰省した際、はなまるうどんでカレーを食べたことがあるのです。
「しかし、その、『間をとる』っていうのは、岡山在住のA君とB君が、アメリカに旅行に行った時、カレーを食べたいA君と、うどんを食べたいB君が、カレーうどんを食べに行くってことなんだよ」と僕は言いました。
「アメリカにカレーうどんのお店はあるの?」と子どもが言いました。
「探せばあるよ」と僕は答えました。
「探すの、大変じゃない?」と子どもが言いました。
「大変だけど、間をとったから、がんばって探すんだよ」と僕は答えました。
「ハンバーガーじゃダメなの?」と子どもが言いました。
「カレーとうどんの間に、ハンバーガーはないだろう?」と僕は答えました。
「アメリカに行ったんだから、アメリカのものを食べればいいのにね」と子どもは言い、次の問題にとりかかりました。
「……そうだね」と僕は答え、スマホで「間をとる」をインターネット検索しました。

【間をとる】
対象との距離を適切に保つこと。また複数のものから一つを選ばなければならない時に、それらの中間にあたるものを選ぶこと。例えば黒と白と灰色の選択肢があるとして、黒と白の中間にあたる灰色を選ぶといったようなことを指す。(日本語表現辞典 Weblio辞書 参照)

「色か……」と僕はつぶやきました。
数日後、先生に採点された宿題が返ってきました。「マをとる」が正解でした。
腑に落ちませんでした。

何が言いたいのかというと、飛ぶ劇場はオーディションをします。

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「do-tan-ga-tang-sun」12/5

いよいよ今週末、飛ぶ劇場の公演「do-tan-ga-tang-sun」が上演されます。「do-tan-ga-tang-sun」は、「どたんがたんぐすん」と読みます。

先日、稽古終わりに、わっきーの車で家の近くまで送ってもらいました。わっきーは最近、農家に就職しました。

「演劇は続けられそうなの?」
「そうですね。大体夕方には仕事終わるし、休みの融通もそれなりに利くんで、はい」
「よかったね」
「けど、夏がちょっと心配なんです」
「なんで?」
「トマトって、朝早いんですよ」
「トマト?」
「朝5時から収穫するんです」
「早いね」
「早いんです」
「じゃあ、4時起きとか?」
「そうですね」
「早いね」
「早いんです」
「稽古終わるのが、22時くらいだろ?」
「そうですね」
「で、家帰ったら23時」
「はい」
「ご飯食べたり、風呂入ったり」
「しますね」
「ちょっとくつろいだら、もう1時だろ?」
「はい」
「トマトの収穫は?」
「5時です」
「早いね」
「早いんです」
「じゃあ、4時起きとか?」
「そうですね」
「え、寝るのは?」
「1時ですかね」
「睡眠時間は?」
「3時間です」
「……キツくない?」
「キツイですね」
「え、トマトって何時から収穫するの?」
「5時です」
「6時で手を打てない?」
「打てませんね」
「トマトだもんね」
「そうですね」
「じゃあ、ねばって4時半起き?」
「ねばって4時半起きですね」
「寝るのは?」
「1時です」
「睡眠時間は?」
「ねばって3時間半ですね」
「キツくない?」
「キツイですね」
「何時間寝たい?」
「まあ、6時間くらい」
「寝たいよね」
「寝たいですね」
「欲を言えばもっと寝たいよね」
「そうですね」
「そこはまあ、我慢だよね」
「そうですね」
「じゃあまあ、1時に寝たとして、7時起き?」
「そうですね」
「え、トマ……」
「5時です」

何が言いたいのかというと、トマトの収穫は5時からです(わっきーがんばれ!)。

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「do-tan-ga-tang-sun」11/30

飛ぶ劇場の12月の公演「do-tan-ga-tang-sun」の稽古をしています。「do-tan-ga-tang-sun」は、「どたんがたんぐすん」と読みます。

スマホをいじりながら、「『エモい』って、どういうこと?」と寺田さんが言いました。寺田さんがSNSに書いたことに対して、「それ、エモいですね!」という内容の返信が来たそうです。「do-tan-ga-tang-sun」に参加しているメンバーはほぼ40代で、一番若い文目くんはまだ稽古場に着いていなかったため、「エモい」の意味を把握できている者がいません。
「キモいの仲間じゃないですか?」と僕が言いました。語感が似てるし、まあそんなもんだろうと思ったのです。「あぁ」と桑さんが同意しました。「あぁ?」と寺田さんが反発しました。これじゃあ寺田さんがキモいことになってしまいます。「え、俺、キモい?」と寺田さんが言いました。
「それは、まあ、人それぞれじゃないですか?」と僕が言いました。空気が凍りました。こういう時、僕は空気を読めません。
「そんなキモいこと書いたの?」とはやまんが寺田さんに言いました。こういう時、はやまんは気が利きます。寺田さんがスマホの画面をみんなに見せました。これと言ってキモい内容ではありませんでした。「キモいじゃないんじゃない?」と内山さんが言いました。「そうだね」とキムケンが同意しました。ただただ、僕が場を荒らしただけになりました。
「『エモいってよくわからないので、エロいでいいです』って返信しちゃったよ」と寺田さんが言いました。場がなごみました。たしかに、エモいとエロいも、語感が似ています。
「エモいって『エモーショナルな』とか、そういうことだろう?」と泊さんが言いました。みんな、「あぁ」と納得しました。「前から音楽を言葉で表現する時に使われてたよ」
「じゃあ、『情熱的』って意味が転じて、『アツい』みたいなことじゃない?」とはやまんが言いました。
「『それ、アツいですね!』って言われたってことか」と寺田さんが納得しました。
「だから、ほら、『エモ』の上位互換が、『エロ』だよ」とキムケンが言いました。
「『エモ』の上に、『エロ』があるの?」はやまんが言いました。
「『エモ』がほとばしって、『エロ』に達するだろ、なあ?」とキムケンが言いました。男性陣だけ、ニヤニヤしました。
「じゃあ、下は?」と桑さんが言いました。「エモの、下」
キムケンが「エコです、エコ」と言いました。適当。
「じゃあ、まあ、『エコ→エモ→エロ』ってことで」と寺田さんがまとめ、みんな、稽古の準備を始めました。男性陣だけ、妙にニヤニヤしていました。

小声でコンちゃんが「キモっ……」と言ったのを、僕は聞き逃しませんでした。

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「do-tan-ga-tang-sun」11/25

飛ぶ劇場の12月の公演「do-tan-ga-tang-sun」の稽古をしています。「do-tan-ga-tang-sun」は、「どたんがたんぐすん」と読みます。

僕が稽古場に着くと、寺田さんのお金が飛んで行った話をしていました。

コン「けっこうかかるんでしょ?」
寺田「打ったことないの?」
泊「数千円でしょ、大体」
内山「あれでしょ、1回じゃだめなんでしょ?」
寺田「そうなんですよ」
葉山「じゃ数千円数千円で一万円じゃん」
寺田「飛ぶよぉ、お金」
葉山「え~」
泊「まあ、打たないとわかんないけどね、実際」
コン「けど打ってたら、かかる確率下がるんですよ」
内山「どれくらい下がるの?」
コン「わかんないけど、50%が30%くらいにはなるんじゃない?」
内山「え、ベース50%?」
葉山「そんなにかかんないだろ」
コン「だから例えよ、例え」
木村「まあ、かかる時はかかるから」
藤原「パチンコの話ですか?」
全員「ちがう」

ちがいました。

泊「前聞いた話だと、神社でお参りするレベルらしいよ」
内山「え、そんなに低いの?」
コン「5%とか?」
寺田「神社のお参り、5%も叶わんだろ」
葉山「2%だよ、2%」
寺田「1%もねえよ」
コン「え~」
泊「まあ、まちまちだよね」
コン「けど、かかったとしても軽いでしょ?」
内山「どれくらい軽いの?」
コン「わかんないけど、普通が50として、45くらい?」
内山「だからなんでベース50なのよ」
コン「例えだって、例え」
葉山「5軽くするために、みんなやってんの?」
寺田「それくらいみんな、気ぃ使ってんだよ」
葉山「へえ~」
木村「実際わかんないよ。軽い時は軽いし、重い時は重いし」
藤原「FXの話ですか?」
全員「ちがう」

インフルの予防接種の話です。

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「do-tan-ga-tang-sun」11/21

飛ぶ劇場の12月の公演「do-tan-ga-tang-sun」の稽古をしています。「do-tan-ga-tang-sun」は、「どたんがたんぐすん」と読みます。

稽古の休憩中、泊さんが先日見に行った高木さんの一人芝居の話をキムケンにしていました。高木さんは飛ぶ劇の前の代表で、現在は紫川天国一座や個人で企画を立ち上げ、精力的に演劇活動を行っています。
そんな高木さんの一人芝居は、高木さんの娘が婚約者として火星人を連れてくる話だったそうです。残念ながら僕は見に行けていないのですが、泊さんとキムケンの話を横で楽しく聞いていました。
そしたら「あぁ、その話なら達郎が詳しいですよ」とキムケンが言いました。「僕、見に行けなかったんですよ」と僕は言いました。「いや、達郎なら詳しいはずだよ、なあ?」とキムケンが言いました。「あぁ、これは、あれだ、キムケンの後輩いびりだ」と僕は思いました。泊さんも聞く体勢に入ってしまいました。

以下、僕が考えた高木さんと火星人の話です。
ーーー父親である高木さんのもとへ、5年前にケンカしたまま家を出て行った娘が、「結婚したい人がいる」と言って連れてきたのが火星人だった。奥さんは全てを知っており、この場をセッティングしたのだ。高木さんは戸惑いながらも火星人の話を聞く。火星人は日本語が話せないのだが、自分の思っていることを直接相手の脳内にテレパシーで伝えることができる。逆もまた同じで、高木さんの思ってることを火星人は敏感に察知し、自分が歓迎されていないことを知って落ち込む。高木さんは「そんなことはない」と否定するのだが、脳内を察知されてはどうしようもない。流れで会社で不倫していることを奥さんにばらされ、怒った奥さんは出て行ってしまう。
奥さんのことはさておき、娘の説得もあり、覚悟を決めた高木さんは、腹を割って話し合おうと火星人と酒を酌み交わす。しかし火星人の体内にはアルコールを分解する酵素がなく、倒れてしまう。火星人とともに救急車に乗って病院に行くが、地球の病院では手の施しようがなく、火星の病院に行く必要があると医者に言われる。「この医者、何言ってんだ」と高木さんは怪しむのだが、その医者も実は地球の生活に溶け込んだ火星人だったのだ! 医者がデスクから取り出したリモコンのボタンを押すと、救急車がUFOに変形し、医者と、婚約者の火星人と、娘と、高木さんは火星に行く。UFOは高性能なので秒で火星に到着し、火星の病院の謎の治療方法(これがまた面白い!)によって婚約者の命は助かる。その場に居合わせた火星人の父親と高木さんは挨拶を交わす。そして火星人(父)はテレパシー能力で、高木さんの不倫が原因で奥さんが出て行ってしまったことを察知する。火星人(父)のもう一つの能力に、タイムスリップがある。火星人(父)の粋な計らいで、高木さんは会社の女性と不倫する前までタイムスリップし、女性との関係を終わらせ、現在に戻ってきた時には奥さんとの仲も元通りになっている。大団円。そして高木さんは娘の結婚に賛成するのだった。ーーー

高木さん、合ってますでしょうか。
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「do-tan-ga-tang-sun」11/7

飛ぶ劇場の12月の公演「do-tan-ga-tang-sun」の稽古をしています。「do-tan-ga-tang-sun」は、「どたんがたんぐすん」と読みます。

僕が稽古場に着くと、泊さんとキムケンが何か作品の感想を話していました。はやまんはスマホをいじり、桑さんは何かを食べていました。「◯◯高校がね、」と泊さんが言いました。「アンドロイドお母さんのやつですね」とキムケンが言いました。「そうそう、アンドロイドお母さん」
「コンピューターおばあちゃんみたいなことですか?」僕が聞きました。
「え?」泊さんが話の腰を折られてムッとしました。
「コンピューターおばあちゃん」僕はもう一度聞きました。
「コンピューターおばあちゃんではない」キムケンが言いました。
「アンドロイドお母さんは、コンピューターおばあちゃんに進化しないんですか?」
「しない」
コンピューターおばあちゃんは、NHK「みんなのうた」で流れていた人気曲で、ポップな曲調と、コンピューターと合体したおばあちゃんのことが僕は大好きだよと歌い上げる深い歌詞が特徴です。桑さんがコストコで買ったパンをくれました。僕はありがたくいただきました。桑さんはよく、何かくれます。
泊さんとキムケンはちょっと前にあった高校演劇の地区大会の話をしていて、その中に、アンドロイドお母さんの出て来る話があったのです。
「親子関係を、アンドロイドに置き換えて描いた作品でね」泊さんが言いました。
「県大会にも行くし、さらに磨きをかけてほしいですね」キムケンが言いました。
「ロボとーちゃんは出ないんですか?」僕が聞きました。
「は?」泊さんが話の腰を折られてムッとしました。
「ロボとーちゃん」
「ロボとーちゃんは出ない」
「アンドロイドお母さんは、ロボとーちゃんの妻じゃないんですか?」
「ちがう」
ロボとーちゃんは、劇場版クレヨンしんちゃんに出て来るロボの野原ひろしで、脚本は新感線の中島かずきさんです。はやまんは日本シリーズが面白すぎて、スマホに野球ゲームのアプリをダウンロードして夢中でした。
以下、僕が考えた、アンドロイドお母さんと、ロボとーちゃんと、コンピューターおばあちゃんによる会話です。

母「ガガ、ガーガガ、ガガガガーガガ、ガーーーーーー」
父「ギューギュギュ、ギョロロロ、ギュエエエエーーー」
祖母「ザーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」

そのあと文目くんが、病気の時にいつもべちょべちょのイカを全力でぶん投げる夢を見るっていう気持ち悪い話をしました。

何が言いたいのかというと、今週末は文学サロンで銀河鉄道のリーディングをします。

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「do-tan-ga-tang-sun」10/30

飛ぶ劇場の12月の公演「do-tan-ga-tang-sun」の稽古が始まりました。「do-tan-ga-tang-sun」は、「どたんがたんぐすん」と読みます。
現時点で2回稽古したのですが、2回ともほぼ雑談していました。

僕が稽古場に着くと、キムケンが泊さんに何か作品の感想を話していました。はやまんはスマホをいじり、桑さんは何かを食べていました。「後半からね、ぐっと面白くなるんです」とキムケンが言いました。泊さんが「へえ」と言いました。「生きてたと思ってた人物が、実は死んでたんです」
「『関数ドミノ』ですか?」僕が聞きました。
「え?」キムケンが話の腰を折られてムッとしました。
「関数ドミノ」僕はもう一度聞きました。
「関数ドミノではない」泊さんが言いました。
「ちがうんですか?」
「ちがう」
関数ドミノは、ちょっと前に北九州芸術劇場で公演されたお芝居で、僕は見たいと思っていたけれど見られなかったのです。キムケンが話していたのは、関数ドミノではありませんでした。桑さんがチョコパイをくれました。僕はありがたくいただきました。桑さんはよく、何かくれます。
「仕掛けがね、うまいんです」キムケンが言いました。
「どううまいの?」泊さんが聞きました。
「過去と現在を行ったり来たりするんですが、」キムケンが立って、黒板で図説を始めました。「AとBとCがDがいて、過去と現在で、AとDが入れ替わるんです」
「へえ」
「途中まで入れ替わってることに気付かないんですが、わかってから、ぐっと面白くなるんです」
「『君の名は。』ですか?」僕が聞きました。
「は?」キムケンが話の腰を折られてムッとしました。
「君の名は。」
「君の名は。ではない」泊さんが言いました。
「ちがうんですか?」
「ちがう」
君の名は。は昨年大ヒットしたアニメ映画で、興行収入が「千と千尋の神隠し」を抜いたそうです。僕はまだ見ていないのですが、にわか知識で入れ替わるという設定だけ把握していました。はやまんはスマホをいじっていました。
「入れ替わりの仕掛けがうまいんですが、ん、ちょっと説明しづらいな」キムケンが、Aの上に山本、Dの上に中川と書きました。「仮に、山本と中川として、」
「それは、俳優の名前?」泊さんが聞きました。
「俳優の名前です。過去ではAを山本が演じるんですが、実は山本はDなんです」
「現在では、山本がDを演じるの?」
「でも、Aのようなポジションでしゃべるから、Aだと錯覚するんです」
「へえ」泊さんが言いました。
「Aは、実は死んでたんです」
「『シックス・センス』ですか?」僕です。
「ちがう」キムケンが食い気味に否定しました。
シックス・センスはM・ナイト・シャマランが監督した20年くらい前の映画で、和訳すると第六感です。
「『シックス・センス』に、山本なんて出てこないだろう?」泊さんが僕を諭すように言いました。
「はい」僕は反省しました。
「そういうことではない」キムケンが言いました。
「わかってます、ブルース・ウィルスが、山本(仮)ってことでしょう?」僕が言いました。
「いや、山本(仮)は生きてんだから、シックス・センスで言うと中川(仮)がブルース・ウィルスだよ」泊さんが言いました。
「シックス・センスで言わないでください」キムケンが言いました。
「え、中川(仮)が死んでたんですか?」僕。
「中川(仮)演じる、Dが死んでたんだよ」泊さん。
「死んでたのはA!」キムケンのツッコミにはキレがあります。
そのあと、遅れてきたコンちゃんが中二までサンタを信じてたことを暴露しました。

何が言いたいのかというと、キムケンが見たのは劇団言魂です。

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「稽古」8/28

またカズクンの稽古を見に行きました。
稽古場に着き、隅っこの椅子に座って稽古を見ていると、桑さんがクーラーボックスから紙コップとポカリスエットを出し、僕についでくれました。僕は会釈をして、ポカリスエットを飲みました。
それから桑さんがクーラーボックスからこんにゃくゼリーを出してくれました。こんにゃくゼリーはブドウ、桃、ナシと3種類の味が用意されていて、彩りも豊かでした。僕は会釈してこんにゃくゼリーを食べました。客演のはまもとさんが袖に来て、こんにゃくゼリーを食べ、舞台に戻って行きました。
しばらくすると桑さんの出番になって、桑さんが舞台に出て、一瞬で爆笑をかっさらい、また袖に戻ってきました。桑さんは僕の前に箱を出しました。箱の中を見ると、ビスコとか、おかきとか、豆とか、お菓子がたくさん入っていました。僕は会釈して、お菓子を食べました。オクラを乾燥させたお菓子がおいしくて、3つくらい食べてしまいました。はまもとさんがお菓子を2、3個見繕い、舞台に戻って行きました。
今日の稽古は、気になった箇所を泊さんが止めながら指示を出して修正するスタイルの稽古だったので、しばしば中断しました。中断したタイミングを見計らって、指示を受けている人以外が、お菓子を取りに来ました。青木くんがこんにゃくゼリーを食べに来ました。こんにゃくゼリーを食べながら、僕におじぎをしました。礼儀正しいのかなんなのかよくわかりませんでした。「この緑色のビスコがうまいんだよ」と言いながら、キムケンが舞台にビスコを持って行きました。稽古中のしゃべらないタイミングで、キムケンがビスコを食べました。それを見たはまもとさんが緑色のビスコを取りに来ました。わっきーも文目くんも緑色のビスコを取りました。僕も取りました。緑色のビスコがなくなりました。
お菓子をたくさん食べたので、僕は紙コップのポカリスエットを飲み干してしまいました。飲み干したタイミングを見計らって、桑さんがクーラーボックスから何やら缶ジュースを出してくれました。アルコール飲料のようにも見えました。僕はアルコールが苦手だし、稽古中なので、ジェスチャーで「それは結構です」と桑さんに伝えました。桑さんは缶の成分表示の部分を指差しました。「プリン体ゼロ」と書かれていました。僕はうなずいて「大事ですよね」と小声で言いました。桑さんは「大事」と言い、プリン体ゼロの何かを飲みました。

何が言いたいのかというと、カズクンの稽古は桑さんのおかげでケータリングが充実しています。
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「稽古」8/8

「生態系カズクン」は絶賛稽古中なので、先日、稽古場に遊びに行きました。
まず、家からJRの最寄り駅まで自転車で向かったのですが、家を出て2分でゲリラ豪雨に会い、びしょ濡れになりました。家に引き返しました。
びしょ濡れで玄関に入ると、子どもに「なんで?」と笑われ、「雨だよ」と答えたら、「なんで?」と笑われました。玄関で服を全部脱ぎ、シャワーを浴びました。金魚の柄のお気に入りの服で行こうと思っていたのに、びしょ濡れになったので、どうでもいい服に着替えました(何に着替えたのか全然覚えてない)。
なんだかテンションが下がり、うだうだしました。アイパッドを立ち上げて、ヤフーとか見ました。子どもがニンテンドー3DSでゲームしていたので、「それ、こっちにルイージかくれてるよ」とアドバイスしました。ゲームがスムーズに進みました。妻から「稽古、行くんやないん?」と言われ、「行くよ。行くけど、今ちょっと、ヤフー見てるから」とうだうだしました。そんな僕に愛想を尽かして妻と子どもはハウステンボスに行きました。
それからパソコンのメールをチェックし、ハムスターの水とエサを換え、一週間分のテレビの予約録画をして、「じゃあ、まあ、行くか」と独り言を言って家を出ました。雨はやんでいました。
また降るといけないから、自転車はやめました。傘を持ってバスで行くことにしました。この時点でもう稽古は始まっています。
バスに乗ると、中学生くらいの男子が3人、楽しそうに話していました。坊主頭の男子がハンドスピナーを取り出しました。指先でくるくる回す、あれです。坊主頭の男子がハンドスピナーを回しました。ハンドスピナーはよく回りました。隣に座ってた男子が「貸して」と言い、ハンドスピナーを回しました。隣の男子はハンドスピナーを持っていないのか、回すのが下手で、ハンドスピナーを落としました。ハンドスピナーは座席の下のどっかに入りました。男子三人はしゃがみこんでハンドスピナーを探しました。運転手が「危ないので、席に座ってください」とアナウンスしました。男子三人は座りました。僕はバスを降りました。
昼飯を食っていなかったので、稽古場の近くのイオンに行きました。そば屋が空いていたのでそば屋に入りました。牛丼を食べました。
イオンを出てすぐに、歯の間にご飯だか肉だかが詰まっていることに気づきました。爪楊枝をもらいに戻るのがめんどうで、舌でどうにかしようと顔面をぐねぐねしながら歩いたので戸畑区民に変に思われたかもしれません。稽古開始から2時間近く経った頃に稽古場に着きました。僕のさらに30分後、太田カツキが稽古場に着きました。

何が言いたいのかと言うと、バスでハンドスピナーを回すとなくします。
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「あるあるシティ」8/1

先週の日曜日、あるあるシティにマンガを買いに行きました。近所の本屋に欲しい本がなかったからです。近所に欲しい本がなかったら、大体アマゾンで買うのですが、500円分の図書カードを持っていたので、それを使おうと思ったのです。
日曜日ということもあり、あるあるシティは大繁盛で、メガネの男性、長髪を後ろで束ねた男性、アニメのキャラクターのTシャツを着た男性、アニメのキャラクターのTシャツを着た長髪でメガネの男性など、たくさんの人であふれ返っていました。かく言う僕もメガネでした。
すれ違うことすら困難で、小倉祇園の時の、クエストの前の人混みを思い出しました。並んで入場、並んでエスカレーター、並んで商品を閲覧、というような状況でした。
3階のメロンブックスという店に入ると、新刊の棚に平積みされていたので、目的のマンガはすぐに見つけることができました。レジも当然混んでいました。並んで待っている間に周囲を見回すと、女の子がパンチラしているイラストや、エロそうな同人誌がこれでもかと陳列されており、目のやり場に困りました。人として、エロいかエロくないかと言われればエロい方がいいと思っているのですが、イラストとは言え、祇園レベルの人混みでパンチラを凝視できるようなエロスを僕は持ち合わせていません。目のやり場に困り、アイポッドの電源をオンしました。でもアイポッドの電源を入れた所で視界は変わらないのでした。コーネリアスを聞きながら、パンチラしているイラストを眺めました。
5分以上待ち、ようやくレジの順番がまわって来て、レジの女性にマンガのバーコードを読み取ってもらい、図書カードと200円を出したら、「すいません、図書カード使えないんです」と言われました。僕はイヤホンを外して、「え?」と言うと、「図書カード、使えないんです」と改めて言われ、「あ、そうなんですね」と答え、図書カードと200円をしまい、1000円札で支払いを済ませました。

何が言いたいのかというと、「生態系カズクン」絶賛稽古中です!
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「カズクン」5/1

今年は飛ぶ劇場の創立30周年であり、本公演は「生態系カズクン」です。飛ぶ劇場の初期の代表作で、14年ぶりの再演となります。かく言う僕も、入団前、初めて見た飛ぶ劇場の作品はカズクンで、入団して最初に出演した作品もカズクンです。

僕が言うのもおこがましいのですが、ご存知ない方のために説明しますと、カズクンというのは、泊さんのご実家で飼っていた猫のことです。カズクンという名前なのですが、メスです。カズくんじゃなくてカズクンです。だからあえて付けるなら、カズクンちゃんです。「生態系カズクン」は泊さんがカズクンをモチーフに書いた作品です。

もう亡くなってしまったのですが、たいへん長寿な猫で、僕はカズクンに会ったことがあります。
公演会場で販売するCDの録音をするため、泊さんの実家を訪れました。当時、達夫さんが実家に住んでいたからです。日曜日か何かだったと思うのですが、ご両親は外出されていて、達夫さんだけが家にいたと記憶しています。「カズクン、見る?」と達夫さんに聞かれて、「はい」と答えました。夏の暑い日で、居間に涼しげな素材の寝椅子が置いてあり、その寝椅子の下に、カズクンが座っていました。僕は居間に這いつくばって、カズクンを見ました。会った時にはもうずいぶんなおばあさん猫だったのですが、白い毛のきれいな猫でした。微動だにせず、じっと目を合わせていました。「こんにちは」と僕が言っても、微動だにしませんでした。「はじめまして、藤原です」と言っても、目を合わせたままじっとしていました。にゃあとか言わないかなと思って僕も這いつくばったままじっと見ていたのですが、「あんまり見てると、ひっかかれるよ」と達夫さんに言われ、こわくてやめました。
それが僕とカズクンの思い出です。そのあと達夫さんの部屋に行き、「どいつもこいつも乳狙い」という男はみんな女性のおっぱいが好きだということが高らかに歌い上げられる曲の中で「Oh!」という叫び声を一言録音して帰りました。

何が言いたいのかと言うと、「生態系カズクン」の出演者オーディションをしますので、興味のある方は是非ご参加ください。

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「劇トツ」3/20

昨日、劇トツを見に行きました。ヒロシ軍、おめでとうございます。夏の公演も楽しみにしています。
鳴かず飛ばずという劇団が参加していたのですが、以下、鳴かず飛ばずを見ていて思いついた20秒くらいの台本です。

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『教室』

[登場人物]
生徒
先生

キンコンカンコン。(SE)
教室。
椅子だけがある。
生徒がいる。
机に向かって勉強するジェスチャー。

生徒 赤点とったから補習だあ。早く帰りたいなあ。

先生、来る。
教室のドアをあけるジェスチャー。

先生 (ドアに手をかけ)がらがらがらがらがら…
生徒 起立。

生徒、立つ。

先生 がらがらがらがらがらがらがらがらがらがらがらがらがらがらがら…
生徒 …

生徒、先生を目で追う。

先生 がらがらがらがらがらがらがらがらがらがらがらがらがらがらがらがらがらがらがらがらがらがらがらがらがらがらがらがらがらがら…
生徒 …

先生、舞台から見えなくなる。
生徒、目で追う。
終わり。

※※※※※※※※※※※※※※※

来年の劇トツ×20秒にこの作品で参加します。

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「ハムスター」3/16

「ただいま。」と子どもがと友達の家から帰ってくると、手の上で白くてちょろちょろ動いているものが見えました。「それ何?」と聞くと、「ハムスター。」と言いました。「どうしたの?」の聞くと、「飼おうと思って。」と言いました。「◯◯君の家の?」と聞くと、「エサはなんでもいいって。」と教えてくれました。「返しておいで。」と言うと、「わかった。」と出かけて行きました。

しばらくして子どもが「ただいま。」と帰ってきました。虫カゴにハムスターが2匹入っていました。「どうしたの?」の聞くと、「虫カゴでも飼えるって。」と言いました。「増えたけど。」と聞くと、「昼に寝て、夜起きるんよ。」と教えてくれました。「返しておいで。」と言うと、「わかった。」と出かけて行きました。

しばらくして子どもが「ただいま。」と帰ってきました。虫カゴの中に草がしきつめられ、ハムスターがメシを食っていました。「どうしたの?」と聞くと、「この草がベッドになるんよ。」と教えてくれました。「なんか食ってるけど。」と言うと、「ヒマワリのタネ。」と教えてくれました。「返しておいで。」と言うと、「名探偵コナンが始まる。」とテレビをつけました。埒があかないと思って、奥さんの帰宅を待ちました。

ハムスターを飼い始めました。

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「モビール」2/9

家にモビールを飾りました。妻への誕生日プレゼントという名目で、ここだけの話、自分がほしくて買いました。森見登美彦さんの「ペンギンハイウェイ」に、歯医者にモビールがぶら下がっていて、ゆるゆると動く描写があり、それがとても素敵だったので、自分ちにも飾れないだろうかと考えたのです。

今までモビールを買おうと思ったことがなかったので、まずネットで検索しました。ピンキリですが、2000円くらいから販売されており、いい物になれば1万円を超えました。
それからおもちゃ屋さんに行きました。誕生日がせまっていて、ネットで注文すると間に合わない可能性があったのです。しかし、おもちゃ屋さんに置いているのは赤ちゃんをあやすためのモビールばかりで、大人が鑑賞するためのものは置いていませんでした。

手ぶらで妻の誕生日を迎えました。ハッピーバースデーの歌を歌い、ケーキのロウソクを吹き消し、「おめでとう。」と拍手をし、プレゼントを出すタイミングでスマホの画面を見せ、「こういうのをプレゼントしようと思うんだけれど、どれがいい?」と聞きました。妻はあきれましたが、もうけっこうそういう事を過去にもしてしまっているので、慣れています。慣れたと思いたい。あきらめの境地に達しているので、気分を切り替えた妻はモビールを選びました。スマホを見ながら「気球か魚のモビールがいい。」と言いました。僕は魚の方がよかったので、「じゃあ魚で。」と言いました。

数日後、魚のモビールが届きました。再度ハッピーバースデーの歌を歌い、「おめでとう。」と妻に渡しました。箱を開けると、ほっそいハリガネだかワイヤーの先に、ぺらっぺらの紙の魚が5、6匹くっついています。もうちょっと重量感のあるものをイメージしていたので、若干心許なさを感じましたが、重量感があっちゃ、ゆるゆる動かないよな、と思い直しました。

天井に吊るすための手段を全く考えておらず、どうしようかと妻に相談すると、妻が事前にナフコでそういう金具を買ってストックしていました。金具を使って吊るそうと思いましたが、不器用な僕がすると天井にぼこぼこと穴があき、モビールがからまってこんがらがる可能性が大きかったので、妻が行いました。全部、妻がしました。

それ以降、うちの居間では魚のモビールがゆるゆると動いています。ふとした時に目に入り、いい感じです。妻も気に入ってくれています。くれていると思いたい。難点は、エアコンの近くに設置してしまったため、エアコンを動かすと、魚たちが濁流に飲まれたようにてんやわんやすることです。なのでモビールを飾ってから一度もエアコンを動かしていません。エコ。

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「ミーティング」11/16

先日、飛ぶ劇のミーティングがありました。ミーティング開始の20分前に事務所に着いたら、まだ誰も来ていなくて、事務所の鍵が開いていませんでした。藤原は事務所の鍵を持っていないので、事務所の前で待ちました。
夜の7時前ですが、もう真っ暗になっていました。その日はスーパームーンの出る日でした。スーパームーンを見ようと思って、スーパームーンはどこかなと事務所の前をうろうろしながら空を探しましたが、曇り過ぎてて全く見えませんでした。スーパームーンって名前、セーラームーンと語感が一緒だなと思いながら、雲の上のスーパームーンに想いを馳せると、月に変わっておしおきするポーズも同時に頭に浮かびました。

10分くらいぼーっとしていると、泊さんがやってきました。僕が「おつかれさまです。」と言うと、泊さんが「まだ誰も来てないの?」と言い、事務所の鍵を取り出しました。「泊さん、鍵、持ってるんですか?」と聞くと、「そりゃ持ってるよ。」と答えました。そりゃそうだと思いました。事務所の鍵があきました。

事務所に入ってすぐ、僕は来る途中に買ったおにぎりを食べました。腹ペコだったのです。「達郎、いくつだっけ?」と泊さんが言いました。「36です。」と僕は言いました。「若いんだね。」と泊さんが言いました。「そうですか?」と僕は言いました。「そうでもないけど。」と泊さんが言いました。「そうですよね。」と僕は言いました。「老けてるよね。」と泊さんが言いました。「そうなんですよ。」と僕は言いました。「白髪ががね。」と泊さんが言いました。「やっぱり、そうですかね。」と僕は言いました。「白髪だよ。」と泊さんが言いました。「白髪かあ。」と僕は言いました。おにぎりを食べ終えました。

はやまんと文目くんが現れました。「おつかれさまです。」とみんなで言いました。文目くんは仕事帰りでスーツでした。はやまんは箱馬を持っていました。箱馬とは端的に言うと、木の箱です。「文目くん、そんな格好していると、なんだか地方公務員みたいだね。」と泊さんが言いました。「えぇ、まあ、そうなんですよ。」と文目くんが言いました。「はやまん、なんで箱馬持ってるの?」と泊さんが聞きました。「これ、嫁が、楽器の練習で使ったんです。」とはやまんが言いました。「楽器の練習?」と泊さんが聞きました。「まあ、あんまり、練習してませんでしたけどね。」とはやまんが言いました。はやまんは箱馬を片付けました。

太田カツキと宇都宮誠弥が現れました。太田カツキは奇抜なパーカーを着ていました。フードもかぶっていました。フードをぬぐと、キャップもかぶっていました。キャップのうしろの、サイズを調整する所の上の隙間から、しばった金髪を、馬のしっぽのように出していました。「写真、撮っていい?」と僕は聞きました。「あ、はい。」と太田カツキは言いました。僕は太田カツキの写真をスマホで撮りました。「達郎、カツキのこと、好きだよね。」と泊さんが言いました。「はい。」と僕は言いました。「まあ、俺も、カツキのこと、そんな嫌いじゃないけどね。」と泊さんが言いました。「ですよね。」と僕は言いました。「あぁ、あぁ…」と太田カツキが照れました。その一連の様子を、宇都宮誠弥が、不思議少年のアシカの役で会得した、表情を一切宿さない、無を極めた目で、じっと見ていました。

その後内山さんが現れ、みんなで雑談していると、木村健二から「5分遅れます。」というグループラインが来ました。みんな、スマホを一瞥し、何事もなかったかのように雑談に戻りました。

何が言いたいのかというと、後頭部で馬のしっぽのようにしばった髪のことを、ポニーテールと言います。

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「RRRR福岡-4」10/8

(前回のあらすじ)万代さんに感謝しました。

夜の回は青木くんが手伝いにくることになっていたのですが、時間になっても青木くんが現れません。「バックれたかな。」「バックれたな。」などと泊さんやすんと話していると、泣きそうな顔の青木くんが現れました。博多リバレイン内で迷子になっていました。僕は地下をまわっている時に偶然文目くんに会ったから、そんなに迷わずに来れたけれど、青木くんは誰にも会わず、地下から4階まで行き、また引き返して、ようやく会場にたどり着いたのでした。「フロアガイドを見ても、アンパンマンの顔しか目に入らない。」と、俺と同じことを言っていました。
泣きそうな青木くんをなだめようと思って、僕は青木くんに、「青木くん、青木くん、」と声をかけました。「なんでしょう。」と青木くんが言いました。「太田カツキの、あの迷彩柄の上着、何円だかわかるかい?」と僕が言うと、「…いや、ちょっとわからないですけど、何円ですか?」と青木くんが聞くので、「6000円です。」と答えました。「6000円かあ。」と、青木くんに笑顔が戻りました。よかった。
「6000円は、高いと思うかい?安いと思うかい?妥当だと思うかい?」と聞くと、「6000円は、高いです。僕の着てるこのシャツ、5000円なんですが、高いなあって、思いましたよ。」と青木くんが言いました。「まあ、6000円の上着を、高いと思うか、安いと思うか、妥当だと思うかっていうのは、人それぞれだからね。」と、僕は青木くんに言いました。青木くんは、「そうですね。」と言いました。そう言う僕の着てるシャツは、7000円でした。

青木くんも会場整理の仕事をすることになりました。昼の回をすでに経験した僕は先輩風を吹かせて、「追加のイスは、ここに並べるんだぜ。」「なるべく詰めて座ってもらうんだぜ。」などとアドバイスしました。青木くんは「はい、はい。」と言いました。
いざ開場してみると、夜の回も満席でした。青木くんは「本日、は、あの満席、満席を予定そておりまって、だからあの、お席の方をですね、詰めて、こう、にゃるべく、お願いできますと、大変ありがたいkとになっておりま。」と歯切れも滑舌も悪いアナウンスをしました。今度藤本瑞樹くんに、あれを歯切れよく言う言い回しを聞いておこうと思いました。

帰りが遅くなるので、夜の回が始まったら帰ることにしました。泊さんに「おつかれさまでした。」と言い、地下鉄に乗り、JRに出ると、ちょうど特急が出発するところだったので、乗っちゃえと思って、特急券を買いました。特急に乗っている時に、「福岡公演の手伝いをして、いろんなことがあって楽しかったなう。」みたいな内容のツイッターをしたら、田坂さんからすぐにリツイートがありました。時計を見たら8時ごろで、まだお芝居の本番中でした。「本番中の田坂さんからリツイートがあったなう。」と僕はさらにツイッターしました。

何が言いたいのかというと、万代さん、本当にありがとうございました。

おわり

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「RRRR福岡-3」10/7

(前回のあらすじ)歯切れの悪いアナウンスをしました。

昼の回の終演後、泊さんと田坂さんのアフタートークがあったのですが、僕もちょっとだけ出ることになりました。で、その様子を書こうと思ったのですが、泊さんがブログに書いてくれたので、アフタートークの様子はそちらをごらんください。写真は泊さん、田坂さん、藤原の3ショットです。
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昼の回が終わり、夜の回が始まるまで楽屋でぼーっとしていたら、富田さんが「藤原さん、これを見てください。」と、自分のスマホの画面を見せました。お城のイラストが表示されていました。GPS機能を使ってお城をめぐるアプリのようで、ポケモンGOのお城版のような感じでした。「めずらしいポケモンをゲットしたんですよ。」みたいなニュアンスで、「◯◯城を落としたんですよ。」と教えてくれるのですが、いまいちピンときませんでした。なぜなら僕は、そのアプリをやっていないからです。他にも富田さんがたくさん説明してくれましたが、忘れました。
富田さんのスマホに武士のようなキャラクターの人形がくっついてて、「それも、お城のアプリのキャラクターですか?」と聞いたら、「あぁ、これは『AKR』ですよ。」と言いました。当たり前のように言われても、僕はAKRを知らないので、「?」を顔で表現していると、「47人いるんです。」と追加情報をくれました。「わからないものに対して追加情報をくれても、理解は深まらない。」ということを顔で表現していると、見かねた万代さんがイチから説明してくれました。テレビ番組のキャラクターのようで、「AKRは赤穂浪士のことで、だから47人なんです。AKBにかけてるんですよ。」と、富田さんの3倍わかりやすく教えてくれました。
富田さんの勢いは止まらず、「AKRは曲も出してるんです。聞きます?」と、スマホから曲が流れました。僕は聞き、「へえ。」と言いました。富田さんは別のグループの紹介を始めました。万代さんが補足しました。曲が流れ、僕は「へえ。」と言いました。また別のグループ、万代さんの補足、曲、藤原のへえ、がその後2、3回続きました。
横で見ていたコンちゃんが、「藤原さん、表情がなくなっていますよ。」と言いました。僕は、「何をおもしろいと思うかっていうのは、人それぞれですよね。今僕は、お城と武士に関するプレゼンを受けているわけです。それを受けた僕の反応は、『へえ。』だったんですよ。」と答えました。コンちゃんは、うなづきました。
最終的に富田さんは「番組、見てもらった方が早いですね。」と言い、僕は富田さんのスマホで、「もしも戦国武将がキャバクラに行ったら」という設定の動画を5分見ました。
僕は、「へえ。」と思いました。

何が言いたいのかというと、万代さん、ありがとうございました。

つづく

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「RRRR福岡-2」10/6

(前回のあらすじ)太田カツキの好きな動物はウシ。

楽屋でずっとぼーっとしていたら、何しに福岡まで来たのかわからないので、制作チーフのすんに、何を手伝ったらいいか、聞きに行きました。受付で、すんと、すんの友人のSさんが、準備をしていました。僕はすんに、「何を手伝いましょうか。」と聞きました。すんは、「じゃあ、会場整理をお願いします。」と言いました。会場整理というのは、お客さんを席にスムーズに誘導するお仕事です。「わかりました。」と、僕は言いました。「満席の予定なので、詰めて座ってもらってください。」とすんが言いました。僕はちょっと考えて、「『詰めて座ってください』を、お客さんに失礼のないように言うと、どういう言い回しになりますか?」と聞きました。すんは、「…詰め…あいだを開けず、座って、もらえるようご協力…ご了承…協力…よろしく…ん、まあ、みたいな感じです。」と歯切れがよくありません。僕は、「ん…、ニュアンスはまあ、たぶん、俺も伝えられるんだけど、歯切れが悪いと、こう、お客さんに、失礼じゃないかなあ。」と言いました。すんは、「うーん…」と言い、考え込みました。Sさんも考え込みました。「『お詰め合わせの上…』っていう言い回しは、おかしいかな?」と僕は聞きました。「それじゃあ、なんかお菓子みたいですね。」とすんが言いました。Sさんもうなづきました。僕も、お菓子みたいかもしれないと思いながら提案したのでした。みんな、黙ってしまいました。
ちょうどそこに、脇内圭介が通りがかりました。「わっきー、ちょっと、いいかな。」と僕は言いました。「なんでしょう。」と、脇内圭介が立ち止まりました。僕は「『詰めて座ってください』を、お客さんに失礼のないように言うと、どういう言い回しになるかな?」と、さっきと同じことを聞きました。脇内圭介から、大体似たような答えが返ってきました。「うーん…」と言ってすんが考え込み、Sさんはにこにこし、僕はへらへらし、脇内圭介の頭はもじゃもじゃでした。

その後の昼公演は立ち見が出るほどの満席で、僕は開場中、満を持して、「…あ、えっとですね、本日、の公演はですね、えっと全…満席を予定しておりまして、えぇ、なのでえっと、お席の方をですね、こう、なるべく、こうあいだを、開けずにですね、座っていただけると、大変、ありがたいことになっておりますので、えぇ、あの、へへ…そうですね、なるべく、よろしくお願いします。」と、案の定、ぐだぐだのアナウンスをしました。見に来てくれたお客さん、ご協力ありがとうございました。

つづく

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「RRRR福岡」10/5

「Red Room Radio Reborn」、全公演終了しました。ご来場くださったみなさん、ありがとうございました。

僕は福岡公演のお手伝いに行きました。JRと地下鉄を乗り継ぎ、地下鉄の改札から直通で、公演会場のある博多リバレインに出たので、移動時間が長かっただけで、あまり福岡に出た、という気分になりませんでした。
チラシを持ってくるのを忘れて、博多リバレインホールが、博多リバレインの中の何階にあるのかがわかりませんでした。とりあえず、店内に掲示されているフロアガイドを見たのですが、アンパンマンの顔しか目に入らず(6階だか7階にアンパンマンミュージアムがあるのです)、リバレインホールの表示を見つけることができませんでした。まあ、そのうち見つかるだろうと思って、地下2階から順番に見ていくことにしました。
地下2階には飲食店がいくつか入っていたのですが、全体的にお値段が高めに設定されていて、岡山でいう所の天満屋と同じような印象を持ちました。太田カツキはこの空間になじんでいるんだろうか、なじんでたらいやだ、と思いました。ちょっと泣きそうになりながら地下1階をまわっている時にばったり文目くんと会い、事なきを得ました。
早めに着くことができたので、楽屋でぼーっとしていると、太田カツキが現れました。迷彩柄の上着を着ていました。おもむろにZIPPOのライターを取り出すと、オイルを注入し始めました。ZIPPOライターのメンテナンスです。まったく博多リバレインになじんでなく、安心しました。
「その上着、高いの?」と僕が聞くと、オイルを注入しながら「え、そんな高くないっスよ。」と太田カツキが言いました。「何円?」と聞くと、「6000円です。」と言いました。僕は6000円の上着をよく見ました。よく見たら、迷彩柄が全部、動物の形でできていました。「あ、動物の形をしているね。」と僕が言うと、「そうなんスよ、かわいいでしょ?」とZIPPOのライターから目を離さず太田カツキが言いました。「動物、好きなの?」と聞くと、「動物、はい、好きです。」と言いました。「どの動物が好きなの?」と聞くと、太田カツキは上着を見て「やっぱり、ウシですかね。」とウシを指さして言いました。「あぁ、ウシね。」と僕は言いました。「かわいいっスよね、ウシ。」と太田カツキは言うと、オイルの缶をカバンに片付け始めました。カバンにはウマの絵が描かれていました。

つづく

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「RRRR」9/13

「Red Room Radio Reborn」と書くと長いから、最近では、みんな文字にする時、「RRRR」などと略します。
小屋入り前の、最後の稽古を見に行きました。
仕事終わりに、稽古場に向かおうとしたら、小雨が降っていて、僕は自転車通勤なので、雨合羽を、着ようかどうしようか迷いました。雨合羽を着ると、汗をかくし、着なかったら、まあまあ濡れます。まあまあ濡れることを選び、最寄りの駅まで、自転車を走らせました。まあまあ濡れました。
電車に乗って、小倉で降りました。降りて気づいたのですが、駅から、稽古場まで、また濡れます。傘を買おうか、まあまあ濡れようか、迷いました。まあまあ濡れることを選び、稽古場まで歩きました。さっきより雨が強く、周りの人は、みんな、傘をさしていました。赤信号なんかで足止めをくらうと、俺はなぜ傘を買わなかったんだろう、と悔やみました。今更後悔しても、近くにコンビニはないので、稽古場までずんずん歩きました。まあまあ濡れました。
小腹がすいたので、稽古場を通り過ぎ、近くのコンビニでブリトーを買いました。夕方、小腹がすいたら、最近の俺はブリトーです。ブリトーを買い、コンビニを後にし、今日の稽古場である、公共施設の中に入りました。
公共施設のロビーで、泊さんがパンを食べていました。
「おつかれさまです。」
と僕は言って、泊さんの隣に座り、ブリトーを食べました。パンと、ブリトーを食べながら、僕と泊さんは、ぽつり、ぽつりと、世間話をしました。主に、太田カツキのおもしろ話でした。僕の髪から、雨がしたたりました。
太田カツキのおもしろ話が、ひと段落したところで、泊さんは稽古場に向かいました。僕は、あまり早く稽古場に行っても、居場所がなくて困るので、もうちょっと、ロビーで時間をつぶしてから行くことにしました。カバンから、宇能鴻一郎の「むちむちぷりん」を取り出して、読みました。「むちむちぷりん」は、宇能鴻一郎の書いた、官能小説です。公共施設のロビーで、官能小説を読んでいるとは、思われたくないので、眉間にしわをよせ、左肘をテーブルに突き、ひたいの辺りを押さえ、小難しい顔をしながら、「むちむちぷりん」を読みました。
「むちむちぷりん」を読んでいたら、
「おつかれさまです。」
と、文目くんから声をかけられました。
「おつかれさまです。」
と、僕は、小難しい顔で返事をしました。
「…びしょびしょじゃないですか。」
と、文目くんが言いました。個人的には、まあまあ濡れたつもりでしたが、はた目から見ると、びしょびしょのようでした。小難しい顔で、僕は、
「思ったより、濡れました。」
と答えました。文目くんは、笑いながら、通り過ぎて行きました。公共施設のロビーで、びしょびしょのまま、官能小説を読む36歳はちょっとどうかと思ったので、やめて、稽古場に向かいました。
その後、稽古を見ました。みんな、いい感じに狂っていました。「RRRR」は、役者がエゴを発揮してなんぼの芝居だと思っているので、みんな、がっついてて、いいなあと思いました。
明日から小屋入りです。

何が言いたいのかというと、文中に「、」が多いのは、宇能鴻一郎の影響です。

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「皮膚科」8/9

皮膚科に行きました。もともとアトピー持ちなのですが、この夏は特にかゆみがひどくて、一日中体を掻いているのと、左手の中指に水疱ができて消えないので、行きました。
近所に皮膚科とエステを一緒にやっている病院があって、僕は一度も行ったことがなかったのですが、奥さんは行ったことがあり、「あの病院、混むよ」とおどされていたので、9時営業開始の所を、8時20分に行ったらさすがに誰もいませんでした。病院の人すらいませんでした。で、開かないドアの前でぼーっとしていたら、8時半には僕のうしろに10人くらいの列ができて、間違ってなかったと思いました。看護師さんが出勤し、ドアの鍵を開け、セコムを解除したので中に入ると「受付は2階です」という表示とエレベーターがありました。建物の構造がよくわからなかったのでとりあえずエレベーターに乗ると、エレベーターより階段から上がった方が早かったようで、受付表に先に名前を書かれてしまい結局僕は6番目になりました。軽く苛立ちを覚えましたが、まあ仕方がないと思って待ちました。
電車なんかを待っている時はケータイをいじったり本を読んだりするのですが、初めて来る病院なので場に慣れてなく、あまりあれこれする気にならなくて、じっと壁を見ていました。貼られたポスターを見ましたが全然内容が頭に入りませんでした。
9時前になると待合室に座りきれないほどの人が訪れました。小さい子どもを連れたお母さん、白髪を短く刈ってサングラスをかけたおっさん、おしゃれな服を着た若い女性、ほっぺたにガーゼをあてたおっさん、手押し車を使ってゆっくり動くばあさん、老若男女いろんな人が待っていました。小さな子ども以外、誰も声を発しませんでした。おっさんとおばさんと太った中年男性の親子連れが一番意味がわかりませんでした。誰が診察を受けるのか、3人とも受けるのか、息子だけ太り過ぎじゃないか、カンフーハッスルでチャウシンチーの相棒役をやってた人に似てる、などなど。
寝起きそのままのような格好のおっさんがサンダルでふらっとやってきて、「ニンニクスペシャルお願いしたいんやけど、朝から行けるかね?」と受付のお姉さんに聞いていました。お姉さんは「あ~、朝ですからねえ、ちょっと聞いてみますね」とおっさんに言い、「ニンニクスペシャル、朝から行けますか~?」とバックヤードに大声で聞きました。僕は、ニンニクスペシャルってなんだろうと思いました。「ニンニクスペシャル、行けま~す」とバックヤードから声が返ってきて、お姉さんがおっさんに「ニンニク、大丈夫です」と言い、おっさんが「じゃあ、ニンニクスペシャルで」と言いました。ラーメン屋の会話のようだと思いました。
しばらくして診察室に呼ばれました。男の先生が座っていて、「じゃあまず、指の水疱を見せてもらえますか?」と言われました。事前に問診票を書いて渡していたのです。僕は左手の中指を見せました。「あ~、ほんとう、水疱だあ」と先生は言いました。問診票に「水疱がある」と書いたのだから、あって当たり前だろうと思いました。「足にミズムシはありますか?」と聞かれ、「ありません」と答えたら、ピンセットで指の皮の一部を取り、顕微鏡で見て「カビはありませんね」と言われました。それが何を意味するのかわからなかったので、「そうですか」と答えました。その後アトピーのことをいくつか聞かれ、「では、このあと処置室の方へお願いします」と言われて、診察室をあとにしました。
処置室に行くと女性の看護師さんが待っていました。早口の慣れた感じで「まず赤外線をあてます」と言われました。僕が「指ですか?」と聞いたら、「え?」と聞き返されて、予想外の反応だったので僕は挙動不審になり、「あ、指、えっと指、指の方が水疱でして、それであと全体的にアトピーで、指、あの、指ですか?」みたいに聞いたら、「かゆみのある箇所に赤外線をあてます」と言われました。それで上半身裸になり、赤外線をあてました。アトピーにいいのだそうです。目には悪いから、「ぜったいに、目をあけないでください」と念を押されました。あけまい、と思いました。赤外線はほんのりあたたかくて、効いているような気になりました。それから患部に薬を塗ってもらいました。そのあと「◯◯するので手を出してください」と早口で聞き取れなかったので、また挙動不審になり「あ、手、水疱ですか、えっと、手はかゆくないのですが」と言って処置台に手の平を乗せたら、「注射は腕にします」と言われ、「え、注射ですか?」と聞き返したら、「はい、かゆみを抑える注射をします」と言われました。皮膚科に注射のイメージがなかったので驚きました。ニンニクスペシャルもおそらく注射だろうと、この時思いました。

体のかゆみは注射を打ったらおさまりました。
かゆくなくなったので自分の団体で「退屈という名の電車の駅のホーム」という芝居をしますのでどうぞよろしくお願いします。

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「ミーティング」7/19

先日飛ぶ劇場のミーティングがありました。飛ぶ劇場は賃貸物件の1室を借りて、事務所兼物置として使っているのですが、僕が到着すると先に来ていたメンバーが部屋の掃除をしていました。主に床を掃除していました。僕は来る途中に近所のスーパーでカラアゲを買ったのでそれが食べたかったのですが、みんなが床を掃除している中でカラアゲは食べづらかったので、「僕も床をあれしましょうか?」と近くにいたきむけんに聞きました。きむけんは「あぁ、うん」と言いました。僕は「床をあれする道具はどこにありますか?」と聞いたら、きむけんが「あぁ、うん」と言い、「もうないんじゃない?」とはやまんが言ったので、僕は「じゃあ、カラアゲ食いますね」とカラアゲを食べました。口実を作ったのです。
僕がテーブルでカラアゲを食べていると、掃除が終わりを迎え、みんな片付けを始めました。タツオさんが「休憩、休憩」と言ってテーブルにやってきて、パンを食べました。タツオさんもおなかがすいていたのです。きむけんが扇風機の近くに座り、マンガを読み始めました。僕はマンガが好きなので、「それ、何てマンガですか?」と聞いたら、「これ、サッカーのマンガなんだけど、監督目線でおもしろいんだ」ときむけんが言いました。僕はマンガのタイトルを聞きたかったのですが、きむけんは内容を言ったので、「ん」と思いましたが、もういいやと思って「へえ」と言いました。
コンちゃんが掃除中に見つけたカニをみんなに披露しました。ノサカ(文目)くんが「おみやげです」と言っておせんべいをみんなにくれました。僕と泊さんとはやまんでヒゲに白いものが混ざり始めた話をしました。きむけんがスマホで人をダメにするゲームをしました。中川裕可里の髪型は役作りの関係でアンハサウェイのようでした。アンハサウェイがインパクトのバッテリーを充電すると異音が鳴りました。ウィンドウズ10の話をしている時にコンちゃんがトロイの木馬のことをモロイのトクバと言いました。モロイのトクバを今年の飛ぶ劇流行語大賞にノミネートしました。内山さんはにこにこしました。桑さんはじっとしていました。

ミーティングを始めずに何をしていたのかと言うと、脇内圭介を待っていました。
『Red Room Radio~Reborn~』の公演情報を公開しました。

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「エレベーター」6/15

2016年1月、北九州芸術劇場での不思議少年の公演を見に行くためにエレベーターを待っていたら、太田カツキに会いました。太田カツキは、「あ、おつかれさまです」と小さな声で言いました。僕も小さな声で「おつかれさまです」と言いました。太田カツキは隣にいた女性を指して、「これ、うちの母です」と小さな声で言いました。隣にいた女性はこちらを向き、会釈をしました。僕はなんだかびっくりして、挙動不審な会釈をしました。太田カツキも人の子だというイメージが僕の中になく、「太田カツキ」と「お母さん」がうまく結びつかなかった結果の挙動不審です。太田カツキは僕を指して「こちら、劇団の先輩」とお母さんにぶっきらぼうに言いました。太田カツキのお母さんは、「息子がお世話になっております」と僕に言いました。僕はお母さんに「いえ、こちらこそ、お世話になっております」と挙動不審に言いました。言ってから、俺、別に太田カツキの世話にはなってないなと思ったけれど、わざわざ訂正するほどの内容じゃないと思ったので、言いませんでした。エレベーターが到着しました。
エレベーターに乗ったのは、僕と太田カツキと太田カツキのお母さんの三人だけでした。エレベーターに乗る前にあいさつは済ませてしまったので、乗ってからは無言でした。僕がきさくなタイプの人間であれば、「お母さんはおいくつですか?」「最近の息子さんはどうですか?」などのきさくな会話をするのですが、あいにく僕はきさくなタイプの人間ではないことを35年の人生で悟っていたので、きさくな会話は始まりませんでした。
だいたいのエレベーターがそうであるように、北九州芸術劇場のエレベーターも四角い構造をしていました。奥側の壁は鏡張りになっていました。僕と太田カツキと太田カツキのお母さんは、鏡張りの面以外の壁をそれぞれじっと見ていました。ときどき、エレベーターの階数表示をちら見しました。不思議少年が公演を行う劇場は6階だったのですが、まだ2階の表示が点灯している辺りで、6階が待ち遠しくてしかたありませんでした。
エレベーターが6階に到着して扉が開きました。立ち位置的には、太田カツキと太田カツキのお母さんが扉側にいて、僕が奥にいたので、太田カツキと太田カツキのお母さんが先に降りるものだと思って待っていたら、気をきかせた太田カツキと太田カツキのお母さんが、道をあけて僕の方を見ました。僕は「え、そんな、どうぞ」と言って、右手を斜め下から前方に振り上げたり下ろしたりしました。太田カツキと太田カツキのお母さんも「どうぞ、どうぞ」と言って、日本人特有のゆずり合いをしばらくやりました。このままじゃエレベーターの扉が閉まると思ったので、僕は「あ、じゃ」と言って、太田カツキと太田カツキのお母さんの間を抜け、右手を振り上げたり下ろしたりしながら先にエレベーターを降りました。太田カツキと太田カツキのお母さんも、それでようやくエレベーターを降りたというわけです。
劇場に入ると、舞台をはさんで両サイドが客席という作りになっていたので、僕の席から太田カツキと太田カツキのお母さんが並んで座っているのが見えました。人は見かけによらないと思いました。

何が言いたいのかというと、太田カツキはパッと見チンピラです。

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「公演情報」5/24

私事であれなのですが、大体2mm「退屈という名の電車の駅のホーム」の公演情報を公開しました。
今回、演出を二番目の庭の藤本瑞樹さんに依頼しました。
九州の演劇情報サイト「mola!」が記事を掲載してくれるという体で、インタビューを作ってみました。

Q:今回演出家として、二番目の庭の主宰であり、藤原さんの友人でもある藤本瑞樹さんを起用した理由は何ですか?
A:友達だからです。
Q:本当にそれだけですか?
A:まあ、それだけじゃありませんが。
Q:どちらかと言うと、友達だからじゃない方の理由が聞きたいです。
A:2004年はたしか、11月18日がボジョレーヌーボーの解禁日だったんですが、「解禁日にボジョレー祭りをしようぜ。」と藤本瑞樹さんからお誘いの連絡をもらって、今回出演する飯野さんと二人で出かけて、西小倉駅付近でボジョレーヌーボーを楽しんでいる時に、酔っ払った藤本瑞樹さんが飯野さんのお気に入りのスニーカーにボジョレーをこぼして、スニーカーに洗っても落ちない血のような赤いシミが残りました。
Q:その後、スニーカーはどうなったんですか?
A:飯野さんのスニーカーなので私はよく把握していませんが、ボジョレー祭りの後、飯野さんがあのスニーカーを履いている姿を見たことはありません。
Q:…それがもう一つの理由ですか?
A:黒字が出たらABCマートでスニーカーを買うんです。
Q:がんばってください。

※ABCマートとは…東京都渋谷区に本社を置く株式会社エービーシー・マートが展開する、靴や衣料品のチェーン店。2015年2月末の連結ベースで国内784店舗、海外191店舗を展開する。

何が言いたいのかというと、「Red Room Radio Reborn」の出演者を発表しました。
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「水族館」4/30

休みの日に、子どもが水族館に行きたいと言いました。車は奥さんが仕事で使っていたので、門司港まで電車で出て、フェリーに乗って唐戸に渡り、海響館に行くことにしました。たとえ車が家にあったとしても、電車とフェリーで行きます。車の運転が嫌いだからです。
電車に乗ると、子どもは先頭車両に乗りたがります。運転席から前方の景色が見たいからです。混んでいる時はあれですが、すいている時は、だいたい先頭車両には子ども(男の子)が数人群がっています。たまにマニアックなおじさんも群がっています。全然知らない子同士でも、電車の知識を媒介に話し始めます。ほほえましいです。たまにマニアックなおじさんも会話に加わります。個人的には俄然おもしろくなってくるのですが、「ほら、ちゃんと座ってなさい」と我が子を席に連れ戻すお母さんもいます。
門司港駅に着くと、子どもは改札口の近くに設置してある鐘を必ず鳴らします。加減を知らないので、大音量で鳴らします。近くを通る人が絶対びっくりします。僕は頭を下げます。
フェリーに乗ると、絶対デッキに出ます。子どもはじっと座っていることが不可能だからです。フェリーが動いている間も、あっちへ行ったりこっちへ行ったりと動き回ります。「危ない」と大声を出すはめになります。フェリーが唐戸側に着くと、クラゲを見ようとフェリーの発着場付近で海をのぞきこみ、係りの人に怒られます。怒られて陸の方へ行く時も、岸ぎりぎりの所をクラゲを探しながら歩きます。「危ない」と大声を出すはめになります。
海響館に入ると、ちょうどイルカとアシカのショーの始まる所だったので、会場に行きました。イルカやアシカが何かをするたびに、子どもは喜んで拍手をするのですが、気持ちが身体に反映され、だんだん前の方に行ってフェンスぎりぎりの所で見始めるので、その後ろに座っているよそのお父さんから注意され、警備の人から怒られ、インストラクターのお姉さんから笑顔で「危ないぞ」と言われます。
その後、ペンギンのコーナーに行きました。海響館には「ペンギン村」という、アラレちゃんの町と同じ名前のペンギンコーナーがあります。ペンギンが大量にいます。子どもはペンギンがフンをするたびに、「あ、フンをした」と反応します。ペンギン村には2~30分いたのですが、ペンギンの真新しさには最初の5分ほどで慣れるので、「あ、ペンギンだ」と言ってたのは最初の5分だけなのですが、フンをすることには慣れないみたいで、「あ、フンをした」は始終言っていました。ペンギンのフンを見るためにペンギン村に行ったわけではありません。
それから、いろんな魚を見て回りました。ウツボが気に入ったようで、ウツボの水そうを何度も行ったり来たりしました。ウツボはじっとしている間もずっと口をぱくぱくしていました。ウツボの口ぱくに合わせて子どもが「あぁ、もう眠くってやってられないよ」とか、「わあ、岩に体がはさまってしまった」などとセリフをあてはじめました。子どもは周囲の目を気にしないので、けっこう大きい声でセリフをあてます。協調性がないとも言います。僕にも協調性はないのですが、社会経験を下手に身につけているので、水族館でウツボのセリフは言いません。ウツボ役の子どもが「俺、あの魚、食いたい」と言いました。僕はだまってチンアナゴを見ていました。代わりに近くにいたカップルの彼氏の方が、「うん、食べたいね」と答えてくれました。彼氏、いいやつだなと思いました。
全部見て回った後おみやげコーナーに行って、子どもがダイオウイカの人形を買いました。ウツボじゃないんだ、と思いました。

何が言いたいのかというと、ダイオウイカの人形は2000円でした。
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「ファミレス」3/25

今年の夏、僕がやっている「大体2mm」という団体の公演を行う予定で、先日、そのための打合せを、僕、制作の飯野さん、演出の藤本瑞樹くんというメンバーで行いました。ファミレスでいいか、ファミレスでいいや、ということになって、西小倉駅からひたすらまっすぐの所にあるロイヤルホストに行ったら更地になっていました。飯野さんが「あれ、ない。」と言って、みずきくんが「え、あ、ほんと、ない。」と言って、僕が「ない。」と言いました。あると思っていたはずの物が跡形もなくなっていると、人はばかみたいに「ない。」って言うな、と思いました。
そこでもうちょっと車を走らせて、清水のジョイフルまで行きました。平日の20時頃でしたが、店内はけっこう混んでいて、若者の友達連れや、塾帰りっぽい高校生の姿が多く見られました。寝ているおっさんもそれなりに見られました。せっかくファミレスにきたんだからと、僕たちも食べ物を注文しました。みずきくんはジャーマンポテトを注文しました。僕は肉の乗ったどんぶりを注文しました。飯野さんはスパゲティーとハンバーグを注文しました。僕と飯野さんが食べる気満々なのが、みずきくんにばれました。
料理を待っている間に打合せを開始しました。みずきくんがノートパソコンを立ち上げ、エクセルで作った表を見せてくれました。みずきくんはノートパソコンを使って説明をしてくれます。僕はノートパソコンの画面をタッチパネルのようにさわり、当然動かず、恥をかきました。細かく内容を確認している時に、ジャーマンポテトとスパゲティーが来ました。みずきくんはノートパソコンを閉じました。飯野さんもノートとえんぴつを片付けました。打合せが中断しました。僕は特に意味もなく、アイパッドを出して広げました。見せびらかしたのです。みずきくんが気を使って「買ったの?」と言いました。僕は「うん。」と答えました。みずきくんが「へえ。」と言いました。僕はアイパッドをしまいました。どんぶりはまだ来ません。
しばらくして僕のどんぶりも来たから、急いで食べました。みずきくんがジャーマンポテトを食べ終え、次に飯野さんがスパゲティーを食べ終え、僕もどんぶりを食べ終えました。みずきくんがノートパソコンを再び立ち上げようとしたら、飯野さんのハンバーグが来ました。みずきくんはノートパソコンを閉じました。
飯野さんの注文したハンバーグはジョイフルの新商品で、ハンバーグにデミグラスソースがかかっていて、他にもごろごろしたジャガイモと、溶けるくらいまで煮た肉が、グラタン皿に入っていました。おそらくグラタン皿ごとオーブンで焼くので、調理に時間がかかるのです。飯野さんは「熱い。」と言いました。あと、「焦げてる。」とも言いました。グラタン皿で調理されているから、熱くて焦げがあるのは当たり前だと思いました。どちらかというと、それは「売り」です。さらに飯野さんは、「ジャガイモと、煮た肉は食べない。」と言いました。じゃあ、普通のハンバーグを注文すればよかったんじゃないか、と僕は思いました。みずきくんはドリンクバーを取りに席を立ちました。みずきくん飲み物を持って帰ってくると、なぜか宇都宮誠弥と西村さん(宇都宮企画)が一緒にやってきました。宇都宮誠弥と西村さん(宇都宮企画)は偶然、奥の席で、はやまんと結婚式の二次会の打合せをしていたのでした。打合せと言えばやっぱりファミレスだよな、と思いました。
そう言えば先日、ファミレスで派遣会社か何かの面接をしている所に遭遇しました。面接を受けているのは、若い女性でした。面接官も若い女性が二人でした。面接を受けている女性が「具体的に、どのようなお仕事内容なのでしょうか?」と聞いたら、面接官の女性が「複合型商業施設の中を子どもを乗せて走る汽車のアテンドです。」と言いました。面接を受けている女性が「勤務地はどこですか?」と聞いたら、面接官が「主にサンリブです。」と言いました。あぁ、見たことある、と僕は思いました。その後、「和気あいあいとした職場環境です。」とか、髪の毛のカラーチャートを出して、「茶髪はこれくらいまででお願いします。」とか話して、面接を受けた女性は帰って行きました。残った面接官の女性は、「協調性のありそうな子だったね。」と言いました。もう一人が「でも、周りの雰囲気に流されやすそう。」と言いました。僕は、それはポジティブな側面とネガティブな側面を言ってるだけで同じことなんじゃないか、と思いました。面接官の女性も帰って行きました。今は面接もファミレスなのだな、と思いました。

何が言いたいのかと言うと、誰かファミレスをファミリーで使ってあげてください。

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「レッドルームレディオ」3/4

「レッドルームレディオ」の出演者オーディションの応募締切りが迫ってきておりますが、この作品は12年前に初演が行われていて、僕も出演しました。僕が泊さんにあて書きをしてもらった唯一の作品です。この作品に出た数年後に就職をして、あまり稽古に参加できなくなってしまったから、今の所唯一の作品になっています。
どういう役をやったかと言うと、1人で8役やりました。僕が多重人格の持ち主だから泊さんがそういう役をあて書いたとか、そういう話ではありません。1人で入れ代わり立ち代わり、8役演じました。でも誰とも絡みませんでした。最後、はやまんとかがっちにかついで行かれただけで、あとは基本1人で8役演じました。Aさんの役を演じながら、Bさんの役も演じて会話するシーンとかやりました。これは、当時から僕が絡みづらいやつだったから、泊さんがそういう役をあて書いたとか、そういう話です。いや、泊さんの真意がどうなのかは知りませんが、少なく見積もっても3割くらいは泊さんも「こいつ、絡みづらい。」と感じてこの役をあて書いたんだと思います。(他の劇団員も全員「藤原、絡みづらい。」と感じていました。のちに聞きました。みなさん、当時は本当にご迷惑をおかけしました。これからも多々、ご迷惑をおかけすることがあろうかと思いますが、広い心で、どうぞよろしくお願いします。)絡みづらいんです、僕。若いから、なんか勢いはあったんですが、協調性がないので、誰かと絡むシーンをやると空回りしてました。
日常生活も空回りしていました。アルバイトをしていたんですが、クエストみたいな本屋さんで働いてみたいと思って、求人情報誌で本屋さんのバイトを探して、クエストはなかったので他の本屋さんに履歴書を送ったら面接を受けることになってやったーと思って行ったら、敷地面積の半分以上がアダルト関連の商品を扱っているお店で「思ってたのとちがう!」と思いました。でも店長さんのご好意で採用となり、お店に「レッドルームレディオ」のB2ポスターも貼らせてもらいました。女優さんがセクシーなポーズで微笑んでいるポスターに混じって、レッドルームレディオのポスターを飾っていました。けっこうカオスな絵面になっていました。当時劇団員だったコウちゃんから「ムラムラしたやつが公演を見に来るぜ。」と言われました。実際ムラムラしたやつが見に来たのかどうかは知りませんが、お客さんはたくさん見に来てくれてうれしかったです。

そんなレッドルームレディオの出演者オーディションの応募締切りは3月17日(木)です。飛ぶ劇の劇団員も一緒に受けますので、興味のある方は是非ご参加ください。

あと、「睡稿、銀河鉄道の夜」の公演情報を公開しました。
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北海道に行った日記を、こちらのブログに書いています。
内容がいつも以上に飛ぶ劇と関係ないからです。
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「門司港レトロ」1/20

先日、会社の新年会で門司港に行きました。ちょっとした飲み会なんかは部署ごとで行ったりするのですが、新年会は会社全体で行うため、今年は門司港ホテルだったのです。家を出る時にはもう日が傾いていて、バスで小倉駅まで出て、電車に乗り換えて門司港駅に着いたら、もう辺りは真っ暗にでした。遅刻なんかしたら大事なので、1時間ちかく余裕を持って出てきて、時間をつぶすために門司港レトロを歩きました。

普段門司港に来る時は、だいたい家族と一緒に来るので、一人で門司港レトロを歩くのは初めてでした。門司港駅から門司港ホテルの前まで歩き、右に折れて、レトロレトロした辺りに出ました。17時を過ぎているので、人もまばらです。日が沈んだ1月の門司港はとても寒いので、とりあえず建物に入りました。遊覧船乗り場の近くの、門司港レトロっぽさが詰まった建物です(正式名称は門司港海峡プラザでした)。しかし、新年会を控えた男が一人でドクターフィッシュに足の老廃物を取ってもらうのもどうかと思うし、新年会を控えた男が一人で3Dのトリックアートを楽しめるわけがありません。新年会を控えた男は一人でプリクラを撮りませんし、ジブリのキャラクターがいっぱいのお店に入る勇気もありません。手持ち無沙汰すぎて、1回ガチャガチャを引きました。電車のピンバッチが出て、それはちょっとテンションが上がりました。
することがなくて建物を出ると、バナナマンとバナナマンブラックの像が立っていました。しかし一人でバナナマンブラックと写真を撮るハートの強さを僕は持ち合わせていません。スルーしました。新年会を控えているので焼きカレーを食べるわけにもいかず、新年会を控えているので瓦そばを食べるわけにもいきません。おみやげ屋で家族に魚の干物でも買って帰ろうものなら、「県外ならともかく、なぜ門司港で魚の干物を買うんだ。」と奥さんに文句を言われるに決まっています。なんならガチャガチャも言われます。
仕方なく、寒空の下を跳ね橋の方に向かって歩きました。カップルが二人してカメラをかまえ、対岸から門司港ホテルの写真を撮っていました。はっ、そりゃあカップルでなら寒かろうが何をやっても楽しかろう。気分がすでに卑屈になっています。カップルを横目にひたすら歩きました。止まると寒いのです。旧門司税関の壁に、ハートだったり幾何学模様だったりの映像が映し出され、動いていました。ボーッとそれを見ながら歩きました。家族連れが、同じくボーッと映像を眺めていました。家族と来るといくらでも時間がつぶせるのに、なぜ自分一人で来るとこうも時間が経つのが遅いのだろうと不思議に思いました。
旧門司税関の展示コーナーで暖をとろうと思ったら、17時を過ぎているので閉まっていました。展望台はおそらくまだ営業しているのですが、展望台に登ってしまったら新年会に遅刻します。跳ね橋を渡ろうと思ったけれど、跳ね橋を渡ったら30分以上前に門司港ホテルに着いてしまうという、なんとも中途半端な時間になってしまいました。こんなことなら最初から喫茶店に入ってコーヒーでも飲んでおけばよかった。来た道を折り返し、再びドクターフィッシュの建物に入りました。人影はあいかわらずまばらなのですが、すれ違う人がことごとく、見たことのある顔でした。会社の同僚たちでした。あぁ、みんな、時間を持て余しているのだな、と思いました。数人で連れ立って、30分以上前に会場入りしました。

何が言いたいのかというと、「Red Room Radio~Reborn~」の出演者オーディション情報を公開しました。

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「2016年」1/5

あけましておめでとうございます。藤原です。
太りました。
お正月で特別に太ったわけではないのですが、65キロ前後でうろうろしていた体重が、ここ数年で70キロ前後に増えました。お腹まわりがボテっとしています。おやつとか運動不足とか年齢的なものとか、原因はいくらでも思い当たります。
おやつと年齢的なものはどうしようもないので、運動不足を解消することを今年の目標にしました。実は2014年から同じ目標を立てているのですが、14年も15年も全く運動していないので、3年連続で同じ目標になりました。
子どもの冬休みの宿題で、なわとびチャレンジというのがあって、まあなわとびにチャレンジするのですが、子どものなわとびに付き合っているうちに、「うしろ飛び」がかなり腹筋に来ることに気づきました。そして、これなら続けられそうだと思ったのです。続けられそうな運動に出会うまでに2年かかりました。この機会を逃してはならないと、さっそく自分専用のなわとびも購入しました。あとはなわとびを袋から出すのに2年かからないことを祈るばかりです。2016年の僕は、近所の公園で夜な夜ななわとびを飛ぶことでしょう。これでお腹まわりがどうにもならなかったら、2017年はいよいよ、おやつに着手するしかありません。

何が言いたいのかというと、今年も飛ぶ劇場をよろしくお願いします。

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「青木」12/2

飛ぶ劇場の公演「百年の港」が終了しました。ご来場くださったみなさん、ありがとうございました。
僕は千秋楽の日に前説をやらせてもらいました。キムケンのフェイスブックの登録情報を暴露しました。楽しかったです。
今回は「荒物屋」と言って、生活雑貨を扱っているお店が舞台の話だったので、小道具で生活雑貨をたくさん用意したのですが、公演が終わると使用意図がなくなってしまうので、千秋楽の公演終了後、実際にお客さんに格安で販売してみたら、9割方売れて、販売したこっちがびっくりしました。

バラシ作業の休憩中、照明の岩田さんがたまに行く焼鳥屋の話をしていたら、青木くんも休憩しにやってきました。青木くんは「歯が痛い、歯が痛い。」と言っていました。「歯医者には行ったのか?」と岩田さんが言ったら、「行きました。虫歯なんです。」と言っていました。「歯は、早く治したほうがいいよ。」と僕が言って、また岩田さんがたまに行く焼鳥屋のプロパンが爆発した話の続きをしていたら、青木くんがポイポイっと何かを口に入れたのが見えました。チョコです。「うまい、うまい。」と、青木くんは言いました。「うまい、痛い。」とも、青木くんは言いました。あともうちょっと何かを言いましたが、滑舌が悪いので聞き取れませんでした。「虫歯なのに、チョコ食ったらダメだろう。」と、岩田さんと僕がシンクロしました。「いや、どうせ痛いんだから、僕、食べますよ、チョコ。」と、青木くんが強気で言いました。強木くんでした。「新しいな。」と、岩田さんと僕は結論を出して、岩田さんがたまに行く焼鳥屋がリニューアルオープンした話を続けました。

何が言いたいのかというと、「何やってもかわいいかわいい言ってもらえるのは今のうちだけだからな。」っていう青木くんに対するキムケンの名言です。

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「舞台仕込み」11/24

「百年の港」の舞台仕込みを手伝いに、門司港の「旧大連航路上屋」に行きました。
門司港まで行くんだから、昼休憩の時に焼きカレーを食べようと思いました。
JRの門司港駅を降りてすぐに、劇団員の中川ゆかりを見つけたのですが、声はかけませんでした。
9時半過ぎに会場に着きました。よく考えたら集合場所を知りませんでした。中川ゆかりはまだ来ていませんでした。しばらく外でぼーっとしていたら、キムケンが車で来ました。車から降りた瞬間に、「あぁ、タツロウは11時半集合でよかったわ。」と言いました。それは前の日に聞きたかった。
仕方がないので、時間まで控え室でだらだらしました。キムケンが「ニクフェスっていうのを、やってるらしいぜ。」と言いました。「ニクフェスって、肉のフェスですか?」と僕は言いました。「さあ。」とキムケンは言いました。僕はスマホをいじりました。キムケンもスマホをいじりました。コンちゃんがコーヒーを入れてくれました。「ありがとう。」と僕は言いました。コンちゃんが何か言いましたが、ホコリ対策でマスクをしていたので、何て言ったのかイマイチ聞きとれませんでした。僕はニコニコしました。「やっぱり肉のフェスだよ。」とキムケンが言いました。スマホで調べたようです。「じゃあ『肉フェス』ですね。」と僕は言いました。「え、うん。」とキムケンが言いました。コンちゃんが何か言ったけど聞きとれませんでした。僕はニコニコしました。「行ってくれば?」とキムケンが言いました。「全国の肉が集まるんですか?」と僕は言いました。「さあ。」とキムケンが言いました。僕はスマホをいじりました。キムケンもスマホをいじりました。コンちゃんのスマホは窓際じゃないと電波が入りませんでした。中川ゆかりが来ました。マスクをしていました。
その後、仕込みの手伝いをしました。

何が言いたいのかというと、焼きカレーは食べませんでした。

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「百年の港」稽古レポート2 11月12日

何週間かぶりに稽古に顔を出しました。「妖怪ウォッチバスターズ」をプレイするのに忙しかったからです。「妖怪ウォッチバスターズ」は、子供から大人まで楽しめるすばらしいゲームだと思います。ゲームは基本的に一人で楽しむものだと思っているので、今まで、wi-fiを利用しての第三者との協力プレイのようなことは一切やってこなかったのですが、「妖怪ウォッチバスターズ」では、協力プレイをしないとゲットできないアイテムや、協力プレイでないと戦えないボスがいて、子どもにせがまれ、仕方なしに、wi-fiを利用しての協力プレイを行ったのですが、これがまあ面白くて、初めてSNSを利用した時と同じような感覚を味わいました。というわけで、数週間ぶりの稽古場レポートです。
「妖怪ウォッチバスターズ」はニンテンドー3DSのソフトなのですが、「赤猫団」と「白犬隊」という2種類のソフトがありまして、内容が微妙に異なります。「赤猫団」にしか出てこない妖怪もいるし、「白犬隊」にしか出ないボスもいるのです。なので、すべての妖怪をコンプリートするためには、「赤」「白」両方のソフトが必要なのですが、そこで登場するのが「wi-fiを利用しての協力プレイ」です。なんと、見知らぬ人とフレンドになることによって、お互いの持っている妖怪を交換することができるのです!収集癖をくすぐられますね。僕はもう毎晩のように「wi-fiを利用しての協力プレイ」を行っているので、プレイ時間がついに200時間を超えました。なので劇団の作業に全く手がつかず、数週間ぶりの稽古場レポートとなってしまいました。
そろそろちゃんと稽古場をレポートしないと、泊さんや太田カツキから白い目で見られてしまうのですが、「妖怪ウォッチバスターズ」は、実はもうすぐ「wi-fiを利用して」更新データの配信が行われ、新しいボスや妖怪が続々と登場し、もう目が離せない状態です。その名も「月兎組」といい、なんと無料配信なのです。これはもうダウンロードするしかないじゃありませんか。最新の情報を得るために、コロコロコミックも毎月購入しています。新しいボス妖怪に備え、今のうちにレベルを上げておかないといけません。というわけで、劇団の作業もしないといけないし、妖怪のレベルも上げないといけないしで、とても忙しいため、右手でアイパッドを使って劇団の作業を行い、左手で3DSを操って「妖怪ウォッチバスターズ」をプレイしようと思ったのですが、片方の作業を行うともう片方が完全にストップしてしまうので、身を切る思いで、「妖怪ウォッチバスターズ」をプレイしています。劇団のみんな、ごめんね!
稽古では、太田カツキがおしゃれな帽子をかぶっていました。
以上、稽古場レポートでした。

何が言いたいのかというと、「百年の港」で、泊さんや達夫さんや有門さんや鵜飼さんや僕が前説をします。

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「百年の港」稽古レポート10月16日

先日、「百年の港」の稽古に顔を出してきました。久しぶりに団員と顔を合わせるから緊張すると思って、ちょっと遅れて行きました。
長机を口の字型に並べて、みんなで本読みをしていました。はやまんと宇都宮誠弥の隣の席があいていて、はやまんが席をすすめてくれたから座ったけれど、「え、はやまんと宇都宮誠弥、もしかして仲が悪いの…?」と気が気じゃなくて、最初、本読みに集中できませんでした。5分で集中できました。
ちょっと遅れて行ったので全貌はわかりませんが、「百年の港」というタイトルだけに、100年間の話をするのだろうと思いました。2015年~2115年の話ではなく、どちらかと言うと、1915年~2015年あたりの100年間なのではないかと思いました。あと、「百年の港」というタイトルなので、「港」が舞台の話っぽいなと思いました。2115年の話ではなさそうなので、「港」と書いて「スペースコロニー」とは読ませず、地球上の海に面した港のようでした。あと今回、公演会場が「門司港」なのでピンときまして、「これはひょっとしたら、門司港を舞台にした100年間の話なのかもしれない…!」と頭が冴え、長机の上にあったチラシを何気なしに見たら、あらすじの所に大体そんな感じのことが書いてありました。
今までの飛ぶ劇場にはない、かなり史実に基づいた話になりそうです。
太田カツキとは一度も目が合いませんでした。

遅れて行ったけれど、稽古が見れてよかったです。
久しぶりに団員と顔を合わせるから緊張もしたのですが、本当は、宇都宮誠弥が俺に稽古スケジュールを伝えるのを忘れていて、稽古場がわからず、稽古前に一緒にいたいすと校舎の守田くんに「今日、飛ぶ劇場どこで稽古やってる?」と聞いたら「いや、知りません。」と当然わからず、遅れました。

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「金のネックレス」9月25日

実家に帰った時、母が、父の形見の金のネックレスをくれました。
僕は普段、アクセサリーをつけません。腕時計もしません。
そんな僕に、母は金のネックレスをくれました。
金のネックレスは、金なので、重いです。形見としての重さとかではなく、物理的に重いです。絶対に肩が凝ります。肩こりに悩んでいる僕が、金のネックレスをつけるはずがありません。
でもせっかくくれたので、ちょっとつけてみました。
まず、留め具の外し方がわかりません。金のネックレスは、留め具も金なので、爪にぐっと力を入れて外そうとしても、爪が負けます。5分くらい留め具と格闘しましたが、外れないので、輪っかになった状態のまま、頭からかぶりました。途中、ネックレスがくさり状になっている所に髪がからまって大変なことになりましたが、なんとか頭を通り、首の位置におさまりました。
似合いません。
全然似合いません。予想以上でした。鏡を見てびっくりしました。僕は帽子が似合わないのですが、帽子以上に金のネックレスは似合いませんでした。おカネを持っていないのに、見栄をはって金を身にまとっている人に見えました。見えるも何も、その通りです。
金のネックレスをつけた姿を、母に見せたら、無言でした。「あ、こいつ、『似合わねえ。』って思ってるな。」と思いました。何も言わなくてもわかります。演劇人は、そういうのを察する能力に長けているのです。
母が何も言わないので、「なんで金のネックレスを俺にくれたの?」と聞いてみました。そうしたら、「金のレートが高い時に、売ればいい。」と言われました。売れるか!
母は返品を受け付けなさそうだったので、持って帰ることにしました。「持って帰るから、ケースをくれ。」と言いました。「ケースはない。」と言われました。しょうがないので、金のネックレスをスーパーのビニール袋に入れて持って帰りました。
金のレートに詳しい方、高い時に僕に教えてください。
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「休日」9月8日

この前の日曜日、子どもと奥さんが職場の人と野球観戦に行ったので、僕は丸一日、自分一人の時間ができました。僕は一人の時間を定期的に確保できないとイライラするので、奥さんがそのようにはからってくれました。ありがとうございます。
その日は鵜飼さんの「花、盛ル。」を観劇することにしていたので、昼前に家を出ました。バスで小倉に出たのですが、バスの中で高校生が、「担任の先生がめっちゃ怒るから早く卒業してえ。」というような内容の愚痴を言っているのを聞いて、「俺、今年で35になるけれど、けっこう毎日怒られるよ。」と思いました。口には出しませんでした。
平和通りでバスを降り、あまりお腹は減っていなかったけれど、このまま観劇すると、絶対に観劇中にお腹が鳴ると思い、うどんを食べることにしました。「『花、盛ル。』を見ている最中に、俺の腹、鳴ル。」などとどうでもいいことを考えながら歩きました。
丸亀製麺に行こうと思い、商店街のアーケードを小倉駅の方に向かって歩きました。丸亀製麺がアーケード沿いにあることは把握していたのですが、平和通りから歩いてどっち方面にあるのかは覚えていなかったので、賭けでした。確率は50%です。
小倉駅に着きました。50%の確率をはずしました。引き返しました。
丸亀製麺は何回か利用したことがあるのですが、商店街の店舗に行くのは初めてでした。カウンター席のような所に座り、釜揚げうどんを食べました。案の定、白いシャツにめんつゆを飛ばしました。僕はうどんを食べると、ものすごい確率でめんつゆを飛ばします。50%を軽く超えていると思います。
食べ終わるともういい時間だったので、劇場へ向かいました。歩きながら、口の中がなんだかもごもごするなと思ったので、リバーウォークのトイレで鏡を見ると、前歯にがっつりネギがはさまっていました。開演前に鵜飼さんにカッコ良くあいさつするつもりだったので、あぶねえ、あぶねえと思いました。
劇場に着いたらちょうど開場した所で、人がたくさん動いていました。人がたくさん動くと、僕は極力誰とも目を合わせないようにするので、うつむき加減でチケットのやりとりをしました。その時点で鵜飼さんにカッコ良くあいさつすることは忘れていたのですが、ロビーに鵜飼さんが立っていて目が合ったので、軽く会釈だけしてすぐ劇場の中に入りました。ネギがはさまってようと関係ありませんでした。
僕はなるべく、開場したらすぐに劇場の中に入って、2~30分間ぼーっとするのが好きです。「花、盛ル。」の時もぼーっとしていたら、開演の5分前くらいにブルーエゴナクの穴迫くんが入ってきて、僕の近くに座りました。小さい声で穴迫くんが、「おつかれさまです。」と言ったので、僕はくちびるの動きだけで「おつかれさまです。」と返しました。伝わってるといいな。
「花、盛ル」を見て、刺激を受けました。俺も何か書こうと思いました。終演後のロビーはたくさん人が動いているので、誰とも目を合わさずに劇場を後にしました。とりあえず旦過のモスバーガーに行こうと思い、歩きました。僕はお芝居の理解力に乏しいので、歩きながら、あのシーンはどういうことだったんだろうとか、どういうルールで動いてたんだろうとか、考えながら歩きました。考えながら歩いたのでどういう道を通ったか覚えていないのですが、無事、旦過のモスバーガーに着きました。
旦過のモスバーガーでコーヒーを注文し、「よし、俺も書くぞ。」と、ノートパソコンを開いたら、モニターが指紋とかよくわからない汚れとかでかなり汚くて、「こんなに汚いモニターで『花、盛ル。』のような作品が書けるか!」と自分で自分を叱りました。そしてモスバーガーの口を拭く紙で、ちょいちょいとモニターを拭きました。絶対に鵜飼さんの家のパソコンのモニターの方がきれいだろうと思いました。
気合いを入れてパソコンを立ち上げたものの、書きたいことが特になかったので、とりあえずカバンに入れてきた山崎ナオコーラさんの「浮世でランチ」を読みました。
「浮世でランチ」に熱中して、2時間が経過しました。ずっと座っていて腰が痛くなったので歩こうと思い、モスバーガーを出て、商店街のドトールコーヒーに行きました。ミルクレープが食べたくなったのです。
ドトールコーヒーのレジはすいていたのですが、客席のある2階に上がると大混雑していて、失敗した、と思いました。しょうがないので隅っこに座り、ミルクレープを食べ、「浮世でランチ」の続きを読みました。
20時頃に店員さんが来て、「閉店です。」と言われました。早えな、と思いました。あと数十ページで読み終わるのにと、もやもやしたままドトールコーヒーを出ました。結局「花、盛ル。」で受けた刺激は書く方に持って行かず、「浮世でランチ」を読む方に全部持って行きました。
その後、野球観戦を終えた奥さんと子どもと合流し、晩ご飯を食べに行きました。晩ご飯は奥さんとのリクエストで資さんうどんでした。肉うどんを食べました。昼に丸亀製麺に行ったことは黙っておきました。
いい休日でした。
翌日、朝食のパンにジャムを塗っている時に、「あぁ、台本が菊枕か。」と、「花、盛ル。」のシーンの意味が急にわかりました。

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「夢の話」8月20日

僕は一人旅か何かの途中で、重いリュックを背負ってずっと歩いていて、ヘトヘトになっている。何の目的で、何県のどの辺りを歩いているのかもわからない。日本昔話に出てきそうな田園風景の村にやってきて、田んぼで農作業をしている人に話しかけたら、南河内万歳一座の内藤さんだった。「おう、うちで飯を食っていけ。」と言うので、遠慮なく家に上がらせてもらい、蒸したイモをごちそうになった。お腹がいっぱいになったら、内藤さんが「映画でも見に行くか。」と言うので、遠慮なくご一緒させてもらった。内藤さんの家から歩いてちょっと行くとイオンがあって、イオンのシネコンで映画を見ることにした。内藤さんが「ポップコーン、食べるか?」と言うので、遠慮なく塩味のポップコーンをごちそうになった。「見たい映画を見ろ。」と言うので、映画を選んだんだけれど、なかなか決められず、けっこうな時間、悩んだ。その間、内藤さんは踊っていた。その後、映画を見た。何を見たのかは忘れた。映画が終わってイオンから出ると、内藤さんが「もう帰れ!」と言うので、帰った。
という夢を見た。

何が言いたいのかというと、「百年の港」の情報を公開しました。

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今年の頭からサイトの調子が悪くて日記の更新ができなかったので、ここ半年くらいの日記はこちらのブログに書いています。
それより前の日記は、消えました。